榊原紀惠子 のすべての投稿

2022/12/11 週報メッセージ

思い悩むな

朝位 フミ子 

  マタイ6章では、主イエスは「思い悩むな」と私たちに呼びかけられます。私たちの心の中には、毎日生きていれば様々な声が聞こえてきます。その声の多くは、心を騒がせる思い悩み、心配事です。生活のこと、仕事のこと、経済的なこと、家族のこと、親子のこと、自分の健康、社会の問題、自分の将来のこと、コロナのこと、私たちは心を悩ませ、不安になり、自分の力で何とか解決しなければ駄目だと思い、心配事、思い煩いが増えていくのです。心の中が思い悩みや思い煩い、心配事でいっぱいになってしまうと、他のものが心の中に入り込む余地がなくなる訳ですから、私たちにとっては不幸なことであり、どんな時も不安な気持ちで生きなければならなくなるのです。

 だから、そんな私たちに主は「思い悩むな」、「思い煩うな」、「もう心配しなくても、大丈夫だよ」と呼びかけておられるのです。主イエスは、あなたをこんなにも大切に思っている、神に信頼しなさい、神様があなたのことを本当に愛し、慈しんでおられることを忘れないようにしなさい、ということなのです。それは、私たちが色々な事で心配している、思い悩んでいる時に、まるで神様が共におられないように、何でも自分の力でしなければならないと考えてはいけない、神様はあなた共におられ、あなたの重荷も一緒に担ってくださるのだから、心配しなくても大丈夫だよと、はっきりと言ってくださっているのです。

 ここで重要なのは、主は、神様のいることを忘れ、神様の御前にあることを忘れて、神がおられないような生き方をしてはいけないと言っているのであって、神様が共におられることに早く気づき、神様に励まされなさい、神様に慰められて、神様に癒されなさい、どこにも助けはないと一人で間違って思い込んで、自分の心と体を余計にすり減らして生きてはいけないよと、語りかけてくださるイエス様の言葉に信頼していくことです。

2022/12/4  週報メッセージ

クリスマスの礼拝を考える

朝位 フミ子 

  クリスマスは私たちにとって忙しい時です。私たちはそのような現実の中で、毎年決められたことをこなすのに精いっぱいで、本当にクリスマスを祝うというのはどういうことなのかをあらためて考えることができなくなっているかもしれません。そうだとするならば、この機会にちょっと立ち止まって、私たちのクリスマスの礼拝のあり方を考えてみたいですね。

 ご存じのようにクリスマス成立の事情は複雑です。クリスマスが祝われるようになったのは4世紀になってからで、12月25日も、そもそもは冬至に行われていたローマの太陽神の祭りであったものを、教会が強引にその日を降誕祭にしてしまったのです。そのためにクリスマスは主に冬至に関わるヨーロッパ各地の民族的な祭りに起源をもつ習慣や伝統を受け継ぐことになりました。教会はそのような習慣を聖書的に再解釈しようとしてきましたが、クリスマスがもつ祝祭的な雰囲気がそうした各地の祭りから来ていることは明らかです。私たちは必ずしもそのような祝祭的な要素を排除する必要はないでしょう。むしろ、世俗的な面をもっているが故に、クリスマスは多くの人が共に喜ぶことのできる楽しい祭りになったのかもしれません。

 キリスト者としてクリスマスを祝う私たちは、ただ雰囲気に流されるのではなく、クリスマスにおいて本当に大切な事柄が何であるかを問い続けなければいけません。主の降誕を祝うこの祭りが英語圏でキリストの礼拝と呼ばれるようになったのです。私たちは何よりも礼拝において主のご降誕を祝うのです。そうであるならば、礼拝そのものが本当に喜びに満ちたものになるよう努力をしたいと思います。

 「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。』」(ルカによる福音書2章10節)

2022/11/27 週報メッセージ

アドヴェント(待降節)
                      朝位 フミ子 

今日からアドヴェント、待降節が始まります。アドヴェントの礼拝に初めて出席された求道者の皆さんは、こう思っておられるかもしれません。なぜ教会にはアドヴェントがあるんですかと、疑問に思うかもしれません。待降節は文字通り、クリスマスを待つこと、キリストの御誕生を待つ期間です。つまり、救い主を待ち望み、そのために主イエスとの新しい出会いに向けて,心を準備する期間なのです。
 しかし、この待降節は、単に毎年、新しくクリスマスを迎えるためにあるわけではありません。待降節には、実は二重の意味があって、待降節でクリスマスに主イエスを迎えることは、この世の終わりの時に、再びこの世に来られる主イエスの再臨を待つことと一つに重なるのです。待降節は,単にクリスマスを待つのが嬉しいから、心を備えて待つわけではありません。やがて、この世の救いの歴史の終わりの日に、再び来られる主イエスとお会いすることを待つということが、本当の待降節の期間の過ごし方であり、それが私たちの人生を変えるとても大切な時になるのです。つまり今日、この日、この時、私たちがどういう姿勢でクリスマスを迎え、救い主を迎える心の準備をするのか? それがとても大切になってくるのです。
主イエスは、私たち全ての人間の救いのために、クリスマスの時にこの世に生まれてきてくださいました。同じイエス様が、この世の救いの歴史の終わりの日に、再び来られるのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)とある通りです。私たち全ての人の救いのために、主が再び来られるのです。それは、私たちが再臨の主イエスにお会いする時です。愛するイエス様が来られる時に向かって、私たちは喜びと希望をもって、主をお迎えする日を楽しみに待ち、信仰の旅路を歩む者でありたいと思います。

 

2022/11/20 週報メッセージ

小さな子どものささげもの                                                朝位 フミ子 

  聖書には、イエス様が小さな男の子のお手伝いを心から喜んでくださり、5つのパンと2匹のお魚をたくさん増やしてくれたお話があります。しかし、主のお弟子さんは「ここに大麦のパン5つと魚2匹を持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と思いました。大人たちから見たら、何の役にも立たないと思うお弁当は、この男の子にとっては自分の持っている全部だったのです。今自分ができる精一杯の大きなささげものを、イエス様にささげたのです。

 それに対してイエス様は、この小さな男の子が神さまのためにしたお手伝いを、とても喜んでくれました。この男の子の働きを皆で心から喜ぶことができるように、神様にお祈りをしてパンと魚を増やして、皆で一緒に分かち合うことができるようにしてくださいました。この男の子が神様にささげてくれたお手伝いを、パンと魚を増やして祝福してくださいました。

 私たちも、時々こう思うことがあります。こんなに小さい子どもだから駄目なんだ、自分は小さなことしかできないから何の役にも立たないと、私たちは思うことがあるかもしれません。でも神様は、小さい子どもたちが神様のためにしてくれたお手伝い、奉仕を特に喜んでくださり、いっぱい祝福してくださるのです。そのことを忘れないようにしたいと思います。そして何よりも、私たち大人も神様から見たら小さい子どもです。だから、自分には何もできない、役に立たないと思っている人も、自分は弱い者で何もできないと思っている人、自分は全然駄目だと思っている人も、神様の呼びかけに応えて、少しの勇気を出して、自分の持っているものを神様にささげる時、神様のためにささげる奉仕に、神様はその人の働きをとても喜んで豊かに用いてくださり、たくさんの祝福を与えてくださるのです。

2022/11/13 週報メッセージ

召天者記念礼拝を終えて

朝位 フミ子 

  「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレトの言葉3:1)

 今年も召天者記念礼拝を無事に迎え、終えることができ感謝しております。ご奉仕をしていただきました方々に心から厚くお礼申し上げます。「召天者名簿」にありますように、今年は3名の方が加わり76名になりました。私は、名簿とお写真を確かめながら、あらためてその生涯を偲び、またその終わりの時、その葬りの時、さらにご家族のその後の歩みを思い浮かべながら過ごしました。ここにご出席しておられる、おられないに関わらず、召天者を覚えていらっしゃる方々の上に神様の慰めと励ましが与えられますよう願っています。私自身、時の経過を実感し、自分の生涯の終わりのことを考えさせられました。今年も、いろいろな事が起こりました。教会にとっても、教会員の姉妹が、長老役員が、そして主任牧師が天に召されました。愛する方々の死を覚えながら、必ず訪れてくる死について思い巡らすことは、意義あることと思います。

 ルカ16:19~31から、山本牧師のメッセージをいただきました。金持ちとラザロのたとえから、第1~第3のお話です。死後のことは変更できないこと、そして生前が問われる信仰生活の問題、平凡な1日を大切に生活してゆくことが大切ですとお話を伺いました。しっかり心に留めていきたいと思います。「終わりを意識して」思慮深く生きていくお互いでありたいと思います。ますます残されている時は短くなりつつありますが、与えられている賜物に感謝しながら、私たちのなすべき事に励んでいきましょう。

 「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。」(ヘブライ人への手紙13:7)