2026/4/19 週報メッセージ

復活の主に感謝をあらわす

川﨑 信二

復活された主を見た弟子たちには確信と喜びが与えられていた。もし、主が十字架で死なれたまま、姿を現されなかったならきっと弟子たちは信仰を捨てたであろう。主の復活の出来事はそれほど大きなことだったと思う。

私たちは主イエスに会うために礼拝に来る。復活されたイエス様に感謝と賛美を捧げるために教会に来るのである。ある方が「私は天国に行きたいので教会に来てるのよ」と言われたことがある。気持ちは分るが、礼拝出席は天国行きの条件なのだろうか。天国行きの資格を得るために奉仕をし、献金をするのだろうか。違う、と思う。

「天国に行くために教会に行く」のではなく、「天国に行けるから教会に行く」のである。礼拝は天国行きの条件ではなく、主が復活により私たちにも死からの復活が約束されたことを感謝するために行く所である。

言い換えれば礼拝は「御礼参り」である。御利益を叶えてもらうための祈祷ではなく、すでに復活という御利益をいただいたことへのお礼を、感謝と賛美であらわすのである。

イエス様に重い皮膚病を癒してもらった10人の話がある。

「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そしてイエスの足もとにひれ伏し感謝した。この人はサマリア人だった。」(ルカ17:15-16)

軽蔑されていた外国人が真っ先にイエス様にお礼を言いに来たのだ。

私たちが礼拝を捧げるのは、救っていただいたことへの感謝からである。世間の人々はイエス様によって救われていることを知らないために当然お礼に来るはずがない。

私たちは「その中の一人」である。既に復活の恵みが一方的に与えられていることを感謝して、喜び勇んで礼拝に参る私たちでありたいものだ。