榊原紀惠子 のすべての投稿
2014/1/5 週報メッセージ
2014年与えられた聖句
朝位 真士
新年あけましておめでとうございます。新年のメッセージを祈っていましたら、2014年の聖書箇所が与えられました。使徒2章14~21節です。テーマは「若者は幻を見、老人は夢を見る」が与えられました。桜ヶ丘教会は創立90周年となり、「桜ヶ丘教会創立90周年記念誌」を発行することを役員会で計画しているところであります。どうぞお祈りとご協力をよろしくお願いいたします。
さて右の聖句について少し述べてみたいと思います。使徒2章17~21節はヨエル書の預言であり、ペンテコステの時にその預言が成就したと語っています。ヨエルは、神はユダヤのすべての人々に「霊」を注がれると語っています(ヨエル3・1)。これがヨエル書の信仰の根本であり、ヨエル書の預言が黙示的性格を持っているという根拠です。このヨエル書の預言が、新約聖書では「聖霊降臨」の預言として引用されていることは良く知られています。詳訳聖書を引用すると、「すなわち神は仰せられる。終わりの時代には、私の霊を、すべての人々に注ぐ。あなたたちのむすこ、娘は預言し、(神のみ旨を告げ)、あなたたちの若者たちは、幻(すなわち神が与えられる幻)を見、あなたたちの老人たちは(神の示しによる)夢を見るようになる」とあります。
箴言29章18節には「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである」(共同訳)とあります。2014年がどのような年になるか、私には全く予想もつきません。しかし、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ8章28節)とあるように、今年も主の最善を信じてまいりましょう。
2014/1/1 週報メッセージ
朝位 真士
2013年は桜ヶ丘教会が開拓されて90周年になりました。1923年6月1日、初代牧師である板井先生が開拓されて、桜ヶ丘教会が誕生しました。今まで多くの牧師、信徒達によって、苦難の歴史を乗り越えてきた教会ですが、1975年、パールハイツ桜上水というマンションに、西海静雄先生、満希子先生(現在越生教会)によって教会独自の会堂が与えられ、その後宗教法人格を取得しました。1997年12月17日、新会堂が与えられ、今日に至ります。現住陪餐会員の半数近くが天国に行かれ、現在残っている会員、求道者の方々と共に教会の業が進められています。先ほどの聖句より「実を結ぶ生活」という標語が与えられ、目標として①個人信仰の確立、②全家族の救い、③個人伝道による教勢倍加が与えられていますが、未だ目標は達成されていません。
現代社会を見ますと、夢も希望も喜びも幻もない時代のように思われます。現実ばかりに目を向けると、将来は真っ暗です。しかし信仰をもって現実を静観すると、老若男女に夢と幻が与えられると信じたいし、祈って進みたく存じます。確かに何が起こっても不思議ではない時代ですが、「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」(箴言19・21)とあるように、全能なる神、イエス・キリストの父なる神に期待して前進してまいりましょう。
2013/12/29 週報メッセージ
2013年をふり返って
朝位 真士
「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」(ヘブライ12・14)という聖句が与えられた。信仰生活において霊的力が発揮されず疲れてしまう場合、人間関係がうまくいっていないことがある。だからすべての人と平和に過ごすことが大切で、それを追い求めるようにと勧められている。聖書における平和は2つの意味をもっている。第一は人間が持つことのできる最大の幸福、最高の善である。第二に、平和は人と人との正しい関係を意味している。平和とは、憎しみがなく、互いに他者の益のみを図り、愛と赦しと奉仕によって相互に結ばれている状態である。平和は努力と訓練を通して生み出されるものであることを教える。
「また生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」クリスチャンの規準、行動、理想、報酬、目標はこの世の人とは異なっている。
私がこの2013年をふり返って静かに考えるのは、自然災害が多かったということである。台風があり、夏は暑く、冬は寒く、天候の変化が激しい年であり、日本並びに世界に於いて災害が多くあった。また私の知人、友人が4人も召天され、何人かは今重態の中にある。病気、高齢、仕事、魂の病気などで教会を離れる人も目立った。しかし1人の青年が受洗をし、若い役員が選出され、創立90周年記念誌発行計画(1923年6月1日創立)が役員会で進められている。皆様方のご協力を願う次第である。5月には会堂外装がなされ、外側は少し美しくなった。これから中を充実させていかなくてはならない。
将来の桜ヶ丘教会のために、信者も未信者もご協力いただき、開かれた教会として地域に根付いて行きたい。そして「世の光、地の塩」としての使命を果たして行きたいと祈っている。
2013年クリスマスイブを御一緒に
2013/12/15 週報メッセージ
朝位 真士
ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生を今年もお迎えできて、心より感謝申し上げます。
私共の教会は1923年6月1日に板井康裕先生が開拓され、今年で90周年になります。1998年2月に新会堂の献堂式が行われ15年経過しました。先生方は1999年12月19日(日)の第1回のクリスマス・チャペルコンサートから続けて御用してくださり、今年で15回目になります。先生方は各地で演奏会、礼拝、伝道会、聖会の御奉仕をしておられ、日本全国、北海道から九州・沖縄まで、また海外へも福音宣教のため手弁当で行かれます。単独でお迎えできることを感謝しています。
ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。西ドイツ国立フォルクバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれました。ベアンテ先生と一緒に、各地で良い奉仕を続けておられます。
今日はサムエル記上22章1~5節と詩編142編3節aより、「主はわたしの助け主」という題でメッセージを語ってくださいます。
2013/12/22 週報メッセージ
2013年クリスマスを迎えて
朝位 真士
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1章23節)2013年度のクリスマスを迎えることができて感謝します。
アドヴェントの4本のローソクが点灯しました。1本目は「希望」を、2本目は「ゆるし」を、3本目は「喜び」を、4本目は「神の愛」を表します。クリスマスの3Lがあります。①ライトー光。②ライフー命。③ラブー神の愛。またキリスト教信仰には4つの柱があると言われます。①創造信仰。②インマヌエル(神は我々と共におられる)の信仰。③十字架の信仰。④復活の信仰。教団のP牧師がクリスマス・メッセージで語っておられたことが私の心に強くとどまりました。
2013年12月24日を迎えると、私は信仰をもって52年になります。高校生の時、友人の誘いによって初めて九州の教会に導かれて、洗礼を受けました。私を導いてくれて友人は、今は天国に行っています。しかし、彼の子供たちも信仰をもち、父の遺志を継承していることは何と素晴らしいことでしょうか。「はっきり言っておく。1粒の麦は、地に落ちて死ななければ、1粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12章24節)「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16章31節)
今年は私の知人が4人召天されました。3人の牧師と1人の親類です。世の終わりが近づいてきている今頃です。このクリスマス・シーズンに教会に来られて、救い主の降誕の意味を聞いて、信じて、信仰の決断をなさいませんか。私共は皆様方のご来場を心よりお祈りして、お待ちいたします。
2013/12/8 週報メッセージ
クリスマスを前にして
朝位 真士
アドヴェントの第2週に入りました。アドヴェントとは「来臨」「待望」の意味で、主イエスが神の子として人間となられたクリスマスを迎える心の準備をするとともに、再臨の準備の時ともされています。この時期のクリスマス諸集会などをお知らせします。
本日午後2時から、こどもクリスマス会があります。現在、毎週数人のこどもと保護者の方が出席してくださっています。今日のお話はA姉です。ミッション・スクールの中高教師として教えている、やさしい2児のママです。乞うご期待です。
12月15日(日)は、クリスマス・チャペルコンサートで、ボーマン先生・ルリ子先生によるチェロ演奏とメッセージがあります。今年で15回目となります。先生方のためにお祈りし、期待いたしましょう。
12月22日(日)は、クリスマス礼拝と祝会です。説教は私です。高校時代に受洗して今年で52回目のクリスマスを迎えようとしています。祝会の司会はM兄です。楽しい一時をもちたいと祈っています。
クリスマス・イヴ集会は12月24日(火)午後7時より。説教は後藤神学生(3年生)です。音楽のゲストとして、プロのジャズメン高田光比古トリオをお迎えします。ジャズ音楽でクリスマスソングなどを聴かせていただきます。期待しましょう。一人でも多くの方が出席するようにお祈りください。
元旦礼拝は1月1日(水)午前11時より。説教は私です。今年は教会創立90周年を迎え、記念誌を発行することを企画しています。お祈りと同時に、90年間に教会に関係された方々の文章や写真を集めようとしています。
最後に年末・年始の諸集会が一つひとつ祝されるようにお祈りください。
2013/12/1 週報メッセージ
先週の説教要旨
朝位 真士
先週はルカ17章1~10節を通して「赦し・信仰・奉仕」という題で語った。
まず第一に赦しについて1~4節で語っている。「1日に7回あなたに対して罪を犯しても、7回『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」(4節)とある。赦しの3原則としてICU学長であった鵜飼先生のことばを引用した。①理解することー人の行動にはいつも理由がある。人を非難する前に、その人を理解しようと努めれば、赦すことも容易になる。②忘れることー「赦すことのできる人間は偉大であるが、忘れることのできる人間は崇高である」とブリッシェスは語った。③愛することークリスチャンのアガペーは、相手が自分にどんな事をしてもただ相手の最大の利益の他何も求めないのである。宗教の教えの中では「赦し」ということが最も大切であると信じている」と語っている。
第二は信仰で、5~6節に「もしあなたがたにからし種1粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」とある。「信仰があって神にだけ期待しているのであれば、奇跡を求めることをせず、神の国の到来のために必要なすべてのことをしてさえおればよいのである」とS・G・デフラークは語っている。
第三は奉仕で、7~10節に「『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」とある。奉仕はクリスチャンとして当然の働きである。奉仕(祈り、教会出席、宣教、様々な奉仕活動)は信仰者の義務として当然である。奉仕されない方は、信仰の成長が未熟である。
「このたとえの目的は、神が私たちに属する一切を御自身のものとして主張され、私たちの身も働きも全面的に支配しておられることを示すことだ。」(カルヴァン)
13/11/24 週報メッセージ
朝位 真士
先週はルカ16章19節~31節を通して「金持ちとラザロ」という題で語った。ある金持ちとラザロ(「神は助けたまえり」の短縮形(エレアザル))。その名に反する彼の貧しさと病気。この二人が共に死んだ。ラザロは死に、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。他方金持ちも死んで葬られ、陰府でさいなまれる。ラザロは天に上げられ、金持ちは陰府に下る。彼は富を用いて友を作らなかったためである。義と愛の律法を実践しなかったのだ。私は、この金持ちとラザロのたとえから死後の状態について三つのことを語った。
(1)死後に天国へ行くか地獄に行くかは、その人の生前の生活によって決定する。すなわち、不信仰と不正の罪を悔い改めて、神を信じるか否かによって決定する。
(2)天国と地獄との間には大きな淵があってその間を行き来することはいずれの側からも不可能である。これは死者のためにこの世の者がどんな善行を積んでも、あるいはどんなに「供養」をしても全く効果がないということである。
(3)死者の魂は地上の人を訪れることができない。もしそれが可能ならば、ハデス(陰府)で苦しんでいる金持ちはラザロに頼まずに、自分で直接肉親の所を訪れただろう。
このルカ一六章のたとえは、共に死後の世界に焦点を合わせたものである。この世にある今という時の間に、この世の所有物をどのように用いて生活するかというイエスの警告であり、挑戦であった。
最後にジョン・ウェスレーの「金銭の使い方」について語っておこう。①出来る限り利得しなさい(儲けなさい)。②出来る限り節約しなさい。③出来る限り捧げなさい。”Gain all you can, save all you can and giveall you can.”