榊原紀惠子 のすべての投稿

2014/11/23 週報メッセージ

   収穫感謝日を迎えて
                                                                                                        朝位 真士
  「あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行わなければならない。」(出エジプト23・16)
 この祭りは、ユダヤ暦7月15日(秋分の日に近い満月)から1週間守られました(申命16、レビ23)。これはヘブル人の年末、即ち秋の収穫を終わって守られるものでした。春の小麦の収穫、七週の祝いとともに神への感謝の祭りでした。日本では国民の祝日である「勤労感謝の日」(11月23日)が、「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝し合う」として1947年に定められました。第一次世界大戦前は、この日を「新嘗祭」と呼び、皇室祭礼の行事の日でした。アメリカで清教徒が11月第4木曜日に収穫感謝祭を守ったことに合わせて、11月第4主日に収穫感謝祭を守るようになりました。教会ではこの日に、果実、その他収穫された物を持ち寄り、愛餐の時をもっています。私共の教会では、教会学校で果物を持参して感謝の一時をもっています。
 私共の教会も2014年度が4月から始まり、イースター礼拝が4月20日に行われ、安東めぐみさんが受洗されました。4月27日には教会総会。5月20日、90周年記念誌懇談会。6月1日、創立記念特別礼拝に、岸義紘先生(サックス奏者、元JTJ神学校校長)をお招きしました。6月8日、ペンテコステ礼拝に杉本茂先生が御用してくださり、10月26日にはチャペル・コンサートを開催。吉岡篤志氏(ヴァイオリン)と長瀬賢弘氏(ピアノ)を招いての集会でした。11月2日、召天者記念礼拝に「創立90周年記念誌」が発刊され、約300冊を出席者ならびにホ群・教団・教区・朝祷会その他の関係者に贈呈し、感謝することができました。残された数ヶ月間も主に感謝していきたいと思います。

2014/11/16 週報メッセージ

   ホ群信徒・教職セミナーに参加して                                                                                                                                               朝位 真士
 
  11月10日~12日迄、市川サンシティで開催。全国から教師・信徒・神学生たちが109名出席した。今回も開会礼拝、聖会Ⅰ・Ⅱ、閉会礼拝の他、主題講演、パネルディスカッション、伝道協議会、分団協議、全体協議会がありました。今回は「こころの友伝道と教会形成」がセミナーの中心でした。「こころの友伝道」について、弁護士でありクリスチャンとして良き働きをされているS兄の講演があり、私の心の中に強くとどまりました。ここにレジメを記載します。
 Ⅰ.(1)こころの友伝道のあらましー手引きなどを参考にして。Ⅱ.(2)こころの友伝道の魅力ー個人的に。①自分だけではできない伝道に加われる。②牧師及び奉仕者との信仰の交わりのすばらしさに触れられる。③受洗の喜びを共にする。④自らの信仰が豊かになる。⑤教会に仕える喜びを味わえる。Ⅲ.(3)こころの友伝道と教会形成。Ⅳ.(4)教会形成における信徒の権限と責任ー同労者の根拠。①教会における牧師と信徒の役割。②万人祭司の理念。③教会形成への責任分担。Ⅴ.(5)こころの友伝道での協働性の実現。①チームによる伝道。②祈りによる交わり。③同じ目標を共有。④悲しみ、苦労、学びなどの共有。⑤それぞれの役割の尊重と尊厳。⑥喜びの共有。Ⅵ.(6)伝道活動の中での教会形成の重要性。①こころの友伝道の中での教会形成との関わり。②教会形成への関心の育成。③教会の伝道態勢への参加。④信仰の強化と豊かさ。⑤キリストとの結びつき。⑥伝道における教会形成の実現。⑦牧師の交代等と信徒の信仰の自立性。Ⅶ.(7)教会形成とこころの友伝道。①伝道が体質となる教会。②祈る教会。③教育訓練(奉仕)を受け入れる教会。

2014/11/9 週報メッセージ

   90周年記念誌発刊に寄せて
                                                                                                           朝位 真士
 
  「神を愛する者たち、つまり御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8章28節)
 桜ヶ丘教会が昨年90周年を迎え、役員会並びに教会総会で90周年記念誌を作ろうと計画しました。今まで記念誌を出したことがありませんでしたので十分できなかった事もありますが、無事に完成しました。桜ヶ丘教会は1923年(大正12年)、板井康裕先生が世田谷桜新町の自宅で東洋宣教会の福音使として伝道を開始して誕生しました。その後多くの牧師・伝道師が遣わされましたが、西海牧師夫妻の26年間に様々な試練を乗り越えて牧会伝道・教会形成が進み、マンションの3室を取得しました。1997年12月17日に現在の会堂が完成し、17年が経過しました。私共が赴任して20年が過ぎましたが、その間に約40名の方々を天国に送りました。その中には、当時共に会堂建設のために戦った教会員の方々も多く含まれています。
 今後の課題は、現住陪餐会員を増し、教会財政を立て直すことです。信徒の方々の高齢化が進み、教会に来られなくなっている方々が多くなり、後継者の問題が緊急な祈りの課題です。礼拝出席を40~50名に回復したいと祈っています。受洗者・献身者が与えられ、全員が神の愛の共同体の一員として、一人ひとりの教会員や求道者の賜物が生かされて、主イエス・キリストの教会が形成されることを祈っています。また教会が本当に居心地の良い場所として心のオアシスになって、開かれた教会にふさわしく地域の方々にも親しんでいただきたいと願っています。

90周年記念誌発行

イメージ 1本日は召天者記念礼拝の日でした。
天に召された板井牧師、西海牧師を始め、信仰の諸先輩方を覚え、礼拝を捧げました。
 
また、昨年から発行を決定しておりました桜ヶ丘教会の90年の歩みを記念する冊子を発行することができ、本日、『記念誌』として、皆様にお配りすることができました。
原稿をお寄せ頂きました皆様には、本当に感謝申し上げます。
本記念誌が、主の栄光を表し、主に祝されますように願っております。
 
なお、100周年に向けて、教会の歩みの一つ一つを再度、掘り起こし、記録すべき内容を精査することが必要と感じております。
また、今回原稿をお出し頂けなかった方々にも、是非お願いをし、更に充実した記念誌にしたいと考えております。
 
兎に角、ホッとしております。
素敵な記念誌になりました。
今日お届けできなかった皆様には、1日も早くお送りできるようにいたします。主に感謝して。
 
 
 

2014/11/2 週報メッセージ

   召天者記念礼拝を迎えて
                                                                                                           朝位 真士
  日本キリスト教団では、11月の第一聖日が「聖徒の日」となっている。この日は、信仰の先輩たちのことを想起しながら、お互いが担っている使命を自覚することが必要である。この「召天者記念礼拝」に特別な基準はないが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍した9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数、年数などによる考え方があったようである。教会の暦に関連して死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるからである。教団の教会として公同の記念礼拝をもつのは、聖徒の日、復活節、あるいは地方によっては日本のお盆の頃に関係者を集めて行う所もある。
 ヨハネ黙示14章3節に「また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。『書き記せ。「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」と。』〝霊〟も言う。『然り、彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。』」とあり、Ⅰコリント15章18節には「主において死ぬ人々は幸いである。」とある。「主において」とはすなわち「主との一致を守りながら」ということである。これから死ぬ人々のための至福が宣言されている。第一には迫害の時に殉教者として死ぬキリスト者をさしているが、主において眠る人々すべてに応用できる。それらの人々が死んでから神のみもとにおいて、地上での苦しみと労苦(ヘブライ4・3)から解放される。そして、神に対する従順と誠実、苦しみと虐げの時の忍耐と根気は過ぎ去るものではなく、神の玉座までその人についていき、そこでふさわしい報いを受ける。「人が死ぬ時は、金銀あるいは宝石、真珠ではなく、トーラ(律法)と遵守と善業とがついていく。」

2014/10/26 週報メッセージ

   宗教改革者ルターについて
                                                                                                        朝位 真士
 
  10月31日に近い聖日に、プロテスタント教会では「宗教改革記念日礼拝」として、ルターやカルヴァンについて学びます。今日はルターについて記してみましょう。
 マルティン・ルター(1483~1546)はドイツ中部の農村に生まれ、1505年エルフルト大学文学部を終え、法学部入学直後、雷雨の中で死の恐怖を経験して修道士になる決心をし、同年アウグスチヌス派修道院に入りました。神学博士となり、ウィッテンベルク大学神学部教授に就任。1517年に同大学の門扉に「95カ条の提題」を掲示したのが10月31日頃です。
 プロテスタントの三大原理は、①聖書のみ、②万人祭司、③信仰のみです。カトリックは聖書の他に伝統や神の召命を受けた聖職者を重んじています。プロテスタント教会では、聖職者だけでなくすべての信徒が神にとりなしの祈りをすることができ、直接的に神と交わる事ができるのです。そして端的にイエス・キリストを救い主として信仰する時に、すべての人が救われます。
 「正しい者は信仰によって生きる」という言葉はハバクク書2章4節の引用ですが、義人は生き残ります。「生きる」とは「救われて生きる」という意味であり、「信仰によって」は、「信じるすべての人」に相対しています。「正しい人」「義人」は、神の義を与えられた人のことです。救いを受けるうえで、キリストにおいて与えられる神の義にのみより頼む信仰は、主にのみより頼む旧約の信仰と本質的に同一のものです。約500年前の宗教改革記念日に私共の信仰をもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。

2014/10/19 週報メッセージ

   福音のためにどんな事でもする
                                                              朝位 真士
  伝道の秋となり、私には最近浮かんでいる聖書の言葉があります。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。……弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、私が福音に共にあずかる者となるためです。」(Ⅰコリント9章19~23節)
 少し長い引用になりましたが、役員会の承認を得て、九月からNPO法人スマイル合唱団に会堂を使用していただいています。一般のコンサートや冠婚葬祭にも教会を用いていただこうと思っています。チャペル・コンサートに人々をお招きしたり、近所の清掃に参加したりして、地域の方々と接点を持っています。また教誨師、篤志面接委員として矯正施設に収容されている方々にキリスト教の教養講話をさせていただいています。他教派(プロテスタント・カトリック)の方々と共にウィークデーの早朝祈祷会に出席して、教会の宣教活動のためにお祈りをしていただいています。
 私は誕生月の10月を迎え、ますます主の証し人としての使命に燃えています。それは18歳の青年時代にクリスチャンになってから変化していません。かつては、楽器(マンドリン)を持参して老人ホーム(今は自分も老人であるが)を慰問させていただいたり、目の不自由な方々の福祉施設を問安させていただいたり、小さな働きではありますが、キリスト者としての証しを立てて来ました。本当に成果は余り見えませんが、一キリスト者としてこれからも「福音のために」主の証し人として働いていきたいと願う今頃です。

2014/10/12 週報メッセージ

   「日本伝道の幻を語る会」の想い出Ⅱ
                                                                                                        朝位 真士
 9月にも記載したが、今回も中野雄一郎先生(JTJ宣教神学校SA、巡回伝道者)の講演Ⅱにおけるメッセージを紹介する。
 「カレブの砕かれた信仰」ー後期高齢者の幻の実現ーヨシュア記14章6~15節。序、老後の心得。長生100年時代の秘訣は食物・睡眠・運動・使命・信仰・家族である。カレブの信仰は組織の2番目にどう対処するかを示唆する。
 (1)「継続信仰の力」14章8、9、14節。「従い通す」カレブに7回言及。45年間、カデシバルデアにおける絶対的確信。名人、その道を極めた人。①繰り返し、②長時間、③得意先手、アブラハム、ダビデ、パウロ、主イエス、待望・忍耐・信仰の人(ヘブライ11章)。例話ー巡回伝道18年目、伝道牧会の積み重ねが支えとなる。
 (2)「継続信仰の前進」14章10~12節。信仰は停滞しないで前進するのみ。ポジティブシンキングとポジティブシンコウとは異なる。アブラハムは偉大な神を信じた。創世記15章。カレブは山地、巨人、難攻不落の砦を取る。85歳、元気はつらつ、戦争に耐える、その秘訣はカデシでの原体験、御言、臨在、信仰、12~13節。例話ー教会分裂の危機をどう乗り切るか。
 (3)「継続信仰の本質」14章6、13、14節。打ち砕かれ自分に死んだカレブ。主は砕かれ謙遜な人を用いられる。人生においてプライドだけが最後まで自分を苦しめる。イザヤ57章15節。カレブは以前ヨシュアと同僚、今は指導者として従う。キリスト教最初の殉教者、ステパノに何故主は立ち上がられた。使徒7章55節。例話ー50年前の開拓伝道、現今の祝福。結びー日本伝道の幻は、カレブのような信仰の人によって実現する。
 カレブのような後継者を育成しなくては教会の将来はないと、ひしひしと感じた。

9月の晴天の下で

イメージ 1上水公園で秋風に楽しそうに揺れていたコスモス
 
秋の澄んだ空気、空、美しく楽しげな花たち、紅葉の時を待つ樹木たち・・・・どれも味わい深く感じます。
 
 9月28日の礼拝の話では、「5つのパンと2匹の魚」の奇跡の事実を通し、常識と信仰について考えさせられました。
 主イエスの奇跡のお話については、いろいろとお聞きしますが、「イエスの祝福」というテーマから牧師が語られました。5千人に食べ物を与えるという奇跡。
 「常識が優先すると、信仰の技が妨げられる」
「イエスのなされた奇跡」を、自分の常識で解釈してはならないと考えさせられました。奇跡の解釈では、自分にしっくりくる解釈を選び納得しようと思いがちです。
 科学的にも理解できるような解釈を選びがちです。しかし、科学をもって説明できる事実と説明出来ない事実があると言うことです。
 本お話では、3通りの人間像を観察しています。
1民衆、2目先のことに心奪われる弟子達、3民衆の必要に応えるイエスです。
 イエスの真の人格に眼がひらかれたときに、出来事の意味を知らされる。「イエスは生命のパンである」。5千人が食してもなお残りがいっぱいであった、と記録されている。多くささげられたものでも、少なくささげられたものでも、イエスが祝福されるときに、最善に変えられる。
 「5つのパンと2匹の魚」、その小さな捧げ物が、5千人の人が食してもなお残るほどに祝福を得て、民衆は満腹したとあります。奇跡の事実を、そのとおり考えた上で、聖書の全体、十字架につけられた主イエスが民衆に応えられた真実を考えなければと思わされました。
 私たちは、自分に頂いている祝福の賜物を心からささげ、最善に変えていただこうではありませんか。収穫の秋・・・・・。この世の人生で収穫した物を祝福していただき、用いていただける幸いを考える秋でもあります。
 
 
 
 
 

2014/9/28 週報メッセージ

   「日本伝道の幻を語る会」の想い出
                                                                                                       朝位 真士
  今夏8月18日~20日迄、市川サンシティで開催された。講師は中野雄一郎先生(マウントオリーブミニストリーズ代表、JTJ宣教神学校SA)、小友聡先生(東神大教授、教団中村町教会牧師)、藤井圭子先生(医師、信徒伝道者)であった。今回は中野先生の講演Ⅰにおけるメッセージを紹介する。
 「青年ヨシュアの幻の源泉」ー恐れと不安を蹴散らせー(ヨシュア1章6~9節)。(序)ユダヤジョーク。ユダヤ人は金持ちになるようインプットされている。ヨシュア記は新約における「使徒伝道」を意味する。如何に聖霊によって人生、伝道、ビジネスに勝利するかを示唆している。また、2代目としてどう生きるかを教える。 
 (1)1章6節「強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。」「主の約束」、新しい土地、聖霊の約束、聖霊経験の必要と危険。ロイド・ジョンズ師の言葉。
 (2)1章7節、「みことばの力」、通読・精読・拝読・素読・朗読の必要、暗誦、口ずさむ、思考・思索、イメージ(詩1・2~3)。例話ー今も御言は生きて働く。ある米国日系人の体験。
 (3)1章9節、「主の臨在」、旧約の信仰偉人、新約のクリスマスから黙示録まで、濃厚な臨在があった(コロサイ1・23)。(例話)信仰継承の秘訣。ボブ・ピアス師(初代ワールドビジョン総裁)の経験。
  (4)1章18節、「主への全き服従」、祝福の源泉は主との約束を果たすこと。身も心も時間をも捧げる祝福。(例話)献金の祝福。
 (結び)主からの祝福は、聖霊、御言、臨在、服従に尽きる。「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。」(ヨシュア1章7節)