2012年をふり返って
朝位 真士
「すべての国よ、主を賛美せよ。/すべての民よ、主をほめたたえよ。/主の慈しみとまことはとこしえに/
わたしたちを超えて力強い。ハレルヤ。」(詩編117)
今年は年の始めから、4名の方々が召天された。一人目は1月14日、元NHKアナウンサーのAさん。二人目は44月2日、K姉。婦人会のメンバーで、長年教会の忠実な信徒であった。召天される前週の礼拝には、喜びをもって来られた。「また来週お会いしましょう」という声が耳に残っている。三人目はI姉のご主人。6月3日に静かに召天された。四人目はK姉で、7月1日召天された。桜ヶ丘教会が献堂された写真を見て転会された姉であった。
教会では6月23日、バスツアーを実施した。星野富弘美術館見学である。30名の参加者で楽しい一時であった。4月8日のイースターではI姉が受洗された。私共が赴任してから長い求道生活をされて、ご本人が信仰の決断をされた。個人的には九州時代の関係者の方である。11月18日(日)午後1時半より4時まで、東日本大震災復興支援バザーを開催。教会員、求道者の枠を超えて全員の協力で開催した。収益金全額の108,806円を東日本大震災救援募金として教団に送金した。ご協力くださったすべての人々に感謝したいと思う。12月23日クリスマス礼拝ではM兄の転入会式があった。翌日のクリスマスイブ集会の前に桜上水駅前でキャロリングをした。集会では神学生のメッセージ、設計士H氏のイタリア・カンツォーネ独唱、Y姉のピアノ独奏があった。またS姉の軽食の準備とおもてなし。イブに10名近くの近所の方々が来られたことは、今までにない神の大きな祝福であった。ハレルヤ!!
「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ
2012/12/23 週報メッセージ
私のクリスマス
朝位 真士
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3・16)
私は1961年、18歳、高校3年生のクリスマス礼拝で、教団北九州復興教会の山中日出刃牧師によって受洗した。今年で51年目になった。コヘレト12章1節に「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに」とある。高校を出て、商社に9年間勤務し、1971年に神学校入学し、1975年に卒業した。母教会で19年間奉仕をして、1994年桜ヶ丘教会に家族4人で転任し、今日まで主の祝福とお守りのうちに日々を過ごしている。
先日私の奉仕している女子少年院のクリスマス集会に、3人の牧師と行った。女子少年と職員全員で数十名の参加者がおり、その中でキリスト教のメッセージを語ることができた。短い時間であったが、大胆にクリスマス・メッセージを語った。通常は月1回、教養講話の授業で、約1時間キリスト教的精神講話を三十数名の収容生と職員に語っている。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ、主キリストです。」(ルカ2章8~11節)
このクリスマスの時期に一人でも多くの人々が教会の集会に出席されて、本当のクリスマスを経験して新しい人生のスタートをきっていただきたいと、一人のクリスチャンとして祈る次第である。
神に栄光があるように!!
2012/12/16 週報メッセージ
クリスマスを前にして
朝位 真士
アドヴェントの時期となりました。このアドベントとは「来臨」の意味で、主イエスの受肉された降誕を迎える心の準備をするとともに、再臨の準備の時ともされています。この時期のクリスマス諸集会をお知らせしたいと思います。
本日16日(日)午後2時から、こどもクリスマス会があります。現在、毎週数人のこどもと保護者の方が参加してくださっています。今日のお話はA姉です。現在中高の教師として学校で教えています。やさしい2児のママです。乞うご期待です。
12月23日(日)はクリスマス礼拝です。説教は私です。高校生時代に受洗し、今年で51年目のクリスマスを迎えようとしています。祝会の司会はK兄親子です。楽しい祝会の一時をもちたいと祈っています。
クリスマス・イブ集会は12月24日(月・祝)午後6時半より行われます。キャンドル・サービスのメッセージはN神学生です。ご主人も神学校4年生で、夫婦で献身生活をしています。大変な試練を経験しましたが、明るく、心遣いの行き届いた神学生です。メッセージがきっと心の奥底に届くと信じています。2部として、聖歌隊合唱、Y姉のピアノ独奏、当教会を設計したHさんのイタリア・カンツォーネ。趣味が高じて本格的にカンツォーネを習得された方です。乞うご期待。
最近特伝や諸集会に新しい方が来られています。特に外国人の方が来られていることは大変感謝です。小さな教会ですが、愛の共同体として愛し合い仕え合い、一人一人を大切にしていきましょう。キリストの心を心として、主のご降誕をお祝いしましょう。
2012/12/9 週報メッセージ
朝位 真士
「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」
今年もバザーを11月18日(日)午後1時30分から4時頃まで開催することができました。このバザーの目的は、
今回のバザーで私はいくつかのことを感じました。①教会員の方々が積極的にこの目標のために働かれたこと。②地域の方々や求道者の方々も協力・参加してくださったこと。③短時間の準備ではありましたが、本当に手際よく、まとまって開催できたこと。④いろいろな物品が備えらたこと。ただし使用不能な物も混じっていました。
また教会関係者の方々の素晴らしい能力を改めて認識しました。これを今後の教会形成に役立てていただきたいと思います。教会は神の家族、共同体です。お互いに助け合い、励まし合い、祈り合っていきましょう。
2012/12/2 週報メッセージ
クリスマス・チャペルコンサート
朝位 真士
ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えできて心より感謝申し上げます。
私共の教会が1998年2月に献堂式を終えて、翌1999年12月19日(日)に第1回のクリスマス・チャペルコンサートで両先生をお迎えして、今年で14回目となります。12月のクリスマス・シーズンでお願いしていますが、今回はいつもより早く来てくださった感じがいたします。
先生方は各地で演奏会、礼拝、伝道会、聖会の御奉仕をしておられ、日本全国、北海道から九州・沖縄まで、また海外へも福音のためなら手弁当で行かれる、まさしく神の福音の伝道者です。ベアンテ先生は1951年スウェーデンのファルン市で誕生。12歳の時チェロを始められました。1967年~71年、ストックホルム王立音楽大学でグスタフ・グレンダール教授に師事。最優秀賞を受賞して卒業し、1971年~1972年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められました。最終的にフィンランド政府給費留学生として1979年首席で卒業されました。1980年から2011年3月までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在客員首席チェロ奏者として、室内楽等の演奏活動の他にチャペルコンサートをはじめとする宣教の働きに携わっておられます。フィンランド・ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、1992年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。インターアクト協力宣教師でもあられます。
ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。西ドイツ国立フォルクバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラス学ばれました。ベアンテ先生とペアで、各地で良い御奉仕を続けておられます。大いに先生方に期待して、神に栄光をあらわして行きましょう。
2012/11/25 週報メッセージ
朝位 真士
2012年11月22日(木)~23日(金)、桜美林大学多摩アカデミーヒルズで、「伝道するわたしー喜びに押し出されてー」というテーマで深井智朗先生(金城学院大学宗教主事・教授)の講演があった。内容は次の通り。
この内容を少しずつ実践していきたいと思う。
2012/11/11 週報メッセージ
牧会雑感
朝位 真士
「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレト3・1)
「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3・11)
ホ群セミナーが11月5日~7日迄、市川サンシティで開催され、全国からホ群関係の教職・信徒が100名以上集まりました。その際一人の地方からの役員と再会しました。彼は私共が依然奉仕したF教会の役員として牧師と上京されました。大学時代、元東大総長の矢内原忠雄先生の講演を聴き、内村鑑三著作全集を読み、クリスチャンとしての逞しい生き方に感銘を受けたようでした。卒業後、会社人間として休日返上で仕事に打ち込んでいました。その際、娘さんのピアノのレッスンで教会に通い、フミ子牧師がピアノを教えているうちに、彼も1~2ヶ月に1回ほど教会に通うようになりました。
1989年10月、会社の重要な地位を50歳で与えられ、自分を見直し、会社や人に真に役に立つ新たな生き方を模索しようと考えた結果、洗礼を決意され、1989年12月24日クリスマス礼拝で受洗をされました。無教会を唱える内村鑑三先生の生き方に共感を覚え、洗礼を受けないと決めていたようですが、内外にクリスチャン宣言をして自らを律していこうとの思いが与えられて受洗をされたようです。
現在はF教会の役員として、牧師の片腕として、また年老いた方の送迎を率先してされ、礼拝・伝道会(夕拝)・祈祷会に積極的に参加しておられるとのことです。彼の輝いた顔に私自身の信仰の在り方を反省させられました。
2012/11/4 週報メッセージ
召天者記念礼拝を迎えるにあたって
朝位 真士
「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」(ヘブライ11・16)
「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピ3・20)
葬儀後の記念の集いについては、私的・家族的な記念礼拝あるいは記念会が考えられます。特別の基準はありませんが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍した9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数・年数などによる考え方があったようです。死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に、「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるであろうからです。
教会として公同の記念礼拝をもつことは、聖徒の日(11月初め)、復活祭(3~5月)、地方によって8月中旬など、関係者が集まりやすい時を選んでいます。
今年は4人の方々が召天されました。一人目はA兄です。1月14日に召天されました。元NHKアナウンサーであり、大学教師として教鞭を取られ、アナウンサー教室の講師をされていたことをご遺族が語っておられました。二人目はK姉です。4月2日に召天されました。18歳で受洗して25歳でご結婚され、二子が与えられました。三人目はI兄で、6月3日に召天されました。奥様のお話では大変温厚なご主人であり、父親であられました。大学で金属の研究をされた方で、継続しておられたら大きな賞を得られたと思います。四人目はK姉です。7月1日に召天されました。お元気な時は、ご主人と礼拝・祈祷会に出席しておられたということが、K姉のお手紙に書いてありました。
四人の方々のご遺族ならびに今日記念礼拝を迎えておられる一人一人の上に神の祝福をお祈りいたします。
2012/10/28 週報メッセージ
宗教改革記念日に想う
朝位 真士
「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧師、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは、奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4・11~13)
10月31日は宗教改革記念日である。1517年10月31日、マルチン・ルターは、自らの純粋な宗教的心情からローマ教会の反省を求め、「罪の赦しはどこまでも、イエス・キリストの十字架を信じる信仰にあり、免罪符によっても、金銭によっても赦されることはありえず、教皇や教会にはその権威はなく、その力もない」と、ヴィテンブルグ城教会で95ヶ条提題を当時のカトリック教会に提出した。宗教改革記念日の起源である。
プロテスタントの三大原理は、①聖書のみ、②万人祭司、③信仰のみ、である。「私は福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ1・16~17)「正しい者は信仰によって生きる。」「生きる」とは「救われて生きる」といういみであり、「信仰によって」は、「信じるすべの人」に相対している。「義人」とは神の義を与えられた人のことである。救いを受ける上でキリストにおいて与えられる神の義にのみより頼む信仰は、主にのみより頼む旧約と本質的に同一のものである。私たちは、行為によって、善行難行して救われるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって救われるのである。
2012/10/21 週報メッセージ
朝位 真士
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられる。」(Ⅱテモテ2・4)
伝道の秋、収穫の秋となりました。私たちクリスチャンは、今こそ救われる人が与えられることを祈る時期だと思います。
キリスト教の基本的な教理を、パウロがⅠコリント15・3で語っています。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。」キリスト教福音の要素はキリストの十字架の死と復活です。それと同時に、聖書の中に記されているように、復活して四十日間地上の生活をされて、天に昇り、十日目に聖霊という姿で降って来られて、信ずる者と共にいつも一緒に臨在しておられるイエス・キリスト様です。
私は18歳で受洗して、51年目になりますが、今静かに人生を振り返ってみて、本当にあの若いときに神様を信じて受洗させていただき、大変幸福です。現在非行少年の施設で毎月1回、教養講話という時間が与えられて、十代の少年達に人生に於いて最も大切なことについて語っています。彼女達に語っていると、51年前に、あの若いときに救われた感動と感謝が湧き上がってまいります。
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」(コヘレト12・1) ハレルヤ!!