「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2014/2/9 週報メッセージ

   研究会Fグループの発題を聞いて
                                                               朝位 真士
 私は過日「断食聖会」においてY牧師の「日本ではなぜ福音宣教が実
を結ばなかったか」という発題を聞いた。5人の共同研究者による研究
発表を小冊子にまとめたもので、著者の一人S牧師の許可を得て、もう
一度日本宣教の弱点を考えてみたい。簡単に記すと3つの論点になる。
 (1)キリストの心を具体化していない教会であったから。①聖書に基
づかない教会。②日本社会に迎合している。③知的信仰に偏った。④伝
道・運営がへた。⑤教会の疲弊・閉塞感。
 (2)島国的劣等感の束縛。①日本社会から教会が離れ過ぎた。②日本
人の和魂洋才。③島国という特性から来る問題。④クリスチャンの西洋
コンプレックス、排他性、閉鎖性。⑤敗戦による縮み。
 (3)牧師・指導者が未熟だった。①牧師・指導者の心が狭い。②牧師
の説教が悪い。③牧師の伝道力が弱い。④神学教師・牧師の実践神学が
弱い。⑤用語の選択を誤った。
 以上のような内容であった。5人の共同研究者のうち2人は、私が個
人的に親しい方である。私共の教会にも毎年チャペル・コンサートに講
師として来られているK牧師である。私はこの共同研究の発題を聞き、
本を著者より取り寄せた。もう一度自分の牧会者・伝道者としてのあり
かたを考えさせられた。

2014/2/2 週報メッセージ

   神の国は近づいた
                                                             朝位 真士
  マルコ1章14節~15節に「ヨハネが捕らえられた後、イエスは、
ガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づい
た。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」と記されている。並行
記事はマタイ4・12~17、ルカ4・14~15に記載されている。
 バプテスマのヨハネが捕らえられた後、イエスはナザレから出て、本
格的な宣教活動を始められた。マルコは力強く簡潔な文章でその様子を
描いている。イエスの宣教活動は、第一に神の国の宣言である(マルコ
1・14~15)。ここにイエスのメッセージが美しくまとめられている。
歴史は大きな川の流れのようなものであり、その底流には神の時がある。
特に二つの時が重要である。一つはイエスの誕生の時であり、もう一つは
キリストが再臨される時である。イエスの誕生によって、神はこの世に
人の姿をとって現れ、その時から神の国の支配が始まった。イエスは
「時は満ちた」と言われた。それは、いよいよ神の支配が現実となる
素晴らしい瞬間であった。神の定められた時が満ち(ガラ4・4)、
神の国が近づいたのである。
 イエスは、地上の権力を意識しながら、神の国を宣言された。私たち
はこの「神の国が近づいた」時、キリストの再臨、世の終末の時に、神
に会う備えをいたしましょう。

2014/1/26 週報メッセージ

   忍び込む異端
                                                                                                           朝位 真士
  先日第16回「断食祈祷聖会2014」に出席した。全期間は出席できなかったが、2日間出席することが許された。「福音宣教を阻んでいる理由」を山口陽一先生が、「次世代育成のために」を三浦真信先生が、「地方教会の課題」を吉永輝次先生が、「忍び込む異端」を趙南沫先生が語られた。各講演とも大変意味のある興味深い内容であった。しかし特に「忍び込む異端」というテーマが心に残った。趙先生は韓国の牧師で、日本の川崎で招待キリスト教会を開拓されて、現在日本福音同盟(JEA)宣教委員をしておられる。先生の講演内容が非常に興味深いので、皆さんにその内容の一部をご紹介させていただく。
 現代韓国では多くの異端が流行している。キリスト教の名を語り、聖書の正統的解釈とは違い、自分勝手に解釈し、信仰内容も人間の興味ある内容にして、多くの人を惑わしている。特に既成教会に侵入してやってくるそうだ。たとえば、「牧師の説教を批判して人心を惑わし、もっと素晴らしい先生をお呼びしましょうと言って、牧師を排斥する運動を静かに働きかけ、多くの信者を惑わして教会を分裂させ、教会を乗っ取り、キリスト教とは全く異質の内容を含み、正統的信仰を迷わせ、人々を騙して、キリスト教信仰から外れて異端へと導き、サタンの手下になってしまった教会が韓国に多くあり、また日本にも忍び込んでいる異端がある」ということを聞いて驚いた。
 桜ヶ丘教会の皆様、こういう思想に惑わされずに、聖書信仰に立脚し、祈り、各集会(礼拝、祈祷会、例会)に励み、御国に行くまで主の忠実な僕として歩んでまいろうではありませんか。もし教会を欠席している方々でそのような異端に迷わされている方がおられたら、その方のためにも密室でお祈りいたしましょう。(Ⅱペトロ2・1~3)

2014/1/19 週報メッセージ

   マルコ福音書の学びに際して                                                                 
                                                                                                           朝位 真士
  二〇一四年よりマルコ福音書を礼拝で学ぶことを、神から示された。それに先立って、マルコ福音書について学ぶに際して、いくつかの事を予備知識として述べてみたいと思う。マルコ福音書の資料はだいたい四つに分類できる。①「例話」で、断食問題(二・一八~二二)、安息日の摘穂(二・二三~二八)、子供の祝福(一〇・一三~一六)など。②「奇跡物語」で、暴風(四・三五~四一)、墓場の男(五・一~二〇)、ヤイロの娘(五・二一~二四、三五~四三)など。③「訓言」で、着物と皮袋(二・二一~二二)、聖霊をけがす者(三・二七~三〇)、種まきのたとえ(四・二九)など。④「聖伝」で、洗礼(一・九~一〇)、変容(九・二~九)、荒野の試み(一・一二~一三)など。その目的には第一に宣教があった。
 「神の子」は本書では四回用いられており(三・一一、五・七、一四・六一、一五・三九)、この他に、洗礼の時(一・一一)、変容の時(九・七)、黙示録再臨に関する言葉(一三・三二)に現れているのも合わせ考えられる。
神とイエスとの関係は、父と子の関係であり、イエスにおいて超越的神の力が現れている。旧約において、イスラエルや国王が神の子と呼ばれ、他の宗教でもそのような用法があるが、マルコにおいては、イエスは真に神の性質を備えた神の子であって、救い主であることを意味している。イエス・キリストの福音は、イエスの宣べ伝えた福音であるとともに、イエスによって到来した福音でもある。イエスによって到来した福音でもある、イエスの地上活動の使命は、福音を宣教することであり、しかもそれは神の国の福音を宣教することであった(一・
一四~一五)。
 メッセージのためにお祈りください。

2014/1/12 週報メッセージ

   2014年ホ群新年聖会に出席して
                                                                                                           朝位 真士
  主題「上にあるものを求めなさい」(コロサイ3・1)。日時は2014年1月2日(木)13時30分(聖会Ⅰ)・16時00分(聖会Ⅱ)。会場は教団東調布教会。聖会Ⅰの説教浅田美由紀師(浦和別所教会)、司会山田称子師(浦和別所教会)、立証澤田大河兄(宇都宮上町教会)、音楽ユース。聖会Ⅱの説教横山義孝師(東京聖書学校)、司会大友英樹師(赤羽教会)、立証亀井拓也神学生(4年)、音楽東京聖書学校。
 以上のプログラムでホ群首都圏新年聖会が行われた。関東地区14教会、東京地区11教会、千葉地区3教会、神奈川地区1教会、東海地区6教会で、95名の出席。献金は2回合計で187、725円あった。
 聖会Ⅰにおいて、浅田美由紀師がローマ8章31~39節を通して「何によっても引き離されない」というテーマで語ってくださった。若くてフレッシュな夫人牧師で、KGK(キリスト者学生会)の主事として大学生に宣教活動をされている。先生は2つのことについて語られた。①きよめについてのテーマ説教。②1年の始めにあたって。ローマ書8章31~39節について論理的に明快に語ってくださった。信仰も考え方も、若さは素晴らしいと感じた。
 聖会Ⅱでは、横山義孝師(東京聖書学校副校長)がコロサイ1章24節~29節を通して「栄光の希望ーこのキリストを伝える」というテーマで語られた。伝道者として60年以上牧会しておられる先生の87歳とは思えない力強いメッセージであり、若い(私70歳)者に対して大きなチャレンジを与えられた。
 聖会委員の一人として、今回の聖会は、私の人生のスターティング・メッセージでもあった。

2014/1/5 週報メッセージ

   2014年与えられた聖句
                                                                                                           朝位 真士
  新年あけましておめでとうございます。新年のメッセージを祈っていましたら、2014年の聖書箇所が与えられました。使徒2章14~21節です。テーマは「若者は幻を見、老人は夢を見る」が与えられました。桜ヶ丘教会は創立90周年となり、「桜ヶ丘教会創立90周年記念誌」を発行することを役員会で計画しているところであります。どうぞお祈りとご協力をよろしくお願いいたします。
 さて右の聖句について少し述べてみたいと思います。使徒2章17~21節はヨエル書の預言であり、ペンテコステの時にその預言が成就したと語っています。ヨエルは、神はユダヤのすべての人々に「霊」を注がれると語っています(ヨエル3・1)。これがヨエル書の信仰の根本であり、ヨエル書の預言が黙示的性格を持っているという根拠です。このヨエル書の預言が、新約聖書では「聖霊降臨」の預言として引用されていることは良く知られています。詳訳聖書を引用すると、「すなわち神は仰せられる。終わりの時代には、私の霊を、すべての人々に注ぐ。あなたたちのむすこ、娘は預言し、(神のみ旨を告げ)、あなたたちの若者たちは、幻(すなわち神が与えられる幻)を見、あなたたちの老人たちは(神の示しによる)夢を見るようになる」とあります。
 箴言29章18節には「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである」(共同訳)とあります。2014年がどのような年になるか、私には全く予想もつきません。しかし、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ8章28節)とあるように、今年も主の最善を信じてまいりましょう。

2014/1/1 週報メッセージ

   2014年を迎えて
                                                                                                           朝位 真士
  2014年を迎えて2つの聖句が与えられました。ヨハネ15章5節「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」と、使徒2章17節c「若者は幻を見、老人は夢を見る。」という2つです。
 2013年は桜ヶ丘教会が開拓されて90周年になりました。1923年6月1日、初代牧師である板井先生が開拓されて、桜ヶ丘教会が誕生しました。今まで多くの牧師、信徒達によって、苦難の歴史を乗り越えてきた教会ですが、1975年、パールハイツ桜上水というマンションに、西海静雄先生、満希子先生(現在越生教会)によって教会独自の会堂が与えられ、その後宗教法人格を取得しました。1997年12月17日、新会堂が与えられ、今日に至ります。現住陪餐会員の半数近くが天国に行かれ、現在残っている会員、求道者の方々と共に教会の業が進められています。先ほどの聖句より「実を結ぶ生活」という標語が与えられ、目標として①個人信仰の確立、②全家族の救い、③個人伝道による教勢倍加が与えられていますが、未だ目標は達成されていません。
 現代社会を見ますと、夢も希望も喜びも幻もない時代のように思われます。現実ばかりに目を向けると、将来は真っ暗です。しかし信仰をもって現実を静観すると、老若男女に夢と幻が与えられると信じたいし、祈って進みたく存じます。確かに何が起こっても不思議ではない時代ですが、「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」(箴言19・21)とあるように、全能なる神、イエス・キリストの父なる神に期待して前進してまいりましょう。

2013/12/29 週報メッセージ

   2013年をふり返って
                                                                                                         朝位 真士
  「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」(ヘブライ12・14)という聖句が与えられた。信仰生活において霊的力が発揮されず疲れてしまう場合、人間関係がうまくいっていないことがある。だからすべての人と平和に過ごすことが大切で、それを追い求めるようにと勧められている。聖書における平和は2つの意味をもっている。第一は人間が持つことのできる最大の幸福、最高の善である。第二に、平和は人と人との正しい関係を意味している。平和とは、憎しみがなく、互いに他者の益のみを図り、愛と赦しと奉仕によって相互に結ばれている状態である。平和は努力と訓練を通して生み出されるものであることを教える。
 「また生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」クリスチャンの規準、行動、理想、報酬、目標はこの世の人とは異なっている。
 私がこの2013年をふり返って静かに考えるのは、自然災害が多かったということである。台風があり、夏は暑く、冬は寒く、天候の変化が激しい年であり、日本並びに世界に於いて災害が多くあった。また私の知人、友人が4人も召天され、何人かは今重態の中にある。病気、高齢、仕事、魂の病気などで教会を離れる人も目立った。しかし1人の青年が受洗をし、若い役員が選出され、創立90周年記念誌発行計画(1923年6月1日創立)が役員会で進められている。皆様方のご協力を願う次第である。5月には会堂外装がなされ、外側は少し美しくなった。これから中を充実させていかなくてはならない。
 将来の桜ヶ丘教会のために、信者も未信者もご協力いただき、開かれた教会として地域に根付いて行きたい。そして「世の光、地の塩」としての使命を果たして行きたいと祈っている。

2013/12/15 週報メッセージ

   クリスマス・チャペルコンサート
                                                                                                        朝位 真士
  ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生を今年もお迎えできて、心より感謝申し上げます。
 私共の教会は1923年6月1日に板井康裕先生が開拓され、今年で90周年になります。1998年2月に新会堂の献堂式が行われ15年経過しました。先生方は1999年12月19日(日)の第1回のクリスマス・チャペルコンサートから続けて御用してくださり、今年で15回目になります。先生方は各地で演奏会、礼拝、伝道会、聖会の御奉仕をしておられ、日本全国、北海道から九州・沖縄まで、また海外へも福音宣教のため手弁当で行かれます。単独でお迎えできることを感謝しています。
  ベアンテ先生は1951年スウェーデンのファルン市で誕生。12歳の時チェロを始められました。1967年~
71年、ストックホルム王立音楽大学でグスタフ・グレンダール教授に師事。最優秀章を受賞して卒業し、1971年~72年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められました。最終的にはフィンランド政府給費留学生として1979年首席で卒業されました。1980年から2011年3月までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在客員チェロ奏者として室内楽等の演奏活動の他に、チャペル・コンサートを始めとする宣教の働きに携わっておられます。フィンランド・ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、1992
年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。インターアクト協力宣教師でもあられます。
 ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。西ドイツ国立フォルクバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれました。ベアンテ先生と一緒に、各地で良い奉仕を続けておられます。
 今日はサムエル記上22章1~5節と詩編142編3節aより、「主はわたしの助け主」という題でメッセージを語ってくださいます。               

2013/12/22 週報メッセージ

   2013年クリスマスを迎えて
                                                                                                           朝位 真士
  「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1章23節)2013年度のクリスマスを迎えることができて感謝します。
 アドヴェントの4本のローソクが点灯しました。1本目は「希望」を、2本目は「ゆるし」を、3本目は「喜び」を、4本目は「神の愛」を表します。クリスマスの3Lがあります。①ライトー光。②ライフー命。③ラブー神の愛。またキリスト教信仰には4つの柱があると言われます。①創造信仰。②インマヌエル(神は我々と共におられる)の信仰。③十字架の信仰。④復活の信仰。教団のP牧師がクリスマス・メッセージで語っておられたことが私の心に強くとどまりました。
 2013年12月24日を迎えると、私は信仰をもって52年になります。高校生の時、友人の誘いによって初めて九州の教会に導かれて、洗礼を受けました。私を導いてくれて友人は、今は天国に行っています。しかし、彼の子供たちも信仰をもち、父の遺志を継承していることは何と素晴らしいことでしょうか。「はっきり言っておく。1粒の麦は、地に落ちて死ななければ、1粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12章24節)「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16章31節) 
 今年は私の知人が4人召天されました。3人の牧師と1人の親類です。世の終わりが近づいてきている今頃です。このクリスマス・シーズンに教会に来られて、救い主の降誕の意味を聞いて、信じて、信仰の決断をなさいませんか。私共は皆様方のご来場を心よりお祈りして、お待ちいたします。