榊原紀惠子 のすべての投稿

2015/10/18 週報メッセージ

   JHA30周年記念大会に出席して 
                                                                                                          朝位 真士
 
  10月12日から13日迄、日本聖化協力会(JHA)の30周年記念大会に出席した。講師はジョン・N・オズワルト博士である。オハイオ州出身で、テイラー大学、アズベリー神学校を卒業後、プランダイス大学で哲学博士号を取得。学びの分野は旧約学、特に古代中東の宗教との対比におけるヘブル宗教の成立である。アズベリー神学校、トリニティ神学校、ウェスレー・ビブリカル神学校で旧約学を教え、一時アズベリー大学の学長も務められた。現在はアズベリー神学校の客員教授を務めておられる。
 聖会Ⅰでは、ローマ12章1~2節「変貌される生涯」と題して、明け渡すということについて4つの点を語られた。①自分の意志を明け渡す。②自分の達成感を明け渡す。③自分を引き上げようとすることを明け渡す。④自己満足を明け渡す。結論は、この世と調子を合わせず、自分の体を神に献げることである。
 聖会Ⅱは、Ⅰヨハネ4章7~21節「全き愛」。クリスチャンの信仰を証明するものは、①従順②愛③信仰である。愛は一般的に、①ストルゲー(幼な子に対する母親の愛)、②フィレオ(友達の親愛の情)、③エロス(一般的に性的愛と言われるが、自分が満たされるために必要な愛)の3つと言われる。しかし聖書の語る愛はアガパオー、アガペー、神の愛であり、自分を否定し誰かのために与えていく犠牲的愛である。旧約ではヘセドといい、慈愛ともいう。無償の恵み、ホセア書に出てくる不変不滅の愛である。
 聖化とは、「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。」(Ⅰテサ4章3節)にある。私たちが聖く生きることは主の御心にかなったことであり、その生涯は喜びと幸いに満ちている。この聖会は私の人生にとっても新たな決意の時となり、誕生月に2つの誕生を迎えた。                                     

2015/10/11週報メッセージ

   誕生日を迎えて
                                                                                                          朝位 真士
 
  10月6日、私は誕生日を迎えました。詩編139編13~14節「あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。」
 18歳で教会に導かれ、受洗し、会社に勤務し、献身し、神学校を卒業して、40年経過。その間、2つの教会を牧会させていただき、東京へ転任して21年目。新会堂建設の恵みにもあずかりました。しかし、現住陪餐の半数以上を天国へ送りました。私は最近、開拓伝道と教会形成のため、密室の祈りを欠かせません。教会の諸集会は勿論ですが、他の奉仕として、キリスト伝道会のエヴァンジェリスト、教誨師、篤志面接委員として、小さな奉仕をさせていただいています。近所では、ボランティアと町内の清掃隊のメンバーとして奉仕させていただいています。最近嬉しいことは、携帯用の聖餐式セットを教会で購入していただいたので、ホームに入っておられる方や、御自宅におられる方で高齢のために教会に来られなくなった方の所へ、信者の有志の方々と訪問させていただくことです。また礼拝に来られなくなった方々を訪問したり、印刷物を送付させていただいたり、メールで連絡を取り安否確認をさせていただき、毎日教会員をはじめ、教会に関係しておられる方々のお祈りをさせていただきます。
 祈るときには自分も恵まれ、信仰が生き生きとしてくるものです。クリスチャンの実業家の方々のためにも、キリスト教関係の事業のため、キリスト教団体のため、世界の平和、政治・経済、教育のためにもお祈りしています。祈りは時間が足りません。本当に祈りは楽しいものです。皆様方も、毎日少しずつでも祈りの世界に御一緒できればと祈っています。教会の将来のために、特にお祈りください。

10月を迎えて

イメージ 1写真:K/Kさん提供
10月の朝は、秋が深まって来ていることを私たちに知らせてくれています。
さて、10月第一聖日の桜ヶ丘教会では、この夏に2人の信徒の方が天に召されて寂しさを隠せませんが、新たに桜ヶ丘教会の礼拝に御出席になる方も与えられて、少し嬉しく思っております。
また、10月1日の昼の祈祷会にも、新たな方がおいでくださいました。
日曜日礼拝では、高価なナルドの香油をイエスさまの頭に注がれた女の話を通して、最も大切なものを献げることの意味を教えていただきました。
女の注いだ香油は、お金に換えれば貧しい多くの人に施すことも出来ました。
そのことでそこにいた何人かは、女に憤慨して厳しくとがめたとあります。
しかし、イエスは、女のイエスに対する信頼を理解され、女が一生を通じて1回しかないイエスに対する配慮の機会をとらえ、女が十分な愛をしめしたことに、重要な意味があることを諭されたのです。神に対する信頼の行為は、たとい人の目に愚かに見えなんの意味もない無駄なものと思われても、キリストによって意味が与えられるというのです。永遠性を持った行為となると教えていただきました。
ウイリアムバークレーが、この語全体を愛の行為として4つ上げているとのことでした。
1つは、女のしたことは美しい事であった。
2つは、もし愛が真の愛であれば、常にそこにはある種の浪費があるに違いない。
3つは、愛はそれを行う機会がただ1回限りしかないことがあるということを知っている。
4つは、もう一度我々はイエスに破りがたい確信をみるのである。
神様に献げるときに、余っているものを献げるというような事ではなく、大切なものを献げることが重要であるということを、この女の香油注ぎの話から理解できます。
どうぞ、与えていただいている命や時間、財的なものなど・・・・恵みを感謝し、主にささげることを考えたいものです。

2015/10/4 週報メッセージ

   洗礼を受けるにあたって
                                                                                                        朝位 真士
  9月20日の礼拝で、O姉が受洗されました。姉は昨年12月21日のクリスマス礼拝より求道生活をされ、洗礼を受けるように導かれました。本人の許可を得て、次の文章を転記します。
 
  仕事をしていて人の口より神様より他に知らない事が聞こえて来たり、テレビ等で教えてもらった事など、
 神様に生かされている自分を感じました。イエス・キリスト様だとは、気づかない私が神社にお願い事を沢山
 していました。ある時、姉と私が電話していて、クリスチャンである姉が私に「御利益信仰ばかりではだめ
 よ」と言われたので、私もそうかもしれないと思い、「キリスト教は人格の神様なのよ」と言われ、どんな神
 様なのかしらと思っていたら、姉より「教会に行ってみなさい。調べてあげるから」と言われ、電話番号を教
 えてあげるからと言われ、電話番号を教えてもらい桜ヶ丘教会に問い合わせたら、午前十時半から礼拝をや
 っていますから、どうぞという答えがありましたので、二〇一四年十二月二十一日に行きました。私も最初は
 何かわからなかったが皆様に教えて頂き無事過ぎました。こちらの神様に信仰しなかったら、お恵みを沢山い
 ただけるのに申し訳がないので、こちらの教会に通う事が良いのではと思いました。生きた神様だと思いまし
 た。
  これがきっかけでした。今は神様がいつもいらして下さるのを感じ、未熟な私でも神様に教えていただきな
 がら、成長するのが楽しみです。こんな私でも神様は愛し救って下さったのだと感謝しています。皆様には今
 後とも御指導、お導き下さる様よろしくお願い申し上げます。最後に御言葉を引用します。「わたしは植え、
 アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(Ⅰコリ3・6)
 
 O姉の信仰が成長される事を神に祈るものであります。

2015/9/27 週報メッセージ

   この頃の出来事
                                                                                                       朝位 真士
  今年の夏から秋にかけて私自身経験したことは、天国へ召される方が例年になく多かったことです。最初の方はS先生です。7月8日に82歳で召天されました。6月24日に先生のお宅を訪問し、病床の先生にお会いしました。入信・献身・結婚・牧会等についてハッキリとした口調で約1時間半語ってくださり、その後2週間余で天国へ旅立たれました。
 次は私共の教会の役員を長くされたM長老です。8月17日午前2時過ぎに天国へ旅立たれた。88歳9ヶ月の生涯でした。7月31日にM夫人と娘さんと3人にお会いし、聖書を引用してお祈りをし、家を出ました。彼は90周年誌に次のような文章を記載しています。「教会役員として、また会堂建設の会計担当者として私も会堂建設に関わらせていただきました。……これからは、与えられたこの立派な会堂に溢れるほどの会衆と共に礼拝を守ることを目標として頑張っていけたらと思っています。」私共はM長老の遺志を思い、天にいるM長老をはじめ桜ヶ丘教会の方々の祈りを実践したいと思います。
 次はT姉です。9月3日に74歳6ヶ月で召天されました。私は8月28日午後訪問させていただきました。T姉とT兄、娘さんの3人とお会いし、本人の前で葬儀で賛美する曲目や聖書の言葉、詩23編について話をしました。まだ意識がハッキリして話もできるT姉を交えての準備でした。そのお顔は平安と確信に満ちておられました。
 私は「天に一人を増しぬ」という詩を思い出しました。「天に一人を増しぬ/家には一人を減じたり」私は桜ヶ丘教会に来て、数十人の方々が天国へ旅立つお手伝いをさせていただきました。天国でこれらの方々と主イエスを中心にお交わりができることを楽しみにしています。

敬老感謝の礼拝

イメージ 1写真:K/Kさん提供
 2015年9月は、敬老の日を迎え、シルバーウイークと称される連続した祝日を迎え、はや最終日が過ぎようとしています。新緑の5月ゴールデンウイークとは異なり、どことなく実りの秋の落ち着きがありますね。
 9月20日(日曜日)の礼拝では、75歳以上の方々に感謝の思いをお伝えいたしました。
 高齢者になると、「1弱ってくる、2退かなくてはならない、3終わりに近づく」という3つのことに直面することについてお話がありました。また、「1整理する、2準備する、3チャレンジする」ということについてもお話をうかがい、高齢期の豊かな人生のあり方とはについて、考えさせられました。
 また、20日の礼拝では、O姉妹の洗礼式が執り行われました。とても静かで、感動的な主のお導きを感じるものでした。O姉妹の穏やかですが、明確に主に委ねて生きようとされている心を感じる洗礼式でした。これまで歩まれてきた人生の中で、泉のほとりにたどり着いた安堵感が満ち溢れていました。
 神様が新たにお仲間を加えてくださり、教会員一同本当に嬉しく思っております。主に感謝するとともに、O姉妹に心からお祝い申し上げ下ます。
 礼拝のお話は、「目を覚ましていなさい」というテーマでした。(マルコによる福音書第13章32~37節) 主の恵みは誰にでも注がれています。恵みを受けて聖霊の実を実らせて行く必要があります。愛の実を身にまとい、平和の主に仕えていくことができるように、絶えず目を覚ましていたいと思います。主は実をつけない木にも、栄養を与え、実をつけることができるように忍耐をもって憐れんでくださいます。
しかし、その日はいつ来るか誰も知らないのですから、私たちは、目を覚まして過ごすことがどのような事なのか、しっかり心に受け止めて、過ごしてまいりましょう。
 

2015/9/20 週報メッセージ

   私の洗礼式の思い出                                                                 
                                                                                                          朝位 真士
 
  私は1961年12月24日に、教団ホーリネスの群北九州復興教会の故山中日出刃先生によって受洗いたしました。18歳の高校生でした。高卒後商社に9年勤務し、1975年に東京聖書学校を卒業して、19年間、母教会の北九州復興教会で副牧師として山中先生にお仕えしました。
 何故受洗したかといいますと、人生に悩み、将来に不安をもっていた高校生の時、友人の持田倫生君から教会に誘われ、高校生の夏の特別集会に導かれて御言葉が妙に心に残りました。当時の話の内容は忘れましたが、ヨハネ福音書3章16節「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」という御言葉を通して、単純に、主イエス・キリストの父なる神は、イエス・キリストを通して、この世(私自身)を愛して下さり、私の罪の為に十字架にかかり、3日目に復活されて、目には見えませんが、信じる私達といつも共にいてすべての事を最善にして下さる愛なる神であるという事を信じました。単純ですが、その年のクリスマス礼拝の中で、山中先生に洗礼を授けて頂きました。先生が私の頭に洗礼式の水を注いで下さった時の感動は今でも忘れません。あれから54年の年月が経過しましたが、私の心は18歳の少年の如く、教会に一人でも多くの方々が来られて、洗礼を受けてクリスチャンとしての生活をしていただきたいと願うものです。
 今日一人の姉妹が受洗されます。本当に感謝なことです。聖書に「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」(Ⅰテモテ2章4節、口語訳)とあります。教会に出席されるすべての人々がクリスチャンになられて、共に天国の民として、また神の子としての生き方をして頂きたいと思います。      

2015/9/13 週報メッセージ

   宇都宮上町教会教師会に出席して
                                                                                                        朝位 真士
  9月7日、私共はホ群宇都宮上町教会の新会堂の訪問見学をさせていただきました。そこで牧師の澤田武先生が新会堂建設にまつわる経過報告をメッセージの中でしてくださいました。
 
  2011年3月11日、東日本大震災の日、旧会堂で礼拝準備を終えてホッとしていたところ、大きな揺れ
 に外に飛び出しました。牧師館や教会の外壁にひびが入り、ゆっくりと落ち、十字架の塔が激しく揺れている
 のを呆然と見ておりました。……旧会堂に上がると、厚い壁が割れて何箇所も落ち、床やベンチに大きな傷が
 ありました。……その日の夕方から近隣の教会員が駆けつけてくださり、懸命に片付けて、日曜日に安全と思
 われるエントランスホールで礼拝を捧げることができました。その後剥落した内壁、十字架塔の鉄骨の断裂や
 外壁の無数のひびなど、多くの補修を重ねて当面は使用に耐える礼拝堂に戻すことができましたが、建物自
 体の寿命である築50年が近づいていることも考えて、新会堂の建築という大きな決断をしました。「日本基督
 教団東日本大震災救援募金」から3千5百万円の支援を受け、自己資金2千5百万円、教団借入金3千2百
 5十万円を合わせて9千2百5十万円で、木造一部RC造、延べ床面積313.62㎡の新会堂が完成しました。
 2014年10月12日定礎式、2015年5月29日竣工引き渡し、7月19日献堂式がありました。
 
 私は先生のお話を伺いながら、よく皆様が信仰の決断をされて、震災後のさまざまな試練の中を今日まで守られて完成に導かれたと、本当に全能の神、イエス・キリストの父なる神を心から賛美いたしました。これからの課題は、地域の方々が救われ、健全な牧会運営がなされ、教団借入金を20年で返済することです。お祈りをさせていただき、私共も少しでも献金ができればと祈る次第であります。(ローマ8・28)

2015/9/6 週報メッセージ

   ある牧会訪問より
                                                                                                         朝位 真士
  最近私は重病の方々を見舞う時が与えられています。先日もT姉を訪問させていただきました。家人の許可を得てのことですが、死後のことを語らせていただきました。大変落ち着いて、自分の葬儀のプログラムまで私に指示をしてくださいました。T姉は、死は恐怖でもなく、あきらめでもなく、天国に行くプロセスであり、愛するイエス様を始め、召天された方々と再会できる希望があり、地上におられる方々ともやがて天国で再会できるという確信に満ちていました。
 私も伝道師・牧師になって40年間に多くの方々の臨終の場面に接してまいりましたが、こんなにも平安と死後の世界の確信に満ちている方も珍しいと思いました。死は、一般的に未知の世界に行くのですから、恐怖であり、死にたくないと思うのが普通ですが、T姉は「すべては、神様の御手にあります」と、やさしい笑顔ではっきりと述べておられました。人間的に大変苦しい病気との戦いですが、それも全て神様に委ねておられる御顔は、天の輝きのような感じがいたしました。
 私はT姉の葬儀で歌われるであろう讃美歌や、語って欲しいと言われた聖書を引用しました。詩編23編全部です。まるで生前葬のようであり、天国の婚宴のようでした。御家族にとっては、大変悲しいつらい出来事だと思います。しかし、主イエスは私達の罪の身代わりとなって十字架にかかって死に、3日目に復活されて、今も目には見えませんが聖霊様という姿で私共と常にいてくださるインマヌエルの神でいらっしゃいます。T姉は、この確信を信仰によって持っておられたと、私は信じます。
 「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3・11)

T姉の召天に思う

イメージ 1写真K/Kさん提供
 9月3日(木曜日)夜間に牧師先生から、T姉が召天されましたというご連絡をいただきました。
 T姉が筆で書かれた「書(聖書の御言葉)」が、桜ヶ丘教会に飾られていますが、T姉と教会員との数々の思い出は、桜ヶ丘教会のそこここにあります。
 何よりも、私たちの心の中に刻まれております。寂しいですね。教会堂で今一度お会い出来たらどんなにか嬉しかったことでしょう。
 T姉の夫であるT兄におかれましては、とても寂しいことと思います。どうぞ、T家に神様のお慰めとお癒やしがありますように。
 いつも祈りに覚え、T姉が病の中にあっても神様とともに平安の内に過ごすことができるように願ってきました。
 T姉とともに旅行にも行きましたね。
 いつも、とてもしっかりされていました。絵もお描きになり、書もされていました。
 8月にM兄を天に送り、9月早々にT姉が天に召されました。
 お二人とも、桜ヶ丘教会をお支えくださったことを覚えて、これからは、私たちがしっかりと信仰にたって進んでいかなければならないと思います。
 「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紬もしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。」
  マタイによる福音書6章28~29