塩を持ちなさい!
朝位 フミ子
主イエスは言われました。「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」(マルコ9章50節)ここで塩気、塩味と言われている譬えは、キリスト教会のオリジナリティー、キリスト教会の特色のことです。教会、クリスチャンは、地の塩、世の光として、世の中の人たちとは、はっきりと区別される持ち味があるということなのです。クリスチャンと世の人には、はっきりと違う塩気、塩味、特色があるのです。
教会は、主イエスのしてくださった愛の業をしっかりと受け継いでいく所です。主は、神の国の福音を宣べ伝える働きの中で、最も弱い人を受け入れ、躓かせないように配慮し、大切にされました。これが教会の福音であり、良い知らせ、大切な塩気、持ち味です。ですから、教会が塩気を失うこと、私たちクリスチャンが塩気を失うということは、教会の交わりの中にいる小さい人、弱い人、信仰の未熟な人、不信仰な人、ハンディキャップを持っている人、お年を召されている人たちを躓かせてしまうことに対して、鈍感になるということです。私たち一人ひとりが、教会に来ている弱い人を躓かせることに対して、無頓着、無関心、鈍感になって、配慮する気持ち、大切にする気持ちが失われてしまったら、教会は味を失った塩気のない塩になってしまいます。世の人たちと何の違いも区別もなく、何も変わらなくなってしまいます。
桜ヶ丘教会が、弱い人、信仰の未熟な人をいかに大切にするのかということに、これからの教会の命がかかっているのです。主は言われます。「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」私たちも、神の愛の力をいただきながら、躓きそうな人がいれば、転ばないように、その人を支える杖になって、温かい配慮をしていきましょう。