2016/2/14 週報メッセージ

   受難節(レント)を迎えて
                                                              朝位 真士
  聖灰水曜日という名の起こりは、中世の教会において信心深い人々の
額に灰で十字架の印をつけた習慣にある。この儀式用に焼かれて保存さ
れた灰で、司祭は信徒一人ひとりの額に印をつけた。その時「あなたは
ちりであるから、ちりに帰ることをおぼえよ」という言葉を添えた。灰
は地にあるもののはかなさを象徴するものである。この世の美しさも誇
りもしばしの栄華にすぎず、やがてそれらは夢のように消えていく。ど
んな人であっても、死んだときに残るのはただ一握りの灰だけである。
それはまことに厳粛な死の事実にわたしたちの思いを誘う。人とはつま
るところ「死への存在」である。死は万人にとって必然の運命である。
そしてわたしたちの全生涯は、どのように死ぬかを学ぶことによって、
真実に生かされねばならない。
 受難節はもっと深い意味をもっている。それはキリスト信者がイエス
の苦難と死の意義について深く考えるために、特別に設けられた期間で
ある。灰は死の象徴であると同時に、罪に対する悔い改めを表すもので
ある。主をあれほど苦しめたのは何のわざか。みなわたしたち人間の罪
のせいではなかったか。わたしたちは十字架を見上げて、己が罪の深さ
を悲しむとともに、それをも赦して救われる神の恵みの高さを、主のご
受難の中に味得せねばならない。ただ、このことをなすことによっての
み、この季節を正しくすごすことができるのである。