教会の交わりについて思う事

イメージ 1写真:藤城清治美術館
チャペルステンドグラス
本日の礼拝説教は、「キリスト者の交わり」というテーマでした。
「詩編133編」(聖書個所)
都に上る歌。ダビデの歌。
見よ、兄弟が共に座っている。
なんという恵み、なんという喜び。
かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り
衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り
ヘルモンにおく露のように
シオンの山に滴り落ちる。
シオンで、主は布告された
祝福と、とこしえの命を。
教会に集い、話し、一緒に過ごすことは、とても素晴らしい神様からのお恵みです。
油は、聖霊を指していて、聖霊が露が落ちるように静かに私達に注がれるという恵みをえることができる神の家族について、お話を聞きました。
共に座るということのお恵みは、桜ヶ丘教会において、私達信徒一人一人が感じています。
私たちは、皆個性をもって、生活環境も違う中で、教会に集います。それぞれが皆違っていますが、神の家族として、イエス・キリストを頭として主の教えに歩むという一致した家族です。
人が集まるところですから、何らかのルールが必要ですが、主を愛し、自分を愛するように隣人を愛するというルールを忘れて、他のルールを先にすることはできません。
このことは、ただ普通に過ごしていて達成できることではないと思います。
私たちが、優しさと麗しさを持たせていただくためには、愛の実践を通して、兄弟姉妹とともに座るということを形成するという目的に立ち返ることが必要と思います。
どなたかと共に座るという恵み、喜びは、誰にでも与えられています。人は一人では生きていけない。
そのような中に、露のように静かに降る主の恵み、主の祝福、そして永遠の命への約束。
主にあって、兄弟姉妹とともに座ることが許されていることに、ただ側にいることができることに、心から感謝します。