「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2012/3/18 週報メッセージ

   第2回教会総会を終えて                                                                 
                                                                                                            朝位 真士
  2012年3月11日(日)礼拝後、2011年度第2回教会総会が終わりました。現住陪餐会員51名のうち出席者15名、委任状15名、合計30名で総会が成立しました。当日は東日本大震災1年目でした。昨年3月11日午後2時46分、大地震、津波、原発放射能汚染等によって、A紙発表によると、3月10日現在の死者1万5854人、行方不明者3155人、避難者34万3935人ということです。同紙には「もとの暮らしを少しでも取り戻すための『復興』の手だてはどこまで進んだか」とありました。
 さて、私共の教会では三つの議案を審議していただきました。
 (1)2012年度宣教方針について。2012年度には「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(使徒18章9~10節)という御言葉が与えられました。「宣教と教会形成」を教会の方々と共に達成していきたいと思います。①個人信仰の確立。②全家族の救い。③個人伝道による教勢倍加。「聖書を読もう会」や星野富弘美術館見学を通して、教会員の交わりを進めていこうと思います。
 (2)2012年度一般会計予算について。S会計役員によってわかりやすい趣旨説明がなされました。厳しい経済状況の中で、信仰と神の助けをいただいて、この会計予算達成のために祈っていきたいと思います。また献堂して15年近く経過している教会堂の外装とエアコンの修理ならびに新品交換等のためにも祈り、ソフトとハードの両面を整備していきたいと思います。桜ヶ丘教会のリバイバル(復興)を祈ってください。           

2011/3/11 週報メッセージ

   国家晩餐祈祷会に出席して
                                                              朝位 真士
 「わたしの名をもって呼ばれるわたしの民がひざまずいて祈り、わた
しの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け
罪を赦し、彼らの大地をいやす。」(歴代誌下7章14節)
 私は、3月9日、某ホテルでの「国家晩餐祈祷会」に招待された。国
会議員をはじめ、カトリック・プロテスタントの教職・信徒数百名が一
堂に会して、昨年3月11日午後2時46分の東日本大震災で起こった
地震・津波・原発事故で被災された地域の方々のために心を合わせて数
時間祈った。特に胸を強く打ったのは、教会員の方々と流浪の旅を1年
続けておられる福島第一バプテスト教会S牧師の体験とメッセージと祈
りであった。
 先生は開拓伝道をして福島の数カ所に会堂を建てられた。数年前には
100年安心の新会堂を建てられたが、今も立入禁止区域の中にあると
いうことだ。今迄の牧会と信仰が根底から覆されたが、神の国の宣教を
強く願っておられる姿に強く感動した。世界を周って献金が与えられ、
また福島に会堂を建てて宣教しようとしておられる。先生は「震災で何
を見たか」というテーマで、御自分の体験と信者の方々の証しを語り、
命がけで主のために働いておられる。殉教者ステファノ(ステパノ)の
姿をかみま見た。主に栄光あれ!!

2012/3/4 週報メッセージ

   四旬節(レント)を迎えて
                                                              朝位 真士
 2月22日(水)~4月7日(土)迄は四旬節(レント)と呼ばれます。
灰の水曜日に始まり、復活日(4月8日)前日までの、主日を除いた40
日間です。この40の数字は、ノアの洪水の日数、イスラエルの民が
シナイの荒野をさすらった年数、エリヤが断食した日数、シナイ山にお
いてモーセが断食した日数、イエス・キリストが荒野で断食した日数で
あり、主の受難(十字架)による勝利と復活を期待させるのです。
 この期間、来週3月11日礼拝後に教会総会が開催予定です。特に、
2012年度の宣教方針に関して御言葉が与えられています。使徒18
章9~10節、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあな
たと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町
には、わたしの民が大勢いるからだ。」という聖句です。「宣教と教会
形成」を達成させていきたいと祈るものです。
 桜ヶ丘教会の祈祷目標は、①個人信仰の確立、②全家族の救い、③個
人伝道による教勢倍加です。これは古くて新しい目標です。2012年
は開拓元年として、地域宣教活動をして、一人一人の信仰向上のため、
一人の魂の救いのために、一年間祈り続けていきましょう。

2012/2/26 週報メッセージ

   最近考える事
                                                             朝位 真士
  「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたし
たちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していること
を、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」
                                                     (Ⅰテサ1章3節)
  2011年度の年度末を迎えました。この1年もいろいろな事があり
ました。しかし、毎週の礼拝、祈祷会、諸集会が守られてきたのは、主
イエス・キリストの父なる神に感謝する事は勿論ですが、教会の役員を
始め、会員の皆様方並びに求道者の皆様方のお陰であり、本当に感謝な
事であると思っています。神が教会の主でありますが、具体的に目に見
える活動をなすのは、協会の関係者の方々という事です。毎週の集会に
出席できる皆様方のご努力と、信仰、希望、愛の力は絶大ですが、教会
に出席できなくなった高齢者、病人、また仕事などの理由で教会活動に
直接参加できない方々も祈りや献金で支援してくださっています。この
ことも大きな力であると思います。
 3月11日の礼拝後の教会総会に、ぜひ皆様方のご協力とご支援を心
から賜りますようお願い申し上げます。桜ヶ丘教会は主イエス・キリス
トのものであると同時に、皆様のものである事をどうぞ心にお留めいた
だき、今後も桜ヶ丘教会のために祈ってご支援ください。主に栄光を帰
しつつ!!

2012/2/19 週報メッセージ

   ある研修会に出席して
                                                                朝位 真士
  2月13日~14日に仙台市若林区古城にあるA女子少年院に教誨師
研修として行ってまいりました。「A女子少年院の参観及び概況説明」
「東日本大震災後の被収容者によるボランティア活動及び心情変化につ
いて」等の内容でした。
 東日本大震災が昨年3月11日午後2時46分に起こったのですが、
その際に若林区荒浜地区に津波が10メートルの高さまで来て、一瞬にし
て700世帯の家が流され、数百人が亡くなったと聞いています。その津
波の5キロ近くにA女子少年院があります。少年達がその2キロ先の老
人施設で津波による被害へのボランティアをして、大変感動を覚えたそ
うです。今回の地震、津波、原発放射能事故を知り、多くの被害現状を
目の当たりにして、罪のない方々が多く被害に遭ったのに対して、自分
は被害に遭わずに生活が守られ、衣食住が保証されて本当に申し訳なく
思ったようです。非行のない生活を決心したことを、少年達がオペレッ
タを通して演じていたのが大変感動的でした。
 最後に実際被災した若林区荒浜地区をS牧師の車で約2時間視察をさ
せていただき、未だ復興・復旧がなされていない現状を見て、一日も早
い復興・回復を祈りました。また仮設住宅におられる方々の不便さを知
り、申し訳なく思いました。

2012/2/12 週報メッセージ

   神に信頼せよ
                                                             朝位 真士
  「民よ、どのような時にも神に信頼し
  御前に心を注ぎ出せ。
  神はわたしたちの避けどころ。」(詩62・9)
 年度末に近づき、教会も人々も何かと心が騒がしくなってきました。
特に受験期、卒業時にある方々はそうでしょう。新年度が近づき、私自
身もいろいろと考えが頭の中に浮かんでまいります。教会の将来を考え
ると少し不安になります。人数の減少、財政的減少、高齢者の増加によ
る礼拝出席者の減少傾向などマイナス要因が多く重なり、牧会者として
本当に責任を感じています。
 しかしパウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな
ことにも感謝しなさい」(Ⅰテサ5・16~18)と語っています。ま
た「貧しく暮らすすべも知っています。……いついかなる場合にも対処
する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わた
しにはすべてが可能です」(フィリピ4・12~13)とあります。
 自分の力だけではなく、全能の神であるイエス・キリストの神に全く
お委ねして従っていけば、すべてに良き解決が与えられることを確信し
ました。最後に、ローマ8章28節にあるように「万事を益としてくだ
さる」神に信頼しましょう。

2012/2/5 週報メッセージ

   西東京教区教師一泊研修会
                                                                                                            朝位 真士
 さる1月30日~31日に、小金井聖霊修道院マリア館にて教師研修会が開催された。講師は吉川教会牧師兼舎監、ホ群委員長F牧師であった。
 テーマは、聖書の霊性、詩25編「聖書の霊性Ⅰ、祈りの深みを学ぶ」、詩34編「聖書の霊性Ⅱ、恵みの満たしを学ぶ」であった。特に牧師の霊性を聖書を通してどのように学ぶかという話には、大変興味があった。参加者は28名であった。
 講師のF先生は、深い学識経験と牧会経験をおもちの先生で、T神大を出られてアメリカ留学で3年間学ばれた方で、ユーモアの中にも深い真理を平易に解説してくださった。私は2月第2日曜日礼拝後の「聖書を読もう会」によきヒントを与えられた。具体的には下記の如くである。
 聖書黙想の方法  Ⅰ聖書のテキストの概略(神の像) Ⅱ①メッセージ・ポイント ②生活への適用 Ⅲ結論
  次にデボーションのもち方を記す。
 黙 想 ①みことばへの応答 ②とりなし
 さんび ①みことばへの応答 ②とりなし
 聖 書
 祈 祷 ①悔い改め ②み言 ③信仰の確信
 頌 栄
  私はこの学びを「聖書を読もう会」で適用できたら感謝である。これを機会にもっと聖書に親しもう。

2012/1/29 週報メッセージ

   イエスの受洗
                                                                                                            朝位 真士
  「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け」(ルカ3・21)
 イエスの受洗の記事はマタイ3章13~27節、マルコ1章9~11節、ルカ3章21~22節に並行記事として記されている。イエスがバプテスマを受けられた理由と意味があった。
 第一に、イエスのバプテスマは御自分をその民の罪の償いのための供え物とすることを意味していた(ローマ3・24~25、5・8、イザヤ53等)。後にイエスはそのことを御自分の口から弟子たちに語られた。
 第二に、イエスのバプテスマはイエスが大祭司として民の救いのためのとりなしを公に開始することであった(ヘブル5・5~7)。イスラエル人がヨハネからバプテスマを受けていた背後には、彼らがその民族の血にもかかわらず神との関係のない者、神に受け入れられない者であるという現状を明らかにする。しかしイエスのバプテスマにおいては、その公生涯がスタートする時点で、神がイエスに「愛する子」「わたしはあなたを喜ぶ」と声をかけて、イエスが神の子であると認める天の声があった。
 なぜイエス・キリストがバプテスマを受けられたかについて、ルカは何も説明していない。イエスは罪なき神の子であるのだから、聖霊はイエス・キリストをそのように導いたのである。主イエスがバプテスマをお受けになった理由は、もちろん主イエス個人に悔い改めが必要であったからではない。それはバプテスマのヨハネのバプテスマが神から来たものであることが公に認められたことの表現であり、かつ御自分を罪を悔い改めるべきイスラエル人のひとりとされたことの表現であり、同時に十字架の上での死に向かっての公の歩みを始められたことの宣言でもあった。

2012/1/22 週報メッセージ

   Aさんの召天に際して                                                                 
                                                                                                                         朝位 真士
  「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」(Ⅰコリント9章22~23節)
 Aさんの召天の報に接したのは1月14日午前2時過ぎだったと思います。夜中ご遺族からお電話をいただきました。召される前の1月9日午後、Aさんの入院しておられる病院へフミ子師と見舞いに行きました。その時は意識もはっきりしておられました。その週の週末の夜中に召天されました。聞くところによるとAさんは、もし自分が死んだなら桜ヶ丘教会で葬儀をしてほしいという遺言をご遺族に語っておられたとのことです。その遺志を尊重して、教会で前夜式、告別式をさせていただきました。前夜式には百名を超える人々が出席され、告別式には数十名以上の方々が出席されました。話は前後しますが、2008年10月にAさんの奥様の葬儀をこの教会で行わせていただいたことがあり、Aさんはそのときの雰囲気が大変よかったようでした。それで自分の葬儀もキリスト教でして欲しいという思いがあったと思います。
 私は常々、地域に開かれた教会として、冠婚葬祭がキリスト教の宣教のチャンスとなれば大変素晴らしいことだと思っていました。事実、奥様の葬儀を通してご親類の方が求道生活をされて、今年のイースターに関西の教会で受洗されると伺いました。今度のAさんの葬儀も、これを機に教会に導かれて、ゆくゆくは救われて受洗される方があたえられたらと、祈らずにはおられないことです。
 2012年度は、あらゆるチャンスを通してキリストの福音が与えられることを、主イエス・キリストに祈る次第です。                                                               

2012/1/15 週報メッセージ

   主の御心ならば                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
  よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く露にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。(ヤコブ4・13~15)
 
 私は、今年の元旦礼拝に於いて、今年も地域に開かれた教会として、教会員の皆様方と一緒に伝道の業をさせていただこうと、張り切って確信をもってメッセージを語らせていただいた。その矢先に夕方から風邪をひいて声が出なくなり、丸三日間不自由な生活をした。健康であるということがどんなに感謝なことかと、今更ながら感じた。
 久しぶりに親類の者から電話があり、喜んで電話を取ったのはいいが、彼女はガンを患って手術をした後であった。もう少し発見が遅れていたら手遅れになっていたということを、そして生かされていることがどんなに素晴らしいことであるかということを感謝していた。
 私は今回の自分の経験を通して、主の前にもう一度悔い改めを迫られた思いがした。私は生来的に健康であると自負していた。そのために体を少し痛めつけたようで反省した。「あなたがたは『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです」とある。自分のことを優先するのではなく、主の御心、御旨を優先しなくてはならない。そして、自分の体を神に喜ばれる生きた聖なる供え物として、献げなくてはならないと思う。
 この1年、祈りと宣教と教会形成という三つにして一つなる神の御業を優先して、主のために全力を注いで励んでいきましょう。