聖書箇所 ペテロの手紙一 第2章1節~12節
説教題 「信仰に成長せよ」
お話 朝位 真士 牧師
讃美歌 216番
聖歌 454番
聖書箇所 ペテロの手紙一 第2章1節~12節
説教題 「信仰に成長せよ」
お話 朝位 真士 牧師
讃美歌 216番
聖歌 454番
Ⅰペトロの手紙を通して
朝位 真士
まずこの手紙全体の内容を見ていきましょう。この手紙は、周囲の人々(異教徒)から様々な迫害を受けている信仰者を慰め、信仰に固く立つよう励ます目的で執筆されています。そのため、まず1:3~2:10では、キリスト教信仰の基盤となる「救い」について解説し、その「救い」を読者に確信させようとします。次に、2:11~4:7では、その「救い」を望みつつ、異教徒に囲まれたこの世の生活をどのように過ごすべきかが説かれています。4:8からは、書簡の結びとして、一連の勧告がなされます。そこでは、教会内部の結束と、迫害に対する忍耐が主題となっています。当時のローマ帝国による組織的弾圧を反映しているといわれますが、むしろ新興宗教であるキリスト教信者に対する、周囲の異教徒からのより一般的・日常的な迫害が問題となっています。
この手紙の著者はペトロで、おもに小アジアに散在していたユダヤ人信者にあてて、シルアノに託して送られました。多分バビロンから出されたものと思われます(5:12~13)。当時まさに到来しようとしていた火のような大迫害を前にして、彼らの信仰を堅固にし、励まし、慰める為に記されたものです(1:6~7)。またペトロが異邦人信者に向かって記したことも明らかです(4:3)。年代は紀元60~70年頃ではないかといわれています。
私は数年前にも一度、ペトロの手紙を学びましたが、今はまさにこの世的な様々な魅力があり、信者でもこの世の誘惑や魅力に負けて、信仰の成長が妨げられる時代です。また、コロナウイルス・パンデミックの状況で、真面目な信者達も礼拝や集会に出ることを中断させられ、宣教活動や教会形成が難しい大きな試練の時代です。ペトロの手紙は、信者として、求道者として、どうあるべきかを大変具体的に示唆していると思います。一番良時期に、このⅠペトロ、Ⅱペトロの手紙が与えられたことを神様に感謝したいと思います。
聖書箇所 ペテロの手紙一 第1章13節~25節
説教題 聖なる生活をしよう
お話 朝位 真士 牧師
讃美歌 187番
聖歌 478番
2022年を迎えて
朝位 真士
私共が桜ヶ丘教会に赴任いたしまして28年目になります。桜ヶ丘教会は初代の板井牧師が開拓されて99年目に入ります。多くの牧師・伝道師たちが桜ヶ丘教会で奉仕をされ、その間、良き役員・信徒に恵まれ、地域に開かれた教会として宣教の業をしてまいりました。6月の創立記念日には毎年、岸義紘先生をお迎えして、サックスを演奏してメッセージを語っていただいています。またクリスマス・シーズンには、ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生ご夫妻をお迎えして、チェロ演奏とメッセージをお願いしています。今年もすでにお願いしています。ジャズの高田バンドにも時々来ていただいています。コロナ禍の中で外部に宣伝はできませんが、毎回これらの特別集会を待っておられる近所の方々がおられます。感謝なことです。
桜ヶ丘教会で奉仕された先生方が召天されたり、ご病気になられたりして、大変試練の時を過ごしていますが、Ⅰペトロ1章6~7節には、「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです」とあります。またヘブル12章11節には、「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」とあります。
「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」(ヘブル12章14節)私たちはホーリネスの群の一員として、教団の中で生きた証しをさせていただきたいと思います。神の家族として、お互いに愛し合い、祈り合って信仰生活を全うする1年でありたいと、神に祈るものであります。
今年与えられた聖句とその導き
朝位 真士
今年はⅠペトロ1章1~12節の御言葉が与えられました。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(Ⅰペトロ1・3)
桜ヶ丘教会が宣教開始九九年目を迎える新しい年に、困難な地である東京都杉並区で、神様は私たちにペトロのように宣教のヴィジョンと信仰を与えられたと信じるものです。もちろんこの業は神様の業ですが、私共一人ひとりが主の手足となって働きたいと思います。2020年からのコロナウイルス・パンデミックの状況で、世相が大変不安な状況にあります。政治、経済、教育の問題、また自然災害が各地で起こり、失業者が多く出て、人間が互いに不安の中にあります。しかし、昔も今も神様の恵みは変わりません。コンピュータやAI等で生活が豊かになった反面、精神的な病気を抱えておられる方々が多くなりました。暗くて不安な時代であればこそ、イエス・キリストの福音が必要だと思います。便利になった反面、人間同士の不信感が強く、親子、夫婦、兄弟同士でも、お互いに信頼し合って、祈りあい助け合わねばならない時だと思います。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(Ⅰコリ1・1~18)今こそ神様の御言葉に信頼して祈り、神様から愛されているお互いが助け合って、キリスト者としての証しをするべき時が来たと思います。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4・6)
聖書箇所 コリントの信徒への手紙Ⅱ 第5章11~21節
説教題 「キリストによる新創造」
お話 朝位 真士 牧師
讃美歌 502番
聖歌 428番
2021年をふり返って
朝位 真士
「すべての国よ、主を賛美せよ。/すべての民よ、主をほめたたえよ。/主の慈しみとまことはとこしえに/
わたしたちを超えて力強い。/ハレルヤ。」(詩117編1~2節)
この2021年は、いろいろな事がありました。日本に目を向けると、地震や暴風雨やコロナ・パンデミックのため、私共の生活様式が変化しました。オンラインでの仕事、産業界や観光業の減少、失業者の続出、病気や自殺者の増加、犯罪の多発。
そういう中で、私共の教会は少数の礼拝ではありますが、ユーチューブ配信も昨年から継続しています。週報を1週間前に印刷して、教会を休んでいる方々に郵送しています。近くの十数軒の方々には、牧師が訪問して安否を尋ね、お会いできる時には門前にて祝福のお祈りをささげさせていただきます。
私は超教派の朝祷会に出席して、桜ヶ丘教会のため、また2019年に前立腺癌を発症した自分のために、真剣にお祈りしていただきました。お陰様で今日まで数値は安定しており、主の御用が継続されています。2003年より始めた教誨師・篤志面接員としての少年院の奉仕も毎月継続しています。若い十代の女性に福音をストレートに語っています。私が十代(18歳)でクリスチャンになったお陰で、十代の悩み多い若い女性にキリスト教の牧師として堂々と、国の施設で福音を語ることができています。12月には職員も在院生も出席して、施設全体にクリスマス・メッセージを語ることができて、本当に感謝の一言に尽きません。これも桜ヶ丘教会の皆様の御支援の賜物だと、深く感謝しています。
主が天国でお迎えくださるまで、イエス・キリストの福音を語っていきたいと思います。迎える年も、神の祝福を切に祈るものであります。
聖書箇所 ルカによる福音書第2章1節~20節
お話 朝位真士 牧師
説教題 「喜びのクリスマス」
讃美歌 103番
聖 歌 122番
61年目のクリスマスを迎えて
朝位 真士
私は、1961年12月24日(日)九州の北九州復興協会で山中日出刃牧師より受洗いたしました。当時、高校3年生で、友人の持田倫生君により教会に導かれました。高校生の特別集会があり、そのまま継続して教会に導かれて、受洗いたしました。キリスト教のことは、あまり深く勉強していませんでした。しかし、御言葉が深く心にとどまりました。ヨハネ3章16節(口語訳)「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」という御言葉です。当時は人生に悩み、人を信じられない状態でしたが、友人の優しい誘いによってキリスト教会に導かれて、毎週のように通うようになりました。今考えてみると大変純粋な青年であったと思います。教会での青年達の交わりが大変温かく、彼らは真面目な人々であり、教会の方々も信仰的で温かくて優しく、本当に心の底からの居場所でした。教会の青年会の活動や、清掃、夕拝、祈祷会等も積極的に参加して、日曜日の教会生活が大変充実していました。その後、商社に就職し、北九州、福岡(博多)、東京と転勤になりましたが、東京では淀橋教会で小原十三司先生、峯野龍弘先生の御指導を受けて、キリスト教の聖会等にも出席して、1971年、東京聖書学校に入学しました。
4年の学びを経て、北九州復興教会で19年間、清水会堂と曽根会堂に仕え、1994年4月、家族4人で桜ヶ丘教会に赴任いたしました。その原点は、あの十代の青年の時、教会に導かれ、受洗したことです。受洗したクリスマスの想い出が、まるで昨日の如く感じます。伝道者となって四六年経過していますが、ますます主の僕として、生ける限りお仕えしたいと、毎日早天密室(デボーション)で神にお祈りしています。
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に。」(伝道の書12:1、口語訳)