2020/11/29週報メッセージ

初代教会の信仰を伝える

朝位 真士 

  前々号で主の祈りを学びました。今日は使徒信条を考えてみたいと思います。毎月聖餐式の時に、使徒信条を称えています。

  「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の命を信ず。アーメン。」

  使徒信条は初代教会で140年頃にまとめられた最古の信仰告白文で、当時のものは今より短く、今日の形態は5世紀頃に作られました。信条とは神とその働きについて信じる内容を要約したものです。作られた目的は二つあり、一つは信者がバプテスマを受ける時の信仰告白のため、二つには異端に対して聖書の真理を守るためでした。内容は、三位一体の神、すなわち父・子・聖霊なる神の働きを順に要約し、体系的な聖書理解を助けます。

 主の祈りや使徒信条を礼拝や集会の時にそらんじることがありますが、一つひとつの字句や内容を深く考えないで口ずさみ、何かマンネリ化していることはないかと深く反省させられました。皆様方はいかがでしょうか。初代教会の信仰を伝える主の祈りと使徒信条を、もう一度真剣に考える必要があるのではないでしょうか。私はもう一度、一人で静かに主の祈りと使徒信条を読みながら、一息一息、主の祈りと使徒信条の深い意味を、神様から問われた感じがしました。皆様も、主の祈りと使徒信条を一呼吸一呼吸味わいながら称えてはいかがでしょうか。きっと今までにない新鮮味を感じるのではないでしょうか。