榊原紀惠子 のすべての投稿

岸義紘先生のチャペルコンサートを終えて

イメージ 1写真:K/Kさん提供
6月7日(日曜日)の礼拝の後に
説教:岸義紘先生
テーマ「もう泣かなくてよいのだ」
聖書:ルカによる福音書7章11~16節
イエスはナインという町に行かれた。
これは、ひとり息子を無くして嘆き悲しんでいるある母親のところに行くことを目的に行かれた。そして、主はこの母親をみて、憐れに思い「もう泣かなくてよい」と言われた。とある。
「憐れに思う」ということは、内蔵がひきちぎられるほどに深い悲しみを伴われる思いであるということでした。
次に「イエスが、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。」とありますが、旧約聖書では、「棺に手を触れる」ということは、禁止されていた行為でそれを破ったことになる行為であったこと。
律法を超えて、手を触れられたということの大きな意味。
それほどまでして、ナインの母親を憐れに思い、助けられたというお話。
息子は生きかえり、母親に返されたということですが、ここに大きな意味が隠されているということでした。
生きかえった息子、棺に手を触れられたイエス様に出会い、皆一様に恐怖のような驚きと恐れをいだくとともに、お墓に向っていた棺とその悲しみの人々の群れは、反対に家の方にもどり、イエスの集団となったというお話でした。
ナインの母親も生きかえった息子も、イエスの集団となった。
神は、一人子であるイエス様を、罪ある人々が救われるために十字架にかけられた。しかし、イエス様が死に勝利し復活したことを見て、弟子達は驚きと恐怖をもってその事実を確かめ、イエスの集団となったということのお話でした。
イエス様の十字架の死を予告する出来事であった、このナインの母親と息子のお話です。
生きていれば、涙を流す深い深い悲しみを経験しますが、「もう泣かなくてもよい」とイエス様は言われました。
金銀の力で助けてくださるのではなく、ともに生きて助けてくださるイエス様がおられます。
これは、私達が、イエス様の勝利の道とその集団になっていくことができるということの力強いメッセージでした。
岸先生のお話を、もう一度じっくり考え、「イエス様はどこを目指しているのか」という問いの答えを聖書でたどってみたいと思います。

2015/6/7 週報メッセージ

   創立92周年記念特別礼拝を迎えて
                                                                                                          朝位 真士
 
  今年も岸義紘先生をお迎えすることができて感謝です。今年で15回目です。
 私共の教会は1923年(大正12年)6月1日、初代教師、板井康裕先生が東京世田谷区桜新町の自宅で伝道を開始して誕生しました。1930年、渋谷区栄通りに移転、祈りの家渋谷ホーリネス教会と改称。1942年、日本基督教団設立と共に教団に加盟し、桜ヶ丘教会となりました。この渋谷時代はホーリネス教会のリバイバルの時であり、50名前後の礼拝、20名台の祈祷会、30名台の伝道会(夕拝)が毎週もたれました。最近は、礼拝、祈祷会、夕拝も人数が減少気味です。このような時に毎年岸先生をお迎えすることができていることに心より感謝しています。
 岸先生は、日本全国、家庭集会、朝祷会、教会、聖会、ゴスペルコンサートなど、どんな小さな所でも御用され、席のあたたまる暇のないほどご多忙な先生です。また信徒向けのJTJ宣教神学校の元校長でもあられ、ミッション2001巡回伝道者、国体水泳元神奈川県代表選手、ムラサキスポーツ競泳チーム所属選手等、多くの賜物を主のためにささげておられます。テナーサックス等のサクソフォン奏者でもあります。10年間牧師を務め、その後巡回伝道者となられました。人生のモットーは「だれのまねをするのでなく、ひたすら自分自身をいきる」「招かれる食事と頼まれる説教は断らない」と言うことです。著書は、『躍動する神の愛』『躍進する聖書的教会』『お父さん出番です』『おかあさんだいじょうぶです』『人間関係の回復』等多数です。また一般向けサックスCDや賛美CDをリリースしておられます。
 今回の聖書箇所、ルカ7章11~16節から、「もう泣かなくてもよいのだ」という説教です。悲しい出来事の中で、慰めに満ちたメッセージを期待いたしましょう。

明日から6月

イメージ 1写真:K/Kさん提供
暑い5月も過ぎて、明日から6月です。
ここ数日の地震の発生状況を考えると、冷静にこの時を過ごすことが出来るようにと、祈っております。
今回の地震のために避難されている方々、また東日本大地震のために避難生活が継続中の方々、
健康が守られ、主の最善の導きがあるようの心からお祈りいたします。
桜ヶ丘教会では、6月7日(日曜日)に特別礼拝があります。
創立92周年記念のチャペルコンサート。岸義紘先生のサクソフォンとメッセージです。
毎年、岸先生にお越しいただき、素敵な音楽、お話をいただいております。今年も楽しみです。
さて、2015年の5月が過ぎゆくなかで、晴れやかな5月を楽しみましたでしょうか。
桜ヶ丘教会では、ご高齢の方も多く、皆様と、教会でお目にかかれる主の恵みに感謝します。
90歳近くで、信仰を守って教会に通われる信徒の先輩方を、すごいなと思います。
人間の体は、疲れて前に進めなくなることもあります。しかし、神様に委ねて日々研鑽に努める意思があると言うことは、何と大きな主のお恵みでしょう。
私達を主が必要としてくださることに感謝し、今週も頑張って行きましょう。

2015/5/31 週報メッセージ

   ある大学教授の信仰決心
                                                                                                       朝位 真士
 
  東京の某大学教授の奥さんと、娘さん、息子さんはクリスチャンでしたが、彼は教会に行っていませんでした。「教会なんて、頭の悪いものが行くところで、私のような大学教授、しかも文学博士である者が、あのような牧師さんの話は聞かなくてもよい」と言って、教会に全く行きませんでした。
 ある時、その先生が体を悪くして医者へ行きました。お医者さんが診察して、「先生、お宅は皆さん、教会へ
行っていらっしゃるようですね。」「ええ、みんな行っています。」「どうして、先生は行かないのですか。」「教会というのは、頭の悪い息子や気の弱い女が行くので、私のような大学教授は行く必要はありません。」「そうですか。実は先生、お宅のお嬢さんが、先日、診察に来られたのです。帰られる時に、『わが家で食事をする時、お祈りしないで食べるのは、犬のポチとパパだけです』と言われました。」
 インテリの先生は、神様なんかいないと思っているから、お祈りしないのです。でも、先生はそれから内緒で聖書を読むようになり、教会に行き、教会で聖書を学び、イエス・キリストを通して与えられる福音の内容を聞き、信仰を持ちました。信じた後に彼はこのような感想を述べたようです。「信仰のない時は、いつも不安がありました。大学で教えていても、人の学説の受け売りでした。今、イエス様を信じたら、これが人生の生き方だ、これが確信のある生き方だと、本当に新しい人生を見いだしました。」十字架がわかり、イエス様を信じると、自分の罪が赦され、私たちは変わります。
 来週6月7日は創立92周年記念チャペル・コンサートで、岸先生が来られます。まだ信仰の決断をされていない方は、この機会に某大学教授のように素直にイエス・キリストを自分の救い主と信じて、洗礼の決心をしてください。

2015/5/24 週報メッセージ

   聖霊降臨日(ペンテコステ)
                                                                                                         朝位 真士
 
  聖霊のくだった五旬節の日は復活から50日目であり、主イエス様の昇天から10日目にあたります。この日を「ペンテコステ」と呼ぶのは、ギリシャ語で50番目を意味しているからです。五旬節(ペンテコステ)は、「七週の祭り」というもう一つの名でも呼ばれています。これは、主が十字架にかかった過越の祭りより7週を過ごして、50日目より始まる1週間の祭りだからです。この祭りでは、その年の収穫の感謝と、モーセがシナイ山にて神から律法を授けられたことが記念されました。
 五旬節の日、キリストの約束の通り聖霊がくだり、弟子たちは神のことばを大胆に語りだしました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」(使徒1・8)とあるように、弟子たちは神から力を受け、キリストの十字架と復活の証人として立ち上がりました。またこの日より、新しい神の民、キリストの教会が生まれました。
 私共の教会は1923年(大正12年)6月1日、初代牧師、板井康裕先生がアメリカより帰国し、世田谷区桜新町の自宅で伝道を開始して誕生しました。しかしその歴史は平坦ではなく、苦難の連続でした。まず教会堂の確保に困難を要し、人的にも困難であり、牧師・伝道師が定着せず、今まで二十数人が変わりました。その要因として経済的困難があり、近隣の方々への宣教も時間を要しました。宗教法人格を取得し、第一種教会になるにも実に68年の年月を要しました。前任の西海静雄先生夫妻の苦労も大変なものでした。1998年に新会堂が献堂され今日に至っていますが、既に数十人の方々が天国に行かれました。ペンテコステのこの日、今こそ全員心を新たにして神の宣教の業のために励み、教会形成に参画してまいりましょう。

風薫る初夏

イメージ 1写真提供:K/Kさん
初夏を思わせるようなこの頃の暑さです。
公園の草たちも伸びやかに成長しています。そして、木々は緑の濃さをましていて、生命の息吹を一層感じさせてくれています。
先週5月10日「盲人の信仰」メッセージは、マルコによる福音書からでした。
盲人がみえるようになるという奇跡について、イエスキリストの奇跡を受け取る信仰の手があってこそなされた奇跡であり、霊の目が開かれるという信仰の本質的なことが、宗教的権力者ではない、盲人バルティマイに行われていたことを教えて頂きました。これは、イエスにとっても大きな喜びであったことであり、私達も信仰により霊の目が見えるようになりたいというお話でした。
バルティマイは、チャンスが自分の前を通ったとき、機会を逃さなかった。イエスを信頼し、彼を呼び止めた。また、イエスを激しく求め、妨害に屈しなかった。目が見えるようになると、古い上着を脱ぎ捨て、イエスに従った。
率直に彼自身の求めをイエスに告げるという率直な信仰が、神の力を示し神の最善がなされることになった。
5月17日「主がお入り用なのです」のメッセージは、以下のような内容でした。
子ロバを「主がお入り用なのです」と、イエスの弟子達に、エルサレムに入る前に言わせました。
子ロバに乗って、エルサレム向かうイエス様を想像します。主の権威というものがどのようなものなのか、考えさせられます。霊の目で、この出来事を熟考することが必要と感じます。
私達一人一人も「主が入り用なのです」ということで、用いられています。あえて、弱く、力ない私達を必要としてくださいます。感謝して、主に仕えるものとなりたいですね。

2015/5/17 週報メッセージ

   聖霊の祝福を阻むもの                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
 
  クリスチャンは、聖霊によって成長しつつある人間です。まだ完全に聖くされた者ではありません。ですから、残された罪の性質との戦いが常にあります。その罪との戦いに打ち勝つためには、絶えず聖霊の力を必要としています。時には、その聖霊の働きを拒んでしまうことがあります。聖霊の働きを阻んでしまうものとは、次のようなものです。
 (1)自我の誇り「同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。」(Ⅰペトロ5・5)
 (2)罪の告白をしない「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(Ⅰヨハネ1・9)
 (3)世的欲望「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」(Ⅰヨハネ2・15~17)
 (4)神信頼の欠如「疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。」(ローマ14・23)
 私共は先週「聖化(きよめ)への道」を学びました。(1)神の子の確信、(2)罪と死の法則からの解放、(3)実を結ぶ生活、(4)賛美と感謝、(5)行動力の源泉です。その祝福を阻むものを取り除いていただきましょう。

2015/5/10 週報メッセージ

   聖化(きよめ)への道
                                                                                                        朝位 真士
  「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるからです。」(Ⅰペトロ1・15~16)
 聖化への道は、人間の力で実現できるものではありません。聖霊なる神の働きによって信じる者に与えられる一方的な神の祝福だからです。この聖霊の働きを格別に受けることを、聖書では「聖霊に満たされる」といいます。では、聖霊に満たされた祝福とは基本的にどのようなものでしょうか。
 (1)神の子の確信「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」(ローマ8・14)
 (2)罪と死の法則からの解放「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。」(ローマ8・2)
 (3)実を結ぶ生活「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」(ガラテヤ5・22~23)
 (4)賛美と感謝「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」(エフェソ5・18~20)
 (5)行動力の源泉「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(Ⅰコリント1・18)
 聖霊の祝福を阻むものは、①自我の誇り、②罪の告白をしない、③世的欲望、④神信頼の欠如等です。ペンテコステを前にしてもう一度、聖化の恵みを求めましょう。

5月連休が過ぎて

イメージ 1写真:K・Kさん提供
長い連休も明けて、仕事モードに入られた方も多いことと存じます。
新緑が目に入り、心もリフレッシュする季節です。
昨日5月7日(木曜日)には、桜ヶ丘教会では昼の祈祷会がありました。
2015年度から、第1と第3の木曜日には、昼も13時30分から祈祷会を実施することになりました。
自分達の考え方をコントロールするために主に助けていただくことの必要性を学びました。
「主において常に喜びなさい。あなた方の広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を越える神の平和が、あなた方の心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
私達が自分の心をコントロールすることは、聖霊による主の助けがあってはじめて可能になると思います。
日々、私達は泣いたり、悲しんだり、怒ったり、笑ったりとしますが、主にあって喜ぶことが必要であることを学びました。良くても悪くても主にあって喜びなさい。感謝をこめて祈りなさい。春の恵みに包まれながら、祈るという小さな行為によって、さらに祝福されることを感じつつ、来る日曜日(聖日)を待ちたいですね。

2015/5/3 週報メッセージ

   2015年度教会総会を終えて
                                                                                                           朝位 真士
 
  教会規則第19条5項により、議員総数の5分の1以上の出席(51名中、出席20名、委任状13名)で総会が成立した。
 まず2014年度の教務報告があった。2014年度の各行事が報告され、各会の活動報告が文書でなされた。教勢については、現住陪餐会員51名、受洗2名、転入2名、転出2名、礼拝30名、祈祷会5名、夕拝7名、教会学校4名であった。次に2014年度会計決算報告が会計担当よりなされた。桜ヶ丘教会90周年記念誌が300部発刊され、
327、672円の出費があった。教会学校は少しずつ人数も増加し、献金も増加している。
毎年、年2回教会総会が実施されているが、役員の方々の手際の良い資料作成にはいつも頭が下がる。
  今年度は東京神学大学から神学生を受け入れた。このことから、少なからず教会の動きに変化を期待してもよいかと思う。しかし、ホ群の神学校からではないので、ホ群の歴史や信仰を理解するのに少し時間がかかるかもしれない。彼らの良き賜物が徐々に生かされることを期待するが、ホ群の伝統、中田重治・ウェスレーの伝統、
四重の福音(新生・聖歌・神癒・再臨)、特に聖化の恵みを体験していただきたい。もちろんこのことはすべての信徒の方々にも言えることである。ホ群の集会(弾圧記念聖会、6月21日、東調布教会、夏期聖会、7月21日~23日、ハートピア熱海、新年聖会、1月2日、場所未定等)に積極的に参加して、将来ホ群の教師になるべく、ホ群の特色に早く慣れていただきたい。教会員の方々には、彼らのために祈って欲しい。