2026/8/2 週報メッセージ

君が代 日の丸

川﨑 信二

 先週、大相撲名古屋場所が盛況のうちに終わった。千秋楽には結びの一番が終わった後に国歌斉唱と国旗敬礼の時がある。野球観戦でも「君が代」を起立して歌うことが求められることがある。

 私はかつて「相撲の歌」として歌うことがあったが、今は歌うことも止め、起立もしないようにしている。それは戦時中に戦争遂行のために用いられていた軍国主義の象徴というイメージが拭えないからだ。日の丸を掲げて敵を攻撃し、日の丸を振って兵隊さんを送り出したという、多くの人を殺戮するために使われたことは言うまでもない事実である。降伏し敗戦となった時に、日章旗も変えるべきだったのではないか、とも思う。

 クリスチャンが全てそう考えるべきだ、とは思っていない。職場や学校という組織なかで、そうせざるを得ない方もおられるだろうし、それこそ、するしないは自由だからである。その自由を行使して、私は敬礼しないようにしている。牧師ゆえに比較的にそれが出来る立場にあるし、それが許されるのが民主主義だと思っている。それでもその時の状況次第では私の振る舞いも変わってしまうかもしれないが……。

 危険なのは、戦時中のように国歌権力により同じ思想を強要させられ、弾圧や処罰の対象になるような体制になってしまうことである。国家から迫害を受けた桜ケ丘教会に連なる者として、愛国主義が軍国主義に変化する危うさがあることを注視しつつ、武力に頼る国にならないよう祈ってゆきたい。主イエスの十字架は、攻撃ではなく、それを赦す愛そのものであることを忘れないようにしたい。