東日本大震災被災地への思い

イメージ 13月11日(金)午後に発生した大地震。皆様はどこでどのようにこの地震に遭遇されましたでしょうか。
巨大地震と大津波、戦後最大の災害との報道を受けて、テレビや新聞等による連日の過剰なほどの情報。
どの情報が正確な情報なのか誰も判断してくれない、風評が風評を拡大し、被災地の方の心情は見えてこない。
そんな感じを抱きつつ、本ブログ書き込み者は、福島中通り地方に位置する実家に向かいました。
3月12日(土)午後、鉄道運休、高速道路封鎖のため、一般道路を車で走り、宇都宮経由で、家に夜間に到着。死者も出た町を通過し、到着。途中、福島原発爆発の情報が携帯メールに入り、行かないほうがよいという意見が入りました。
しかし、とにかく現場把握をしようと行くことを決意しました。
途中、コンビニ等のお店従業員は皆様気丈に見えました。13日に親戚等に会うと、「このような地震は経験したことがない・・」と皆様呆然とし、余震に耐えながら、「それでも。ここは被害が小さいので・・・」と言いました。
13日(日)には、早く東京に戻りましたが、その際、ガソリンの不足が気になりました。
そして、3月19日に再度、車で福島に向かいました。水戸市経由で行きました。地震から1週間が経過していましたが、放射能被曝の情報等もあり、緊張した思いを抱きつつ到着。
東京から同行した兄から「たばこの被害は、今発表されている放射物質よりはっきりしているのに、たばこを吸う自分は、放射性物質が危ないなどと、そんな不確なことは悪くて言えない」と、一喝されました。妙な説得力がありました。
生活している人の思いは、複雑です。放射性物質の影響など気にする暇もなく、家の片づけなどしなくてはならない方もいます。福島に住むもう一人の兄の家は、少し傾いて危険な状況と言えますが、それ以上に危険な方の家もあり、そいう言った方の応急対応に工務店等は奔走して、見に来てすぐ帰るといった状況でした。
マスク、帽子、手袋、手洗い励行等・・・。それは東京の情報と感じました。断水のところもあるわけで・・・何か違うと感じました。
放射性物質の情報で、農家の方々が落胆している様子がわかりました。いままで新鮮でおいしいと喜んでもらえる野菜を生産することを誇りとしていた人たちが、作っても食べていただけない状況を思うと、体に力が入らないほどつらいのだなあと・・・。原子力発電所は都会にエネルギーを供給するためにあって、自分たちが使うためだけのものではないのに・・・という思いも口にすることなく、正確な情報はどこから来るのか不信に思いつつ。
大きな被災地の報道はいくつも流れますが、比較的小さな被害地では、情報の谷間で、情報に呑まれ、風評によって流されていく現在をとても恐れていることを感じました。
先日、カナダから宣教師として日本に来ている方から、以下のメールをいただきました。神の聖霊が、日本じゅうに働いていて、日本人が神のもとに戻るときだと信じています。と。
全能なる主によって、最善の道が備えられていることを確信し、この試練の時、日本の復興を願いつつ過ごしたいと思います。