聖書箇所 マタイによる福音書第5章21節~26節
説教題 祈るときに大切な事
お話 朝位 真士牧師
讃美歌 352番
聖 歌 542番
聖書箇所 マタイによる福音書第5章21節~26節
説教題 祈るときに大切な事
お話 朝位 真士牧師
讃美歌 352番
聖 歌 542番
オンライン会議に参加して思うこと 朝位 真士
5月8日午後1時より、ホ群臨時年会がオンラインで開催された。私とフミ子師は慣れない感じで参加した。内容は、ホ群の新委員の選出や2021年度の活動報告であった。最初は緊張してパソコンの前に座していたが、会議が進行するにつれて私は少し妙な感じがした。本来であれば、所定の会場に集まってお交わりがある中で議事が進められるところである。オンライン会議は、各自がその場所で会議に参加することができて、一見良いことのように思えるが、私は何か不思議な感じがした。画面上で一同接することができてはいるが、何か妙な感じがした。
キリスト教では、主イエスを中心とした主にある兄弟姉妹との対面であるのが普通である。現在は異常事態である。オンラインでの2時間余の会議は、大変疲労を覚えた。特に眼に疲労を感じた。これは私だけの問題ではないと思う。たしかに時代の変化に教会も個人も対応していかなければならないが、一日も早くこのコロナ・パンデミックの状況が終息することを祈る今頃である。以前のように対面で主にある兄弟姉妹との交わりが再開され、福音が一人でも多くの方々へ届けられるように伝道したい思いでいっぱいである。
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(伝道の書3:1、口語訳)
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなさるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。」(伝道の書3:11、口語訳) 一日も早く神様の最善の時が来ることを祈る毎日である。
聖書 マタイによる福音書第5章17節~20節
説教題 「主イエスと聖書」
お話 朝位真士牧師
讃美歌 23番
聖 歌 428番
こどもの日に思う
朝位 真士
5月5日は古来から「端午の節句」として男子の健やかな成長を願う行事が行われていたので、この日を「こどもの日」として祝日とする請願が国会になされ、1948年7月20日に5月5日が「こどもの日」として制定されました。5月5日を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する休日」と定めました。「端午の節句」が強調され、男の子の日と思われがちですが、元々の「こどもの日」は母子の健やかで豊かな生活を願い祝う日だったのです。今では「こどもの日」には、男の子だけでなく女の子も一緒になって祝うのが一般的になりました。私は「こどもの日」の起源を調べて、あらためて幼い頃に真の創造主である神様を信じることがいかに大切であるかを感じました。
最近二人の孫が遊びに来て大変嬉しく思ったのは、二人とも聖書に興味を持ち始めたことです。フミ子師が聖書の物語、イエス様のことを話しだすと、大変興味をもってきたことに感動しました。普段はユーチューブやゲームに熱中していますが、聖書の話をすると二人とも大変興味をもちました。先日、礼拝の中で聖餐式が行われた際に、8歳になる上の娘が聖餐式にはどのような意味があるのかと大変興味を示していました。聖書のマタイによる福音書18章3~5節に「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」とあります。わたしはあらためて教会学校の大切さと同時に、家庭における宗教教育の大切さを感じました。
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に、」(伝道の書12:1、口語訳)
聖書箇所 マタイによる福音書第」5章13節~16節
説教題「地の塩 世の光」
お話 朝位真士牧師
讃美歌 7番
聖歌 232番
母の日を前に思う
朝位 真士
5月8日は母の日です。世間では日頃疎遠になっている母への感謝を表す日です。私の母は五十数年前、50歳で召天しました。6月25日午前0時45分頃だったと記憶しています。母は大変世話好きで、私共に優しく、従業員の方々にも親切で、皆から慕われていました。「親孝行したいときには親は無し」と言われている如くです。信者ではありませんでしたが、私の信仰には大変理解がありました。私がもう少し熱心であったら、母を信仰に導いたと思います。父は晩年、本田弘慈先生によって導かれ、キリスト教式で葬儀ができました。75歳でした。
さて、母の日の起源について記します。アメリカ・ヴァージニア州ウェブスターのメソジスト教会に、アンナ・M・ジャーヴィスという教会学校の教師として26年間奉仕した婦人がいました。その後ジャーヴィスは亡くなり、教会での追悼会の時、娘のアンナは以前お母さんから聞いた「あなたの父と母とを敬え」の箇所を思い出し、たくさんのカーネーションの花をささげ、お母さんを偲びました。このことが列席者一同に大きな感動を与え、やがて有名な百貨店王といわれ後に大臣になっても教会学校の校長を続けたジョン・ワナメーカーの賛同を得、同氏の店頭で5月第2日曜日に盛大な祈念会が催されました。これが母の日の始まりで、1908年(明治41年)のことでした。1914年にアメリカ議会は5月第2日曜日を母の日と定め、国旗を掲げてお母さんに敬意を表すことになり、やがて母の日は全世界に広まったのです。
教会は「母なる教会」と一般的に言われています。私の母教会は北九州復興教会で、1961年12月24日、18歳の時に救われて、62年目を迎えます。私自身、信仰成長をしていきたいと思います。
説教題 「幸福の条件」
聖書箇所 マタイによる福音書第5章1節~13節
お話 朝位 真士牧師
讃美歌 202番
聖 歌 292番
ホ群教師の召天に際して
朝位 真士
先日、フミ子師の関係で牧師婦人に連絡をしたところ、御主人の牧師先生が4月17日のイースター礼拝後に召天されたということを聞き、私共は大変ショックを受けました。その牧師は長く地方で地道に牧会伝道をされ、現役時代はホ群委員としてホ群の中で指導的な立場でした。私は生前先生が牧会された地方の教会を訪問させていただきました。民家を改築して、教会として用いていました。先生はそこで牧会され、一時は関東の教会に転任されました。会堂建築の諸準備をして、あえて地方の教会へ赴任されました。晩年、教会を建築された後、若い伝道者に任せ、息子さん家族と同居して平安な日々を送っておられたことをご夫人より伺いました。いつもご夫婦でホ群などの諸集会に出席されていました。先生は2022年のイースター礼拝を守られた夜、安らかな姿で召天されたことを伺いました。生涯の最後に相応しい召され方であったと思います。3人の息子さんは立派に成長され、それぞれ自立しておられることを伺いました。ホ群の初期の先生方や信徒の方々は、貧しい中にも信仰生活を全うされました。先生はホ群の模範的証し人だと思います。
「主の慈しみに生きる人の死は主の目に値高い。」(詩116:15)
ご遺族の上に神の慰めと祝福を祈ります。
聖書箇所 マルコによる福音書第16章第9節~20節
説教題 復活後の弟子たち
お話 朝位真士 牧師
讃美歌 273番B
聖歌 606番
イースター礼拝を迎えて
朝位 真士
キリストの復活は、わたしたちにどのような益をもたらすのでしょうか。ハイデルベルク信仰問答の問45の答に次のようにあります。
第一に、キリストは、復活によって、死に打ち勝ち給いました。その死によって、わたしたちのために獲得して下さった義に、与らせて下さるためであります。第二に、その御力によって、今や、わたしたちも、新しい生命に生きるものに呼び覚まして頂きました。第三に、キリストの復活は、わたしたちの祝福された復活の確かな保証であります。(聖書引用、ローマ4:25、Ⅰコリ15:16~18、54以下、Ⅰペト1:3、21、ローマ6:4、エフェソ2:4~6、コロ3:1~3、5、ローマ8:11、Ⅰコリ15:12、20~22)
私はハイデルベルク信仰問答の教理問答を久しぶりに学び、キリストの復活の記事に触れ、1961年12月24日に受洗してから61回目のイースター礼拝を迎えて、あらためてキリストの十字架と復活の出来事は私のためであったと、神に感謝いたしました。皆様方もイースター礼拝を迎えられて、どんな風にお感じになられたでしょうか。コロナ禍、ロシアとウクライナの戦争、人間関係の希薄な時に、主イエス・キリストの復活を私たちの心の中に迎えようではありませんか。