13/11/24 週報メッセージ

   先週の説教要旨
                                                                                                          朝位 真士
  先週はルカ16章19節~31節を通して「金持ちとラザロ」という題で語った。ある金持ちとラザロ(「神は助けたまえり」の短縮形(エレアザル))。その名に反する彼の貧しさと病気。この二人が共に死んだ。ラザロは死に、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。他方金持ちも死んで葬られ、陰府でさいなまれる。ラザロは天に上げられ、金持ちは陰府に下る。彼は富を用いて友を作らなかったためである。義と愛の律法を実践しなかったのだ。私は、この金持ちとラザロのたとえから死後の状態について三つのことを語った。
 (1)死後に天国へ行くか地獄に行くかは、その人の生前の生活によって決定する。すなわち、不信仰と不正の罪を悔い改めて、神を信じるか否かによって決定する。
 (2)天国と地獄との間には大きな淵があってその間を行き来することはいずれの側からも不可能である。これは死者のためにこの世の者がどんな善行を積んでも、あるいはどんなに「供養」をしても全く効果がないということである。
 (3)死者の魂は地上の人を訪れることができない。もしそれが可能ならば、ハデス(陰府)で苦しんでいる金持ちはラザロに頼まずに、自分で直接肉親の所を訪れただろう。
 このルカ一六章のたとえは、共に死後の世界に焦点を合わせたものである。この世にある今という時の間に、この世の所有物をどのように用いて生活するかというイエスの警告であり、挑戦であった。
 最後にジョン・ウェスレーの「金銭の使い方」について語っておこう。①出来る限り利得しなさい(儲けなさい)。②出来る限り節約しなさい。③出来る限り捧げなさい。”Gain all you can, save all you can and giveall you can.”