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2015/2/8 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                                                      朝位 真士
 前回に引き続き「三位一体の神の招き」を記載します。
 (3)私たちの使命と喜び
 ①教会の主イエス・キリストは、天においても地においても一切の権能を授けられ、人間のすべての問いに対する究極の答えとなられました。また、キリストが父からこの世に遣わされたように、キリストはわたしたち教会をこの世に遣わされます。まだその外にいる神の民が一人でも多く、1日も早く神の国の喜びに共にあずかるよう、福音宣教の務めにたずさわらせるためです。(マタ28・18~20、ヨハ20・21、使18・9~10)
 ②宣教は神が始めてくださった「善い業」(フィリ1・6)に由来します。神の国の喜びが罪人にまで伝えられるとき、その道具として用いられる教会もまた「天の大きな喜び」(ルカ15・7)にあずかります。反対に、もし福音宣教をなおざりにするなら、教会は福音の喜びそのものを失い、みずからの存在意義を失うだけでなく、「役に立たない僕」(マタ25・30)として見捨てられます。(Ⅰコリ9・16、ヨハ3・29、同4・36)
 ③宣教という神の業が、人間の思いによってではなく、神の御心にかなって実を結ぶよう、聖書の言葉に基づいて、その務めを吟味することは大切です。(マコ13・35~37、Ⅰコリ1・21)
 Ⅱ宣教の主体であられる神
 宣教が現になされていることは、前章で述べられました。ここでは、それが神の永遠のご意志、すなわち、神の「恵みの選び」の中に根拠と必然性を持っていること、さらに、宣教においては神がそのご計画を立て、実際にも宣教の主体として働いておられることの中に確かな可能性があることが示されます。そのことによって、宣教にたずさわるわたしたちの喜びは確実なものであることが確認されます。                               

2月の声

イメージ 1写真:K/Kさん提供
2月は、太平洋側にも雪を降らせ、東京でも大雪が降ったりします。
明日2月5日も、雪が積もるような天気予報です。
今週2月1日の礼拝では、詩編からお話をいただきました。
朝位フミ子先生のメッセージでした。
主は羊飼い わたしには何も欠けることがない
主は わたしを青草の原に休ませ 憩いのほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる
死の陰の谷を行くときも わたしは災いをおそれない
あなたがわたしと共にいてくださる
あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける
                          詩編23編1~4
死の陰の谷とは、私達が自分の罪の中に歩くときをさしているというお話でした。主が、魂を生き返らせてくださる。
鞭と杖は何を指すのか。主は鞭をもって、また杖を与えてくださり、私達が正しい道に行くために、弱らないように力づけてくださる。
毎日、主の宮の中で、祈りつつ,感謝して歩んで行きたいですね。

2015/2/1 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                             朝位 真士
  前回に引き続き「三位一体の神の招き」についてです。
 (2)歴史の中で実現する神の招き
 ①父なる神は、この神の国の実現のために、時満ちて御子を人として
お遣わしになりました。また、御父と御子は聖霊を絶えずお遣わしになり
ます。(ヨハ20・21、同14・26、マコ1・14~15、フィリ2・6~11)
 ②聖書によれば、神の国は受肉したイエス・キリストの十字架と復活
によって、すでにこの地上に先取りの形で確立されています。それがす
なわち、神の民によって構成されるキリストの体なる教会です。神の国
はこの教会において存在し、広まりつつあり、歴史の終わりにおいて完
成されます。(マコ1・14~15、マタ28・18~20、イザ52・7、ロマ10・
14~15、黙21・3~4)
 ③「福音」は、神の国が来たことをあまねく告げ知らせます。福音は
神からの良い知らせ、すなわち神の言葉であり、この神の言葉は、「言
が肉となった」(ヨハ1・14)イエス・キリストの出来事そのものです。
この「言」を聖霊の権威によって証ししている聖書および説教の言葉も、
同じく神の言葉です。わたしたちキリスト者は神の言葉を聞くことによっ
て造り変えられ、わたしたちのすべての言葉と行いが、この神の言葉を
指し示す「証し」となります。(ヨハ5・39、Ⅱテモ3・1、ルカ4・21、
Ⅰテサ2・13)
  ④ここからただちに、「宣教」とは、第一義的には、福音を宣べ伝え
ること、すなわち「伝道」のことであると結論されます。ただし、真実
な伝道は必ず「証し」を生みだします。(ロマ10・17)

2015/1/25 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                                                                          朝位 真士
  教団常議委員会による「改訂宣教基礎理論」を紹介したいと思う。まず「三位一体の神の招き」。(1)神の招き。
 
  主は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)と言
 われました。三位一体の神は、ご自身の喜びに満ちた交わり、すなわち、「永遠の生命(または、神の国)」
 へと、罪人をお招きくださいます。この神の憐れみに満ちたご意志を人々に伝達することが、宣教です。
 (Ⅰヨハ1・3以下)
  神は礼拝と賛美を受けるにふさわしいお方です。神の国の究極の姿は、被造物がこぞって神を賛美し、す
 べての栄光を神に帰する喜ばしい礼拝です。人間はそのために「神のかたち」に造られ、神の国へと招かれ
 ています。その最高の幸福と喜びは、礼拝の中で神を賛美することの中にあります。(創1・27、出5・1、黙 
 4・11、エフェ1・3~5、詩22・23、同84・5、同102・19、コロ3・16)
 
 日本基督教団は、長い間、社会派、福音派という区分けで、お互いの立場を固守してきた。教団総会は、日本基督教団17教区、1700の教会・伝道所の中から選出された約400名の方々が出席して、2年に1度開催されている。教団内の諸問題について議論・議決され、実施されてきている。いろいろな社会的問題もあるが、ここ数年の会議内容の特色は、「伝道する教団」というキャッチフレーズに表されている。教団全体が本気になって「伝道(宣教)」に力を注ぎ出しているのは、大変喜ばしいことである。
 次回は、「歴史の中で実現する神の招き」について、「改訂宣教基礎理論」より学んでいきたい。そして、とにかく、伝道第一を貫こう!!

2015年はどのように過ごされていますか

イメージ 1写真:K/Kさん提供
 今年の冬も、各地で大雪のニュースが流れています。雪国の除雪作業の大変さを思いながら、皆様が安心して生活できるようにと願い祈りつつおります。
 お正月気分も過ぎて,日常生活が戻りましたでしょうか。私は、昨年、親しい友人が天に召されたことを通し、いろいろなことを考えさせられました。
 私達の命は、神様からいただき、この世で出会う事が赦され関係性を持ち、共に過ごします。その事は何と素晴らしいことなのでしょう。友人が、近所にいていつでも会えると思っていたわけですが、そうでは無くなったとき、本当に寂しいものです。
良く、高齢者の方々で、ご近所の方が天に召され話相手も少なくなって寂しいという方のお話をお聞きします。友人は50代後半の若い女性でした。「主は与え,主は取られる。」という御言葉を思い出します。
友人がご紹介くださった多くの方とは、今後とも親交をはかり、御一緒に主を賛美できたらと思います。
 神様が共にいてくださり導いてくださいますから、今年もしっかりと主につながり、実り多き日々を過ごしたいと思います。今日一日に出会えたことを感謝し、主に栄光を帰することができますように。
 

2015/1/18 週報メッセージ

   「断食祈祷聖会」に出席して                                                                 
                                                                                                          朝位 真士
                                                                 
  私は1月12日~14日の断食聖会に部分参加をいたしました。講師は著名な先生ばかりで、最初は長く北陸で伝道されたY牧師でした。「日本に適した伝道方策」として、パウロの「ユダヤ人にはユダヤ人のように」(Ⅰコリ9・20)という言葉から、「日本人には日本人のように」と日本人の考え方や感じ方に合った伝道方策はと考えて浮かんだのは、「蓮如」のことだったと語られました。500年以上前に五七歳で北陸の吉崎に来て、わずか4年で北陸は変えられ、真宗王国と呼ばれるようになりました。蓮如から受けた教えとインスピレーションは、大きな指針となりました。先生は浄土真宗の牙城に、ゆだねる伝道として三つのポイントを語られました。①みことばにゆだねる。(使徒20・
32)②他の人に教える力のある忠実な人にゆだねる。そして初代教会は「弟子の数がふえて行った」。(使徒6・7)③「ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。『あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。』」(ヨシュア13・1)と、しめくくられました。ちなみに先生は私と同じ羊年です。
 次にO牧師で、ミッションスクールの院長をされた後、現在は東京のある教会の牧師です。彼は「私たちは『祈れ』と神から待たれている」と題して、「祈りは神の御許によじ登る登山に似ています。私たちには、日常性、世俗性という重力が働いています。その重力に抗して登攀すること、それが祈りです。祈りは神から待たれ、促され、引き出されてくるものだからです。私たちは、神から『祈れ』と待たれているのです。待たれていることを知って、応答する誠意が引き出されます。呼応の相互性こそ、人間の深い喜びです。」と語られました。 

2015/1/11 週報メッセージ

   2015年ホ群新年聖会に出席して
                                                                                                          朝位 真士
 
  2015年1月2日(金)、教団小松川教会でホ群首都圏新年聖会が開催された。今回の主題は「終末における希望」(Ⅰペトロ4・7)で、聖会Ⅰの司会佐々木羊子師(TBS吉川教会)、立証・音楽ユース、説教山口紀子師(更生教会)、聖会Ⅱの司会柏明史師(茅ヶ崎恵泉教会)、立証阿部晋也神学生(東京聖書学校)、音楽東京聖書学校、説教島隆三師(東調布教会)であった。
 テキストであるⅠペトロ4章7~11節を引用する。「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。」この箇所から、若い山口師が大変ソフトに具体的な事例を引用されながら語られ、よく理解できた。特に、実年齢を三で割ると二四時間の人生時計の時刻になるという内容に、襟を正された。終末・再臨が近いからこそ、全力を尽くして主の業に励まねばならないと教えられた。
  島先生のメッセージは、流石に長い牧会者であり東京聖書学校の校長らしい重厚なものであった。特に、思慮深く、身を慎んで、よく祈り、何よりもキリストの愛をもって、心を込めて愛し合わなければならないということが印象深く残った。ハレルヤ!!

2015/1/4 週報メッセージ

   成長させて下さる神
                                                                                                          朝位 真士
 
  2015年度は聖書Ⅰコリント3章1~9節より「成長させて下さる神」というテーマが与えられました。特に3章7節「成長させてくださるのは神である」という聖句に、本年期待させていただきたいと思います。
 桜ヶ丘教会は92年目の歴史を経ており、少しずつ成長させていただいていますが、私はもっと主イエス・キリストに期待したいと思います。そのために、桜ヶ丘教会におけるヴィジョンと信仰が必要です。コリント教会から人々について学ぶことが最善だと思いました。コリント教会には大別して三種類の人間がいたと思われます。①自然の人(生まれながらの人間、2・14)、②肉に属する人間(3・1)、③霊の人(御霊に属する人間、3・1)。第一の人間は生まれ変わっていない人です。第二の人間はキリスト者になって新生はしたが、まだキリスト者として完全な域に達していない人で、党派心、ねたみ、争いなど肉に属する人間(ガラテヤ5・19~21)です。まだきよめられていない人間です。第三の人間は霊的に成長している人です。
 パウロは「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させてくださったのは神です」(Ⅰコリント3・4~7)と語っています。第一に人は人を導く道具にすぎません。キリスト者は信仰を与える者ではありません。第二に信仰を成長させてくださるのは神です。もちろん「宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして聞くことができよう。良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」(ローマ10・14~15)と書いてある通りです。主の働きは尊い仕事です。キリスト教信仰は神の業であって、人の業ではありません。用いなさるのは神です。

2015/1/1 週報メッセージ

                                                              2015年を迎えて                                                                イメージ 1                              朝位 真士
 
   2015年を迎えて二つの聖句が与えられました。ヨハネ15章5節「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人とつながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」とⅠコリント3章7節「大切なのは植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」という二つの聖句です。
 2015年は桜ヶ丘教会が開拓されて92年目に入ります。1923年6月1日、初代牧師である故板井康裕先生が開拓されて、今日まで多くの牧師、伝道師、信徒、求道者たちによって苦難の歴史を乗り越えてきた教会ですが、1975年故西海静雄先生、満希子先生(現在越生教会)によって杉並区下高井戸4丁目にあるパールハイツ桜上水というマンションに教会独自の会堂が与えられ、その後宗教法人格を取得しました。1997年12月17日、現在地下高井戸3ー2ー9に59坪の土地と新会堂が与えられ今日に至ります。現住陪餐会員の半数の方々が天国へ行かれましたが、2014年には二人の方が転出され、二人の方が受洗され、二人の方が転入会されました。新しいメンバーが加えられ、いよいよ百周年に向かって桜ヶ丘教会丸も航海しています。
 今年はどんな荒波が教会に世の中に吹いて来るかわかりませんが、マルコ6章45~51節にあるように、逆風が吹いて来ても「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われたイエス様の言葉を思い出して、またクリスマスに「その名はインマヌエル」「神は我々と共におられる」と言われたことを信じる信仰に堅く立って、
2015年も主イエスと共に、また皆様方と共に前進して参りたく存じます。どうぞ桜ヶ丘教会丸が沈没しないように、向こう岸の神の国を目指して前進いたしましょう。

2014/12/28 週報メッセージ

   2014年をふり返って   
                                                                                                     朝位 真士
 
  2014年の礼拝は今日で最後である。14年度は来年3月までであるが、この14年を静かにふり返ってみるとさまざまな出来事が目に浮かぶ。まずA兄が3月14日召天。彼は会堂建設委員長として長年良き働きをされた。静かに天国に帰って行った。イースター礼拝では、A兄の長女Mさんが受洗し感謝した。4月27日、第1回教会総会開催。教務報告、2013年度会計決算が議決された。6月1日(日)創立91周年記念礼拝、岸義紘先生(サックス奏者、JTJ神学校元校長)、説教「多く赦された人は多く愛する」(マタイ18章21~35節)、音楽とメッセージの素晴らしい集会で59名が出席した。91周年記念カレンダー作成、100冊販売。 個人的になるが、私は夏期休暇をいただき、息子憲義牧師の牧会する日本キリスト教団琴平教会(香川県)を問安した。現住陪餐会員43名、礼拝26名、CS10名で、祈りの課題は、①牧師のため、②新しい教会形成、③地域宣教のため。なお祈ってほしい。9月1~3日、法務省地下大会議室で行われた教誨師中央研修会に参加。全国から
200名の教誨師や関係者が集合。今回の目的は、「少年施設に所属し、中央研修会に出席経験のない教誨師を対象に、矯正行政の施策や方向性並びに矯正施設の収容動向等を理解し……教誨活動の向上に資する」という事で、私は11年目に参加。
 10月26日、チャペル・コンサート。ヴァイオリン吉岡篤志氏、ピアノ長瀬賢弘氏。プロ作成の新聞折込3千枚で69名の出席。11月2日、召天者記念礼拝。『桜ヶ丘教会創立90周年記念誌』が300冊発刊され、出席者、関係者に配付。11月3日、ハンセン病施設見学。大切なことを学んだ。
 転会者は二人で、5月18日にY姉、10月19日にM兄である。本当に今年もいろいろな事柄があった。