主の祈りを考える
朝位真士
朝位 真士 主の祈りは、マタイ6・9~15とルカ11・2~4に記載されている有名な祈りである。主の祈りは、祈りの模範としてキリストが弟子たちに教えたもの、初代教会から礼拝や個人の生活の中でもくり返し唱えられ、教会の宣教と信仰の成長のために役立ってきた。第一に、「天にまします、われらの父よ」である。全知全能の聖なる神を、私たちは父と呼ぶ。神は、私たちを子として訓練してくださるからこそ、天の父なのである。第二に、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ。」これは、子が父を慕うように、何でも祈りなさいと主は勧めておられるということである。第三に、主の祈りの六つの祈願である。それは二つに大別される。前半の三つは神ご自身と神の国のことであり、後半の三つは地上のことについてである。一つひとつの順序にも意味があり、またそれぞれに深い真理が込められている。前半の三つは、実に壮大なビジョンをもった願いである。偶像に満ちたこの世で、真の神のみが畏れられるように、人種差別や境界線の争いの絶えないこの世界に、神の支配(御国)が広がるように、また悲しみと不幸の世界が、真の愛の世界に変えられますようにと祈る。そして、後半の三つの願いは、この理想世界を実現するために欠かせない三つの要素を示している。日用の糧の願いから始まり、飢えからの解放、神によって罪がゆるされて得られる魂の平安、さらに、悪魔の働きからの解放を願う。第四に、主の祈りの根本には、人類の究極の希望、イエスの再臨によって実現する神の国への待望がある。第五に、この主の祈りには、かならず「われらの」とある。祈りは、ひとりで祈るようだが、実はみんなで祈っているのである。群れの祈りである。だから「われら」には、とりなしの意味がある。主の祈りは、全世界の人々が祈るべき祈りである。(『新キリスト教ガイドブック』より)