「賜物の多様性」2021・8・1説教要旨

朝位 真士

今日は1コリント12・1~11節を通して聖書を学んで行きましょう。この12章は種々の霊の賜物。1つのからだにある多くの肢体。1~3回心前の偶像信仰と、聖霊による信仰告白。4~11 1つの御霊による種々の賜物。と分解出来ます。ナザレのイエスを主と呼び、神と信じるのは、(聖霊によらなければ)出来ないことでありましょう。(3)。真の信仰は聖霊の感化による。このように、聖霊は主を示されるばかりではなく、主を信ずる者に、種々の賜物を与えて奉仕させたもう。私達が救われたのは主に奉仕するためでありますが、有効的に主に仕えるには、聖霊の賜物が必要であります。これには伝道者と信徒の区別はありません。神は(全てのものの中に働いて全てのことをなさる神であります)(6)。(コロサイ1・29)。(賜物は種々)あり、したがってその務めや働きはいろいろあるが、その賜物の源である御霊。そのうちにいます主、その人のうちに働きかける神は同じである。ここに特に三位一体の神が示されていることに注意しなければなりません(4-6)。賜物とは、神に対する奉仕をさせるために与えられる霊的な才能で、あるいは御霊御自身の顕現とも言うべきもので、教会の徳を建て、(全体の益になるため)に与えられるものであります。(7)。その賜物は種々あっても、皆1つの御霊から出て、また御霊の(思いのままに各自に分け与えられる)ものであります(11)。神はひとりびとりに最もよく知り、人それぞれに最もふさわしい賜物を与えられるので、私達は自分の注文を捨て、与えられた賜物に従って忠実に奉仕することが大切です。

1コリ12・Ⅰ~11節を見て下さい。この12章1~31節は御霊の賜物と教会に一致が語られています。そして1~3節は御霊の本質です。コリント教会のキリスト者に注意を促したパウロは、まず2つの点を強調しています。1・人は生まれながらの状態では偶像礼拝に走らざるを得ないことであります。(2)。2・その人が偶像を捨てて、生ける神を拝するようになるには御霊の力によることであります。(3)。この2つの事を導くのは御霊の働きであり、賜物である。また、人の内に宿る霊は、その人の信仰告白によって、神からの霊(聖霊)であるか悪魔からの霊(悪霊)であるかを見極めることが出来るのであります。ここで私達が知っておくべき大切なことは、イエス・キリストを自分の主と告白するに至らせるのは自分の力ではなく、その人の内に働く御霊の力であるということです。キリストを信じる信仰は、すべて神の賜物であります。エペソ2・8引用してください。勿論その過程において

人の力が作用することは言うまででもないが、それらもせんじ詰めれば神が用いたものにすぎないのであります。したがって信仰は御霊の賜物なのであります。12・4~31は個と全体キリスト信仰は御霊の賜物であります。この賜物がなくては私達の信仰はありえないのです。そしてキリスト信仰の原動力は御霊の賜物である以上、それはまた信仰生活の全てにおける原動力であることは明らかであります。先ず御霊の賜物はそれぞれに違った現われ方をします。万物は神の霊によって創造された。詩篇33・6p863引用します。さて1コリ12・4~6節を見て下さい。神は御旨に従って私達にそれぞれにふさわしい御霊の賜物を与えられています。それは7節を見て下さい。個はただ全体のために存在し、全体な益のために働いて初めてその存在意義があります。すなわち相手を生かすことによって自分も生きられるのであります。そして個が集まって全体を構成し、全体と有機的に関係して働くこと、これが神の創造の目的であり、御旨なのであります。私達の体のことを考えてみましょう。神はむだなものは何1つ

造られない。各器官が実に便利に造られており、どれも欠くことができないものであります。

それは教会も同じで、1見役に立たないように見える人が実は教会に欠くことが出来ない重要な存在だったりする。その人に適した働きが必ず、そしてたくさんあるのです。

結び

もう1度1コリ12・1~11節を見て下さい。特に4~11節ここに種々の神の賜物が記載されています。このところにおけるパウロの狙いは、教会の本質的統一を強調するところにあります。教会はキリストの体であるが、健康なからだの特徴は、それぞれの部分が、全体のために、それぞれの役割を果たしているということであります。教会の中には、様々な役割がある。それらはことごとく同じ御霊から与えられたものであります。しかも、各人に栄光のためにではなく、全体の益になるように賜ったのであります。初代教会はこの生き生きとした力強い活動をしていたが、それはすべて、聖霊の働きであることをしていました。聖霊は、各人に、自分のためではなく、他者のために用いるように、それぞれの賜物を与えて下さったのであります。私達もそれぞれ聖霊の賜物が与えられていますので、これを教会のため、人のために用いようではありませんか。最後にローマ12・6~8を見て下さい。人はそれぞれ異なった賜物を神から頂いていますので、各人はそれに応じて預言、奉仕、教え、勧め、寄付、指導、慈善のような仕事を教会の中でさせて頂きましょう。桜ヶ丘教会が100周年を迎えるに当たって、2023年6月1日ですが、すべての教会員が、各自の受けた賜物に最もふさわしい務めに従い、働きにつくことが大切です。

お祈り致します。