「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2016/1/24 週報メッセージ

   「断食祈祷聖会二〇一六」に出席してⅡ
                                                             朝位 真士
 
 先週に引き続き、深谷春男師が「ヒュぺル・ニコメン(輝かしい勝利)」と題し、ローマ八・三四~三九を通して語られたことを記します。
 
  この題の言葉は、新共同訳で「輝かしい勝利」と訳されています。「ニコメン」が「勝利する」で、「ヒュペル」は
 「超」というような意味で使用される接頭辞です。「超勝利者となる」「輝かしい勝利」「勝利者以上」「ゆうゆうと
 勝つ」というような「圧倒的勝利者」になるのは「わたしたちを愛してくださる方による」とパウロは言います。これ
 はまさに、わたしたちの罪のために十字架にかかって罪を滅ぼし、復活して死を打ち砕かれた主イエスと父な
 る神の愛によるのであります。パウロの念頭には「個人の救い」の項目の内容を閉じるに当たり、三章二一節
 以降この八章まで語り続けた救いの内容が駆け巡っているように思います。すなわち「十字架の贖罪」(ロー
 マ八・二)を中心とした「永遠の命」「肉体の復活」「万物の復興」「神の最善の摂理の御手」「神の予定」「再臨
 のキリストと共なる栄光」等々の神の恩寵が語られてきたのです。二〇一七年に「宗教改革五〇〇周年記念
 の年」を迎えます。わたしたちプロテスタント教会にとって実に意義深い年になることと思います。神の臨在と
 神の御言葉にサンドイッチされた圧倒的に勝利的な人生、神の愛へと変容された信仰の高嶺を共に歩みたい
 ものです。ハレルヤ!!
 
  他に、「伝道者・牧師の人材育成」(西岡義行師)、「日本宣教の特殊性と活用法」(清野勝男師)、「アジアとイスラム圏宣教」(奥山実師)、「キッズ・ミニストリー」(西村希望師)、「高齢者宣教」(中島真樹師)が語られました。私はこの断食聖会に部分的参加が許され、人数は少数でしたが日本宣教のため、リバイバルのために真剣に断食して祈られている教職・信徒の方々の姿に強いインパクトを感じ、二〇一六年も開拓精神をもって宣教・牧会に励んでいきたいと神の前に祈らされ、感謝でした。

2016/1/17 週報メッセージ

   「断食祈祷聖会2016」に出席して                                                                                                                                                                    朝位 真士
  1月11日~12日迄、東京中央教会で行われた断食祈祷聖会に、部分的ですが参加することができて感謝でした。多くのことを学ばされましたが、「21世紀宣教の課題」として天野弘昌先生が語られたことを記します。
 
  プロテスタント宣教が日本で始められて百五十数年が経過しましたが、同時期に宣教が開始された韓国で
 は30~40%のクリスチャン人口になり、また中国のキリスト教化は2030年には5~6億に至ると予想する
 人もいます。日本宣教の深刻な惨憺たる現状は、何が要因にあるのでしょうか。様々な研究、検証が宣教研
 究の学者やエキスパートによって課題や提言が発表されています。しかし厳しい現実が横たわり、未だ大きな
 変化はありません。
  それは、神の時カイロスでした。米国やカナダに今や中華系の人々が溢れ、考えられないほどの主や聖書
 への飢え渇き、家族単位の救いに圧倒されました。自らの人生、生涯を、涙を流して主に献げる聖い姿で、想
 像を絶する違いに驚愕し、畏敬の念を持ち、おそらく彼らの心の土壌に違いがあるのでしょうか。まるで四つの
 種の譬えにある、良い土地に蒔かれた種のように感じました。またその働きの中、出エジプト3・7~9が響きま
 した。「民の悩みを確かに見、……彼らの叫びを聞いた。……しいたげを見た。」さらにマルコ1・15の「時が満
 ち、神の国は近くなった。……」主は今も生きて働き、その御国をもってあまねく全地を見渡しておられる方で
 す。今こそ、祖国の霊的に深刻な実情を憂い、祈り叫び、真摯に執り成していくことが問われているのではな
 いでしょうか。
  黙示3・15~21にある、ラオデキヤにある教会のようならば、私たちは「実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲
 目で、裸な者であることを知らない。……」まさに霊的覚醒がなされるため、主からの目薬が必要なのでしょう
 か。                                                               

2016/1/10 週報メッセージ

   2016年の標語について
                                                                                                           朝位 真士
  今年は詩126編全体の御言葉が与えられましたが、特に「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」(5~6節)に注目し、「涙と共に種を蒔く人は、刈り入れる」を標語とします。私共も主にある希望を抱き、福音の「種蒔く人」にならねばなりません。涙をもって祈って蒔いた種は決して無駄にはなりません。必ず収穫(救われる人)を喜ぶ時が来るのを信じ、時を得るも得ざるも励んで証しすべきです。(コヘレト11・1~6、Ⅱテモテ4・2)
 話は変わりますが、最近ハイデルベルク信仰問答を読んでいて「感謝について」の項目が目につき、教えられました。「問86、わたしたちが自分の悲惨さから、自分のいかなる功績にもよらず、恵みによりキリストを通して救われているならば、なぜわたしたちは善い行いをしなければならないのですか。答、なぜなら、キリストは、その血によってわたしたちを御自身のかたちへと生まれ変わらせてもくださるからです。それは、わたしたちがその恵みに対して全生活にわたって神に感謝を表し、この方がわたしたちによって讃美されるためです。さらに、わたしたちが自分の信仰をその実によって自ら確かめ、わたしたちの敬虔な歩みによって、わたしたちの隣人をもキリストに導くためです」とあります。とくに「全生活にわたって神に感謝を表し」という所で、ローマ6・13、12・1~2、Ⅰペトロ2・5~10が引用されています。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」とあります。感謝の生活は、全生活を神に献げることによってなすことができます。今年1年、感謝の思いをもって、まだ救われていない人々に福音の種を蒔き、神の収穫にあずかりたいと祈るものです。

2016/1/3 週報メッセージ

   喜びの歌と共に刈り入れる
                                                                                                        朝位 真士
  新年あけましておめでとうございます。今年は詩編126編全体が与えられました。1~3節には、バビロン捕囚からの帰還と驚きと喜びが語られています。4~6節には、喜びの歌を歌いながら連れ帰ると語っています。特に5~6節「涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた種を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」「涙と共に種を蒔く人」たちはウガリツト(エジプトの古い宗教的神話において、種を蒔く時は肥沃の神の死と結び付けられ、収穫はその神の再生と結び付けられた)と言われる。ウガリツトは、地中海東岸、現在のシリア・アラブ共和国西部の都市ラス・シャムラにあった古代都市国家です。
 今日の農作業と違って、当時の種蒔きは容易なことではなかったでしょう。「種の袋を背負い、泣きながら出て行った人」と言われる「出て行った」とは、「行く」という動詞が重ねられて強調されています。重い足を引きずりながら、やっとの思いで出かけて行ったという足取りを想像することができます。しかしその重荷を背負った者だけが、豊かな収穫の「喜び」にあずかるのです。5~6節には「喜びの歌」も繰り返されています。民族の歴史と同じように、個人の生活の断片が深刻な危機(涙をもって種蒔くこと)の中から開始します。ですがその際、終点でその人の持っているものは、素晴らしい人生の大逆転であると言われるとおりです。
 捕囚からの帰還の背景には、どれだけの人々の涙と労苦があったことでしょうか。神は私たちの労苦を覚え、その涙を革袋に蓄えてくださるお方(詩65・9)なのです。私たちも主にある希望を抱いて、福音の「種蒔く人」にならねばなりません。いかに熱心に伝道しても、さらに効果が見えなくても、失望すべきではありません。涙をもって祈って蒔いた福音の種は決して無駄にはなりません。必ず収穫を喜ぶ時が来るのを信じ、時を得るも得ざるも励んで証しすべきです。(コヘレト11・1~6、Ⅱテモテ4・2)

2016/1/1 週報メッセージ

      2016年を迎えて
                                                                                                          朝位 真士
 
  2016年を迎えて二つの聖句が与えられました。一つは昨年に引き続きⅠコリント3章7節「大切なのは植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」二つは、詩編126編ですが、特に「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた種を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」(5~6節)です。
 2016年は桜ヶ丘教会が開拓されて93年目に入ります。1923年6月1日、初代牧師である故板井康裕先生が開拓されて、今日まで多くの牧師、伝道師、信徒、求道者たちによって苦難の歴史を乗り越えてきた教会ですが、1975年故西海静雄先生、満希子先生(現越生教会牧師、東京聖書学校教授)によって杉並区にあるパールハイツ桜上水というマンションに独自の会堂が与えられ、その後宗教法人格を取得しました。1997年12月17日、現在地である下高井戸3ー2ー9に59坪の土地と新会堂が与えられ今日に至ります。現住陪餐会員の半数以上の方々が天国に行かれ、2015年も二人の方々を天国に送りました。一人の方が受洗されて新しいメンバーが加えられ、いよいよ百周年に向かって桜ヶ丘教会丸も航海しています。
 そのような昨年より祈り求めていましたら、右の如く詩編126編が与えられました。一つで申しますならば、「初心忘るべからず」、つまり開拓伝道の精神と教会形成(信者の養成)を二本立で、皆様方と共に主の僕として前進していきたいと思います。それには祈祷目標、①個人信仰の確立、②全家族の救い、③個人伝道による教勢倍加にそって祈っていくことです。また、桜ヶ丘教会の伝統的意志を持ち、この時代に適応した伝道・宣教・教会形成を実践できる後任の牧師が与えられるように、皆様お祈りとご協力をお願い申しあげます。

2015/12/27 週報メッセージ

   2015年をふり返って
                                                                                                           朝位 真士
 
  「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(Ⅰコリ3・6)という聖句が与えられ、「成長させてくださる神」というテーマで1年間過ごしてまいりました。教会の年度は四4から3月までで、2015年度はあと3ヶ月ありますが、この9ヶ月間をふり返るといろいろなことがありました。
 定期総会が4月19日にあり、5月24日、ペンテコステ礼拝(22名)。6月7日、創立92周年記念集会に岸義紘先生をお迎えし、57名の出席。8月17日に、私共の長老である松下慶夫兄が召天されました。享年88歳9ヶ月でした。長く会計役員として、特に会堂建設の際には会計責任者として重責を果たされました。私共の教会にとってかけがいのないお方でした。不可能と思える会堂建設では、信仰的決断を持って積極的にご奉仕してくださり、物心両面の必要が満たされたのは松下兄の信仰的積極性の故だったと感謝しています。
 9月3日、竹下永子姉が召天されました。ご遺族のご希望で密葬が行われました。教会の婦人会の中心メンバー、聖歌隊のメンバーとして関わってくださり、特に気配りの方でした。どんな方にも分け隔てをせず、やさしく接してくださいました。また教会の標語、聖句を毎年書いてくださいました。本当に教会のためによく奉仕をされる方でした。最後の頃に私が訪問しましたら、平安な顔をされて、自分の葬儀の際の聖句や讃美歌を指示され、まるで生前葬のような感じでした。
 もう一つ特記すべきは、スマイル合唱団に会場提供させていただき、特別集会等をご案内しています。近所の方が一人でも桜ヶ丘教会に連なって欲しいと祈っています。

2015/12/20 週報メッセージ

   大きな喜び                                                                 
                                                                                                          朝位 真士
  「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2・10~11節)
 クリスマスのメッセージを一言で表現した聖句です。2015年クリスマスおめでとうございます。私はさる12月15日付のアパルームの解説文に「大きな喜び」という適切な文章を見つけたので転記します。
 
  マリアは子を産むと知らされたあと、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたた
 えます」(ルカ1・47)と歌い、羊飼いたちが御子キリストを見出した時、「神をあがめ、賛美しながら」
 (ルカ2・20)野に帰って行きました。学者たちがイエス様を見出した時、「学者たちはその星を見て喜び
 にあふれた」とあります。私たちはクリスマスの真実を理解した時、非常な喜びを見出します。その喜びは長
 く続き、活力に満ち、魂を強め、心温まる喜びです。神がどのような方かを私たちに示すために、イエス様は
 来られました。主は絶えず私たちの益となるように働かれ、私たちのために死ぬこともいとわれませんでした。
  私たちは神の愛の現れとしてキリストを見る時、私たちは神の不動の愛から流れ出る喜びを見出します。私
 たちはショッピングモールで楽しみや気晴らしを見つけるかもしれませんが、飼い葉桶では喜びを見出しま
 す。
 
 先週も語りましたが、クリスマスはイエス・キリストの誕生を喜び祝う時であります。天使はこのことによって旧約聖書の預言が実現するのだと告げました。おとめが身ごもって子を産み、その子がインマヌエル「神は我々と共におられる」という意味です。クリスマスの喜びとは「イエスの誕生によって、神が私たちと共にいてくださることが実現した大きな喜び」なのです。             

2015/12/13 週報メッセージ

   クリスマスを迎えて
                                                                                                           朝位 真士
 
  今年もクリスマスを迎えることができて感謝しています。私は1961年12月24日(日)のクリスマス礼拝に受洗させていただき、54年が経過します。私の心の中に一番強く残っている御言葉はヨハネ3章16節「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(口語訳)です。特に「神は……世を愛された」という「神の愛」です。神が愛に満ちたお方であるということは聖書の一貫したメッセージです。人間はそうした神の期待を裏切りました。しかし、神はそのように背いた人間をただちに滅ぼしませんでした。「世を愛された」とありますが、これは「人間を愛された」と言い換えてもよいかと思います。もう少し具体的に言うならば、「この朝位真士を愛して下さった」ということです。「世」はイエス・キリストを憎み、「肉の欲・目の欲・暮らし向きの自慢」などをもって人を神から引き離そうと誘惑します。そうした世の背後には「世の支配者」である悪魔(サタン)の存在があります。したがって、悪魔に惑わされて神に背いている私たち人間を、神が愛してくださったということです。
 クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う喜びの時です。インマヌエルとは「神は我々と共におられる」という意味です。クリスマスの喜びとは、「イエスの誕生によって、神が私たちと共にいてくださることが実現した」喜びなのです。伝道が振るわない私たちの現実にあって改めて見直されるべきは、家族への信仰継承です。何を伝え語るべきなのか問われると思います。そういう意味で、来週のクリスマス礼拝ならびに祝会は家族で祝う絶好のタイミングではないでしょうか。この機会に教会にお連れされることを心より願っています。

2015/12/6 週報メッセージ

   クリスマス・チャペルコンサート
                                                                                                           朝位 真士
 
  今年もベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えできて、心より感謝申し上げます。先生方は1999年12月
19日(日)の第1回クリスマス・チャペルコンサートから続けてくださり、今年で17回目になります。
 ベアンテ先生は1951年スウェーデンのファルン市で誕生。12歳の時チェロを始められ、1967~71年ストックホルム王立音楽大学でグスタフ・グレンダール教授に師事。最優秀賞を受賞して卒業。1971~72年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められ、最終的にはフィンランド政府給費留学生として1979年シベリウス・アカデミー大学院を首席で卒業。1980年から2011年3月までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在客員チェロ奏者として室内楽等の演奏活動の他に、チャペル・コンサートをはじめとする宣教の働きに携わっておられます。またフィンランド・ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、1992年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。インターアクト協力宣教師でもあられます。ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。西ドイツ国立フォルンバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれ、ベアンテ先生と共に各地で良い奉仕を続けておられます。
  今日のメッセージ箇所は、ルカ1章26~33節、「マリヤ、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」題は「永遠に変わらない恵み」です。先生方は毎年来られるまで祈って準備をされて、神様からメッセージをいただいたと思います。2015年のこの礼拝メッセージが、私共にとって記念すべきものになるように心よりお祈りしたいと思います。

2015/11/29 週報メッセージ

   「セレブレーション・オブ・ラブ」に出席して   
                                                                                                          朝位 真士
  さる11月20日(金)から22日(日)まで3日間、日本武道館でビリーグラハム伝道協会の協力による「セレブレーション・オブ・ラブ with フランクリン・グラハム」が開催された。私は3日間出席できたことを感謝している。ビリー・グラハム師の息子であるフランクリン師が聖書の中心的なメッセージを明確に語った。
 その他に、マイケル・W・スミス、トミー・クーム・バンド、デニス・アガジャニアン、レーナ・マリヤなど多様なジャンルの音楽ゲストが、賛美歌・ゴスペルソング・キリスト教音楽を歌い奏でた。レーナさんは両腕がないというハンディを乗り越え、イエス・キリストに出会った喜びを歌うゴスペルシンガーで、日本のテレビで紹介されたことがきっかけで何度も来日し、多くの人々を励ましている。私も三十数年前に福岡でレーナさんに初めてお会いした時から、素晴らしい賛美と証しに感動したものだが、今回も新たな感動をもって証しと賛美を聴くことができた。マイケル・W・スミスは歌手であり、作詞家であるが、1500万枚以上のアルバムを販売し、28回もトップチャートで第1位に輝き、グラミー賞を3回、アメリカ音楽賞を1回、ドーブ賞を40回以上受賞された世界のトップアーティストである。キリストの証人にふさわしく、すべて主の栄光のために証しと賛美をしていた。
 フランクリン師は「神様は日本を愛している。神様の福音を伝えるために、私は日本に来ました。」と語った。本当に聖書の言葉を平易に力強く確信をもって語られた。インターネットでも配信されたというが、日本での4年間の祈りと準備と、多くの信徒の方々と教会の協力があり、世界中の方々が日本のために祈っていることを感じた。毎回1万人近い方々が集まり、数百人の方々が新たな決心をして講壇の前に出た。教会からは10名の方々が出席された。私はもう一度信仰の原点に帰ったようで、救霊のために再献身を神に誓った。