受難節(レント)を迎えて
朝位 真士
朝位 真士
聖灰水曜日という名の起こりは、中世の教会において信心深い人々の
額に灰で十字架の印をつけた習慣にある。この儀式用に焼かれて保存さ
れた灰で、司祭は信徒一人ひとりの額に印をつけた。その時「あなたは
ちりであるから、ちりに帰ることをおぼえよ」という言葉を添えた。灰
は地にあるもののはかなさを象徴するものである。この世の美しさも誇
りもしばしの栄華にすぎず、やがてそれらは夢のように消えていく。ど
んな人であっても、死んだときに残るのはただ一握りの灰だけである。
それはまことに厳粛な死の事実にわたしたちの思いを誘う。人とはつま
るところ「死への存在」である。死は万人にとって必然の運命である。
そしてわたしたちの全生涯は、どのように死ぬかを学ぶことによって、
真実に生かされねばならない。
受難節はもっと深い意味をもっている。それはキリスト信者がイエス
の苦難と死の意義について深く考えるために、特別に設けられた期間で
ある。灰は死の象徴であると同時に、罪に対する悔い改めを表すもので
ある。主をあれほど苦しめたのは何のわざか。みなわたしたち人間の罪
のせいではなかったか。わたしたちは十字架を見上げて、己が罪の深さ
を悲しむとともに、それをも赦して救われる神の恵みの高さを、主のご
受難の中に味得せねばならない。ただ、このことをなすことによっての
み、この季節を正しくすごすことができるのである。
額に灰で十字架の印をつけた習慣にある。この儀式用に焼かれて保存さ
れた灰で、司祭は信徒一人ひとりの額に印をつけた。その時「あなたは
ちりであるから、ちりに帰ることをおぼえよ」という言葉を添えた。灰
は地にあるもののはかなさを象徴するものである。この世の美しさも誇
りもしばしの栄華にすぎず、やがてそれらは夢のように消えていく。ど
んな人であっても、死んだときに残るのはただ一握りの灰だけである。
それはまことに厳粛な死の事実にわたしたちの思いを誘う。人とはつま
るところ「死への存在」である。死は万人にとって必然の運命である。
そしてわたしたちの全生涯は、どのように死ぬかを学ぶことによって、
真実に生かされねばならない。
受難節はもっと深い意味をもっている。それはキリスト信者がイエス
の苦難と死の意義について深く考えるために、特別に設けられた期間で
ある。灰は死の象徴であると同時に、罪に対する悔い改めを表すもので
ある。主をあれほど苦しめたのは何のわざか。みなわたしたち人間の罪
のせいではなかったか。わたしたちは十字架を見上げて、己が罪の深さ
を悲しむとともに、それをも赦して救われる神の恵みの高さを、主のご
受難の中に味得せねばならない。ただ、このことをなすことによっての
み、この季節を正しくすごすことができるのである。