信仰生活の手引き
朝位 真士
ジョン・ウェスレーは「恵みの手段」として、ディボーション(神との交わり)を守りました。ヘンリ・ナウエンも「気がかりなこと、憂い、痛みが常に襲いかかる日常の生活の中で神を見いだすことがなければ、そうした日ごとの雑事から解き放たれたなら神を見いだせるだろうと考えるのは意味のないことです。仕事の最中にも霊的な営みが成長し深まることがなければ、働く時間の前後に持つディボーションが深まっていくことなどあるでしょうか」と述べています。
ウェスレーにとって主要な恵みの手段は祈りでした。祈りを重ねる生涯をウェスレーは送っていたと言っても過言ではありません。祈りをこれほどまでに重要視した背景には、「クリスチャン信仰とはイエス・キリストを通して神と生き生きとした関係を過ごしていくことである」とウェスレーが理解していたことがあります。祈りとは、神と自分の関係を保つための方法だからです。祈りは神との関係をつくり、また豊かにしていくために神から与えられた賜物です。さらに、霊性の潤いを失い渇いてしまうケースの多くは、祈りが欠けていることから起こってくるとウェスレーは理解していました。
ウェスレーは一人で祈りました。彼はいつも朝4時半から5時に起床して祈ることを習慣としていました。第二にウェスレーは声に出して祈ったり、また沈黙のうちに祈ったりもしました。第三にウェスレーはあらゆる種類の事柄を祈りました。賛美し、告白し、感謝し、とりなしをし、そして自分の願いを神に知ってもらうようにしていました。第四にウェスレーは他の人の祈りを読み、学び、そして自分の祈りに応用しました。
私たちの信仰生活の手引きのまず最初は「祈り」から始めましょう。密室、祈祷会、礼拝、例会等で大いに祈りましょう。