朝位 真士
序
今日からコリントの信徒への手紙を学びます。この手紙を学ぶに当たって、私の尊敬するホーリネス教団の東京聖書学校院長であられた米田豊先生は注解よりこのところを引用させて頂きます。この手紙使徒パウロが紀元56年か57年の春の頃、エペソから(16・8)書き送ったものである。コリントはアカヤ州の豪華な商業都市で、東西に海を控えて、航海交通の要路にあり、人々は贅沢を窮め、罪悪が横行し、その付近に1000人以上売春婦がいたと言われ、非常に淫蕩な町であった。パウロがこの地から書き送ったローマ人への手紙1章に描写されています。罪悪の背景は、この地だったのである。パウロはさきにこの地に1年半ほど伝道して教会を建設した(使徒18章1~18)。のちアポロもこの地に伝道し、またユダヤ人の教師たちがパウロの使徒権を拒んで、ペテロを賞賛したため、教会内に分裂が起こり(1・12)、教会の秩序が乱れ、信者の中に罪を犯す者が起こった。それゆえパウロは、この教会の分裂を憂え、本書送る前に自らコリントに行き(第2コリント12・14、13・1)、また手紙を送ってそれを戒めた(5・9)。するとそれに対して質疑が生じ、結婚問題、偶像にささげた肉を食べる事の可否問題、霊の賜物の問題、その他について質問して来た(7・1、8・1、12・1)。また「クロエの家の者達」から教会に状態を聞いたので(1・11)、本書を送ってそれに答え、また警告し、教訓を与えたのである。
本書はローマ人への手紙のような系統的な教理を説かず、むしろ実際問題を説くものであるが、結婚問題(7)、霊の賜物の問題(12)、愛(13)、復活(15)などの説明は本書独特の記事である。
本
コリント1・1~9節を見て下さい。この1~3節は挨拶と祝祷。4~7コリント信徒の霊の賜物に為の感謝8~9彼らの将来に関するパウロの確信。1~3節挨拶が描かれています。現実の地上の教会には、当然清算されなければならない、多くの欠陥があり、不純な点があります。コリント教会はまさにそうでありました。教会の中に派閥の争いがあり、信者の中には不品行の甚だしい者さえいました。それでもパウロはそれを見捨てていません。見捨てないどころか、「神の教会と尊んでいます。彼の心の深さを思うべきであります。教会は神に付ける、信徒の集団である。また信徒の交わりである。だから場所にとらわれない。「至るところにあるわけです」またそれはすべての人々に及ぶ者であって、民族や階級、性別や年齢、貧富や賢愚のいつさいの隔てを超越する。ここにキリスト教会がもっている、その世界的、公同的性質が言い表されています。教会は信徒の交われであるといわれるが、その信徒をもっと具体的にいうならばそれは「イエス・キリストの御名を呼び求める人々」である。教会とは、実に、そうした人々の集団である。イエスは、歴史の中に生まれ、歴史の中で死んでいった1人の歴史的人物であります。しかし、そのイエスが、神より来られたキリスト(救い主)であります。復活昇天されて、今も栄光の中に生きておられる主であります。すべての人が礼拝を受けられる救い主であります。信者はキリストの御名を呼び
求めて、かつ御名によって祈り、御名をかざして働き、御名の下に団結し、御名にのみ栄光を帰する。信徒とは、主イエス・キリストの御名を呼び求める者のことであります。別に表現を借りていえば、キリストによって聖者のことであり、また聖徒として召された者の人たちであります。キリストは、私達の主であり、また彼らの主であられる。地上の全教会は同じキリストを首(かしら)と仰ぐ、キリストの体なのであります。そこに、ユダヤ人も、ギリシャ人も、奴隷も自由人もない。「主は1つ、信仰は1つ、バプテスマは1つ」(エペソ4・5)である。まことの一致と協力は、キリストの教会がもつ、著しい特徴の1つでなければならない。ルターは「恵みはわれらを罪より救い、平安は我らの良心を平静ならしめる」といったが、いつも恵みが第1に来て、平安が次に来る。恵みと平安これこそ、パウロが愛するコリントの人々のために祈り求めることの出来た最高の祝福である。「「恵みと平安は」「父なる神と主イエス・キリストから」くるという。すべて善きものは神からである。ここでは感謝が語られています。キリスト者とは、どんな時でも、感謝の出来る人のことと定義した人がいます。誰にするのか、勿論、天地万物を創造された創造主なる父なる神であります。とにかく、感謝は、人を生かす1つの力である。わたしたちが、感謝を持って、いつさいの祝福を受けるならば、神はきつとそれに加えた新しい祝福をそなえられるでありましょう。
結び
もう1度コリント1・1~9節を見て下さい。パウロはコリント人が立派な信仰と行いをしていたから感謝すると言うよりも、神の賜物と真実のゆえに感謝しています。パウロは個々のキリスト者について3つのことを語っています。
1・キリスト者はイエス・キリストにあってきよめられたものである。
2・パウロはキリスト者を聖徒として召された方々と読んでいます。
3・パウロはこの手紙を
イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に召された人たちに宛てて書いています。
次に感謝すべきこと(4~9)
1・実現し合う約束
2・与えられた贈り物(カリスマ)a・救いは神の贈り物―カリスマである。b・人が持っている特殊の才能や技術もまたそうである。
3・究極の目的―主の日それは最後の審判がやって来た時、キリストにある者は恐れことなく、これを迎えることが出来る。