心を込めて主に向って歌う
川﨑 信二
先日、テレビを観ていると、ある女優がプロの歌手に交じって歌っていました。その歌唱力は際立っていましたが、技術的な完璧さのためなのか、どことなく「情」が伝わってこず、共感できなかったのです。
完璧すぎるとそこに「隙」がなく、どこか血が通っていない、機械的な演奏のように聴こえてしまいます。
一方で、プロの歌手の歌には、声のかすれ、震え、息の乱れといったものがあったにもかかわらず、温かいものを感じました。不完全だからこそ妙に心に響き、まっすぐ届いてくるものがありました。
歌うこと、つまり技術面が目的になってしまうと、歌詞に込められた切なさや痛みを表現できなくなってしまうのかもしれません。
これは、私たちが神を賛美するときにも通じることではないでしょうか。客観的な正しい発声だけを意識していては、その歌声が本当に神に届いているのか不安になりますし、私自身の心も満たされません。
会衆賛美とは、讃美歌そのものを賛美するのではなく、主観的な信仰を持って神を見上げることであり、また、みんなで共感して歌うものだと思います。
私のために十字架で死なれ、復活された主イエスをほめたたえること。その方を見上げて心から喜びたい。それこそが、私たちが歌う本当の理由なのだ、と教えられた気がします。