写真:K/Kさん提供
5月に入りました。若葉の緑も日々濃くなって、風もさわやかに私たちの前を通り過ぎていきます。
先週4月25日の礼拝では、「洗礼者ヨハネの証し」というお話でした。
イエス・キリストは「ことば」であり、「ロゴス」であるということ。洗礼者ヨハネは「声」であること。「ことばを伝える声」であるということを伺いました。
わたしたちも、イエス・キリストを伝える声として、生きていくことの使命があると伺いました。
今日5月1日の礼拝では、「神の小羊」というテーマでのお話でした。
神の小羊とはどのような方を指すのかということを教えていただきました。
それは、罪のためのいけにえの小羊、過ぎ越しの祭りの小羊、多くの者の罪を背負って屠り場にひかれていく小羊。
イエスは人類の罪を背負う犠牲の小羊として十字架上で屠られました。
洗礼者ヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」とイエスが来られるのをみて言った。と聖書に記されれています。
洗礼者bヨハネが「わたしは、霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。・・・・霊が降って、その人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」と言われた。とあります。
わたしたちに聖霊が降ってくださるときに、救いは確かなものとして私たちのもとにあります。
今日は、声としての洗礼者ヨハネの存在と足跡の中に、私たちは神の証人である教会とキリスト者の原点を見出すということを教えていただきました。
わたしたちが声になることによって、この世は初めてキリスト・イエスに出会うことができるのだということです。
教会全体が一つの声をなる。教会が一つの声となって、人々の耳にイエス・キリストの言葉を届けているだろうか。そして、その声は確実にイエス・キリストを指しているだろうか。
メッセージを通し、声としての存在を、今一度深く考えさせられました。
清さとは、愛であるということについてもお話がありました。
この1週間、これらのことを踏まえて、誠実に過ごしていきましょう。