榊原紀惠子 のすべての投稿

8月の空

イメージ 1写真:K/Kさん提供
毎日暑い日々が続いています。
7月も過ぎてしまうと、何故か心残りがして、今年の7月ともお別れなのだと、猛暑の中で、あれやこれや考えるものですね。
思えば、私達の人生は、アッと言う間に1年が過ぎて、年齢ばかりが足し算されて行くような感じもします。
それでも、主とともに歩む事は、何と幸いな事でしょう。全てを受け入れていただき、失敗からは学ぶ事を教えていただき、怠惰に過ごしてしまった後も諦めないで希望を持つことの大切さをもう一度考えるように導いてくださいます。
 
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3章16節
 
7月27日の礼拝のお話の箇所でした。
聖書の御言葉の恵みを、当たり前のように受けられる時代に生きる者として、これらの言葉を、心に刻み、味わって過ごすことの素晴らしさを考えながら、教会生活ができたら幸いですね。
 
 
 

2014/7/27 週報メッセージ

   最近考えている事
                                                                                                        朝位 真士
  教会についてここ2~3回書いていることを今回も語ってみましょう。エペソ人への手紙に「このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、聖なる神のすまいとなるのである」(1章21~22節)と記されています。今回も『教会論入門』(桑田秀延著)より引用させていただき、考えてゆきたいと思います。
 
  この世界にあるキリスト者のあり方は、個人キリスト者が聖書を読んで信仰に生きるというだけでなく、教
 会という信仰の共同体として1900年の間歴史の中で戦いつづけてきた信仰の群れの流れの中へ、自分も教
 会も教団も明確な信仰をもって参加するという、教会信仰の生きた意識がたいせつです。キリスト者は単なる
 個人キリスト者としてあるのでなく、昔からあり今日あり主の再臨まで至る主の教会のメンバーとしてその中
 であるべきです。今日世界に存在するキリスト教会は大別するとロマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、プ
 ロテスタント教会となります。宗教哲学者トレルチは、歴史上のキリスト教を教会型と分派型と神秘主義の三
 類型に分けています。
  教会型の教会というのは、内面だけでなく現れた面にも意を注ぎ、教会が一つの組織体に形成されることを
 重んずる型の教会と見てよい。この教会の利点は、一つの組織体として形成され、個々の教会、教職信徒み
 なが、そのもとに統一せられていることです。欠点は、内なる信仰的生命が伴わないで、形成された儀式や教
 義のみが横行するようになる危険性があります。
  分派型の教会は、ヨーロッパでは教派と同義に用いている。よい点は、外形より内的生命を重んずるが、同
 時に熱狂的で既存の教会や社会に対して非協力的で、極端な思想や行動となって現れる場合がある。
                                                                つづく

2014/7/20 週報メッセージ

   最近考えている事
                                                                                                       朝位 真士
  先週よりの続きですが、「教会」とは何かというテーマに対して参考になる、『教会論入門』(桑田秀延著)を見ていきたいと思います。今回は「教会は、常識によってでなく聖霊により、信仰によって理解される」の中から学びたいと思います。
 
  教会のことを聖書は「キリストのからだ」とよんでいますが、端的にいうとこれはイエス・キリストが今日
 も生きて歴史の中で働いてい給うとの信仰であります。今日生きて働いているキリストの霊が聖霊の信仰で
 あり、キリスト者と結びついて今日現在の歴史の中で生きて働いているキリストのからだが教会の信仰である
 といえましょう。現在のキリストの信仰のうちには、聖霊の信仰とともにキリストのからだなる教会の信仰が含
 まれており結びついているのです。こうしたキリストは常識や人間の知性の対象ではなく、信仰の事柄です。
 教会の深い理解は、キリストの理解と同様、聖霊の啓示により信仰によってとらえられるものと認めざるを得
 ません。教会の深い理解はキリスト信仰の基礎の上に成立します。教会の深い意味は、常識や人間の知性
 の領域には隠されており、聖霊の啓示によりキリスト信仰と結びついて理解され把握されるものと私は信じま
 す。
 
  「教会の基礎がイエス・キリストである」ことを示すテキストとしては、マタイ16・16~18、第1コリント3・10~11、使徒20・28があります。「キリストのからだなる教会」についてのテキストは、エフェソ1・22、4・11~16、第1コリント12・12~27、ローマ12・4~5、コロサイ1・24、「福音の宣教について」は、マタイ28・18~
20、第2テモテ4・1~2、コロサイ1・25~29、ローマ10・14~15、第1コリント1・18~25、第2コリント5・
19等です。次回も「教会」について学びましょう。
 

7月の祈り

イメージ 17月13日の日曜日はいかがお過ごしでしたか。
桜ヶ丘教会では、お昼には、皆様で御一緒にお食事の時間を持つことが出来ました。
共に、食事の時を過ごすことができることは、何と幸いな事でしょう。
 
90周年誌の原稿をまとめておりますが、会員の皆様の一つ一つの思いが伝わってきて、それぞれの生活と神様との交わりを感じております。
 
過ぎ去った時も、今も、いつの時にも、神様は私達と共にいてくださると確信できます。
 
M姉妹が、長年昼食のご用意をしてくださり、私達は当たり前のように、食事をいただいておりました。
M姉妹の、お心遣いは並大抵のことではなかったと感じます。それは、近頃、私も食事の用意をさせていただくからです。
いつも、謙虚に、少しも偉ぶることなく美味しいお食事をご用意くださったM姉妹の健康が、いつまでの主に守られ、健やかでいてくださいますように。
ご高齢の方々、どなたも、この夏もお元気に乗り切ることができますように、お祈りいたします。

2014/7/13 週報メッセージ

   最近考えている事
                                                                                                        朝位 真士
  私が最近考えている事は、「教会」とは何かという事です。神学者の桑田先生の『教会論入門』からいくつかの事を学んでみましょう。
  
  教会ということによって何を考えるでしょう。それは会堂のことではないのでしょう。会堂よりもその教会
 に属している教師や信徒をより重要に考えるべきでしょう。しかし、ほんとうは、何よりもイエス・キリスト
 の教会を心にいだくべきでしょう。聖書によると教会は「キリストのからだ」として全体の教会であることを
 理解すべきで、教会には歴史的な伝統や系列があり、それによって教会の考え方もいろいろちがった所が出
 てきます。こうした中にあって、教会とはいったい何か、その意味は何かが問題となります。
  教会は聖書の説く大きな信仰である。
    教会、エクレシアは、もともとギリシャ市民の集会とか議会とかの意味から、キリストの民の意味に転用さ
 れたもので、新約聖書のうちに数多く用いられています。旧約聖書には、主の民、神に選ばれた選民の思想
 信仰があり、神はその民イスラエルを用いて、歴史の中でその経綸を行い給うと信ぜられ、これは旧約の重
 要な思想であり、大きな信仰であります。新約における教会信仰は神の民がキリストの民となっている点で新
 しい展開があるわけです。これは具体的にはイエスの死の前においてでなく、死と復活の後、使徒言行録に
 記されている聖霊降臨日の出来事として生起しています。この時はじめて最初のキリスト教会が生まれたわ
 けです。
 
  教会の思想と信仰とは遠く旧約に根ざし、新約の使徒行伝において生きた信仰の事実として歴史の中に生起した、聖書に基づく大きな信仰であるとのことであります。次回は、「教会は、常識によってでなく聖霊により、信仰によって理解される」という事を、先生の本より学びたいと思います。

2014/7/6 週報メッセージ

   教団教誨師研修会に出席して
                                                                                                           朝位 真士
  6月30日~7月1日迄、国立オリンピック記念青少年総合センターで開催され、日本キリスト教団の教誨師94名のうち30名余の人々が集まった。西東京教区からは4人の中の2人が参加した。今回の講師は、元ヤクザの親分で、府中刑務所で服役していた鈴木啓之先生(府中刑務所教誨師、シロアムキリスト教会牧師)であった。17歳より17年間ヤクザの世界に身を置いて、刑務所に入所していた時、教誨師のメッセージを聞き、クリスチャンになり、献身して牧師となられた方である。彼が「ネバー・ギブアップ」(あきらめないで)という題で本当に熱く生き生きと語る姿に、「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(Ⅱコリント5・17)という御言葉が浮かんだ。先生が講演の中で語った最も印象深い御言葉は、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し……」(イザヤ43・4)であった。お話の中で先生が語られた、①チャンス、②チェンジ、③チャレンジという三つのCは、私に熱烈な印象を与えた。
 先生は救われて25年になり、府中刑務所の教誨師も10年以上なさっている。例話として登場した収容者の証しに神様の愛の力を感じた。彼は医者であったが、強姦殺人で刑務所で16年服役した。出所してキリスト教信者となり、全く新しい生き生きとした生き方を始めた。
 余談になるが、私は帰り道、私が教誨している少女少年院を出院した少女と参宮橋で再会した。彼女の方から声をかけてくださった。私は少女の将来のため、祈りの手を下げてはならないと思った。

2014/6/29 週報メッセージ

   上半期を終えて
                                                                                                           朝位 真士
  教会の年度は4月1日~3月31日までですが、2014年1月~6月までの半年間を経過して、7月~3月までのことを覚えて語ってみたいと思います。
 元旦礼拝で、使徒2章14~21節より「若者は幻を見、老人は夢を見る」という御言葉が与えられて、今日まで参りました。現代社会を見ますと、夢も希望も喜びも幻(ヴィジョン)もない時代のように思われます。現実ばかりに目を向けると、将来は真っ暗です。しかし信仰をもって現実を静観すると、老若男女に夢と幻(ヴィジョン)が与えられると信じたいし、祈って進みたく存じます。
 これからの教会の行事予定は、ホ群関係を含めて次のようになります。7月6日(日)、CSこども会。7月22日~24日、ホ群首都圏夏期聖会。10月26日(日)、吉岡篤志氏のヴァイオリン演奏&メッセージ。11月2日(日)、召天者記念礼拝。11月3日、有志によるハンセン病施設見学。12月21日(日)、クリスマス・チャペルコンサート&メッセージ(ベアンテ・ボーマン師、ルリ子師)。12月24日、クリスマスイヴ礼拝&ジャズコンサート(高田光比古トリオ)。1月1日、元旦礼拝。1月2日、ホ群首都圏新年聖会。2月22日(日)、第2回教会総会。以上のような行事が計画されています。また創立90周年記念誌の発行準備が、役員をはじめ教会員、関係者の方々の尽力によって進められています。
 まだ達成されていない目標、①個人信仰の確立、②全家族の救い、③個人伝道による教勢倍加、また受洗者が与えられること、健全な財政確立のために、一人ひとりの熱祷を切に願うものであります。

チャペルコンサート、ペンテコステ礼拝の感想

イメージ 16月1日は、創立記念チャペルコンサートでした。
岸義紘先生をお招きし、『多く赦された人は多く愛する」というお話でした。
私たちは、自分が沢山のことを赦されていても、他の人にたいしては小さなことさえも赦すことができない。それ故に、何と多くのもめ事をおこしている事でしょう。王に借金をしている家来に対し、王はその借金を帳消しにてやった。しかし、家来は帳消しにしてもらったにもかかわらず、自分に借金をしている仲間に会うと「借金を返せ」と言って、牢に入れた。王はそのことを知り、帳消しにしてもらったはずの家来を牢役人に引き渡した。「心から兄弟を赦さないなら、天の父もあなた方に同じことをするであろう。」
日常の生活で、赦すことができないで争いが起こります。岸先生は、家族との日常から、赦すことの大切さをお話しされていました。
6月8日ペンテコステ礼拝では、杉本先生からのお話でした。聖霊は助け主としてお越しくださった。支え、導き、守ってくださる。つまずかないようにしてくださる。人間は神によって救われた、省みることができる特別な存在であり、精神的な老化はない。祈りは『どう生きるべきか」という問いかけでもある。
祈りは、日常の生活の様々なところで行われるものでもあるとのこと。「霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちは、どう祈るべきか知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって、執り成してくださるからです。」
6月の恵みを、心から味わいましょう。
 
 
 
 
 

2014/6/22 週報メッセージ

   2014年度弾圧記念聖会へ出席しよう
                                                                                                           朝位 真士
  今年は6月22日午後3時~5時迄、教団赤羽教会にて弾圧記念聖会が開かれます。大友英樹師が「終末における希望」というテーマで、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2章42節)という箇所より語ってくださいます。この弾圧記念聖会は1942年6月26日に起きたホーリネス系諸教会に対する政府の宗教弾圧を覚える聖会です。
 右傾化の動きがさらに濃厚となってきている今日の日本に生きるキリスト者として、私達はしっかりと御言葉に聞き、平和の君である主キリスト告白を「聖さ」をもって生きることが求められています。歴史をひもといてまいりますと、1942年(昭和17年)6月26日早朝、一斉に全国のホーリネス系教会に対して、治安維持法違反による検挙が実施されました。日本基督教団第6部(旧日本聖教会)同9部(旧きよめ教会)および東洋宣教会きよめ教会のことです。この第1次検挙においては、第6部では41名、第9部では44名、東洋宣教会きよめ教会では11名、合計96名が検挙されることになりました。さらに第2次検挙が1943年(昭和18年)2月以降に実施されたことによって、全体で128名が検挙されることになりました。第6部では、第1次検挙で41名、満州などの外地で10名、第2次検挙で9名の合計60名が検挙されました。この弾圧の中で、8名の先生方が獄死されたと聞いています。
 私共のホーリネスの群は、このような先輩の先生方、信徒の方々の信仰によって継承されているのです。信仰の純粋性を維持するために、迫害・殉教も恐れないで戦った方々の信仰を学び、またこのホーリネス信仰を保持し継承するために、是非この弾圧記念聖会を覚えて出席いたしましょう。

2014/6/15 週報メッセージ

   献金の恵みを体験しましょう                                                                 
                                                                                                       朝位 真士
  日本キリスト教団の「信徒必携」の76~79頁には、献金について記載されています。
 
  「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。」(Ⅰヨハネ3・16)この恩寵に対する
 信仰の応答は、わたしたちの全存在と全生活をささげることにおいてあらわさねばならない。その具体的なあ
 らわれの一つが献金である。旧約聖書にもしるされているが、今でも農漁村などでは収穫物の一部をささげる
 ところがある。しかし献金による場合は、間接に労力をささげることである。信徒の生活のすべては神から与
 えられたものだから、これを神にお返ししなければならない。だから収入の全部を自分ひとりのために使うの
 ではない。それゆえ、献金は残りをささげるという考え方や、いわゆる会費であってはならない。それは、第
 一に感謝の心でささげること。第二には奉仕の精神で教会に協力すること。第三には、自分の分に応じて教
 会員としての責任を果たすことなのである。わたしたちはレプトン二つをささげたあの貧しいやもめにならうも
 のとなりたい(ルカ21・1~4、マラキ3・8~10)。Ⅱコリント8章~9章を参照。献金には、礼拝献金、特別献
 金、感謝献金と記念献金、祝節献金、指定献金等がある。
 
 献金は献身(神に身をささげる)を意味します。額の多少にかかわらず、主にお預かりしたものを神にお返しするという意味があります。献金は恵まれる手段であると同時に、つまずきになる原因ともなります。もし献金のことで何か疑問点があれば、牧師または役員に気軽にお聞きください。私は信仰をもって53年目になりますが、基本的には収入の十分の一以上を祈ってささげてきました。献金をささげる以上に、多くの恵みをいただいたことを神に心より感謝しています。皆様も献金の恵みを体験して、信仰生活の向上に心を用いましょう。ハレルヤ。