2009/8/16 週報メッセージ

   キリスト者の霊的義務
                                                    朝位 真士
 キリスト者の霊的義務は何であろうか。それは喜び・祈り・感謝である。テサロニケの信徒への
手紙5章16節から18節には「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝
しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」と
ある。ある注解には次のように説明されている。

  「喜び」を考えるときには、その人がどのような状態なり環境なりにあるかを考えることによって、
 その意味がより明らかになる。1・6、2・14にあるように、この教会が患難と迫害を経験している
 教会であることを思う。ふつうならば、苦しみのときは喜びのときではありえない。しかしキリストに
 あるならば、外的環境がどのようなものであっても、いつも喜び続けることができる。
  「絶えず祈りなさい。」キリストも公生涯中、おりあるごとに祈られたみ姿が福音書の中にくり返し
 しるされている。信仰の偉人といわれる人はすべて祈りの人であった。「祈りなさい」は進行形であっ
 て、「絶えず」と相まって、クリスチャン生活が、つねに祈りの生活でなければならぬことを教える。
  「すべての事について、感謝しなさい。」よいことも、わるいこともすべてである。なぜなら、神は
 悪を変えて良きに用いられるかたであるからだ。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神は
 それを善に変え、……。」(創50・20)又、すべてのことが働いて益となるのだから。「神を愛す
 る者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということ
 を、わたしたちは知っています。」(ローマ8・28)わたしどもは、すべてのことに感謝すべきなの
 である。感謝こそ、クリスチャンたる者が、1日も忘れてはならないことである。喜び、祈り、感謝で
 ある。