教会の成長のために
朝位 真士
朝位 真士
「どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ六・一八)
私は最近、本田弘慈先生の『祈りは奇蹟を生む』という御本を拝読させていただきましたので、教会関係者と
恵みの分かち合いをしたく思います。
私は最近、本田弘慈先生の『祈りは奇蹟を生む』という御本を拝読させていただきましたので、教会関係者と
恵みの分かち合いをしたく思います。
使徒パウロはエペソにあてた手紙の中で、「祈りなさい」とすすめ、「すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」とすすめています。祈りは個人的な神との交わりですが、その祈りの中でとりなすともすすめられています。クリスチャンが自分と自分の身のまわりのことを真剣に祈ると同時に、他人のため、格別、キリストにある人々のために祈ることも大切です。
キリストの教会は、クリスチャンの祈りによって進展するのです。祈っている信徒の多い教会は成長し、祈りの手が下がった時、教勢も衰えてきます。祈っている人の多い教会は火が燃えているようにいのちに満ち、生き生きとしています。しかし、祈りの少ない教会は氷倉の中のようにひんやりとした冷たさを感じさせられます。バウンズ博士は「祈りの会衆は祈りの講壇を生み、祈りの講壇は祈りの会衆を生む」と語りました。私たちもパウロのように、「忍耐の限りを尽くして」祈り続けることが大切です。主はその祈りをむなしく終わらせるようなことはなさいません。そこには必ず御霊の働きが始まるでしょう。
キリストの教会は、クリスチャンの祈りによって進展するのです。祈っている信徒の多い教会は成長し、祈りの手が下がった時、教勢も衰えてきます。祈っている人の多い教会は火が燃えているようにいのちに満ち、生き生きとしています。しかし、祈りの少ない教会は氷倉の中のようにひんやりとした冷たさを感じさせられます。バウンズ博士は「祈りの会衆は祈りの講壇を生み、祈りの講壇は祈りの会衆を生む」と語りました。私たちもパウロのように、「忍耐の限りを尽くして」祈り続けることが大切です。主はその祈りをむなしく終わらせるようなことはなさいません。そこには必ず御霊の働きが始まるでしょう。
私はこの本を拝読して、頭をガーンとなぐられた感じがいたしました。まず教職一同がもっともっと真剣に、教会成長のために、個々人の魂のために、主に祈らねばなりません。皆様、毎日数分でもお祈りいたしましょう。