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2009年11月14日(土)ふれあい会

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桜ヶ丘教会では、毎月第2土曜日13:30~「ふれあい会」を開催しています。

11月は、11月14日(土)13:30~から行いますので、どなたもお気軽にお出かけください。
お茶しながら、日ごろ感じていることなどお話したりしています。
この会をお世話してくださるSさんは、とても音楽が得意で、桜ヶ丘教会では、コーラスの指導をずっとしてくださっていました。
クリスマスキャロルの歌声を、桜上水駅で、毎年ご披露できたのもSさんのリーダーシップがあってのことです。
今年も、クリスマスが近づいてまいりました。クリスマスキャロルを今年も出来たらと教会では考えています。

Sさんは、ご家庭のご事情で埼玉県の方でご両親のお世話をされていますが、現在、桜ヶ丘教会には、月に1回ご出席です。

ふれあい会には、必ずご出席いただいていますので、どうぞ、11月14日(土)には、皆様お越しいただきますようお待ちしています。

2009/11/8 週報メッセージ

   外部奉仕を終えて
                                                            朝位 真士
 皆様方のお祈りに支えられて、私は10月24日(土)~25日(日)に三重県尾鷲市にある日本キリスト教団尾鷲教会の秋期特別集会に行って参りました。
 24日(土)早朝教会を出発して、尾鷲駅に午後到着し、牧師の出迎えを受けて信者の方々とのお交わりと休憩をさせていただき、午後6時30分からの特別集会の御用をさせていただきました。若い牧師は私に、メッセージの途中で一息入れるために聖歌を1曲賛美して、後半を語ってほしいと要望しました。今までのメッセージで1時間以内で途中賛美するというプログラムは初めてでしたが、先生の言われるとおりにさせていただきました。会衆に高齢者が多いので、1時間のメッセージは少し疲れるという配慮でした。私は最初戸惑いましたが、少し冷静に考えると本当に配慮の行き届いている牧師であると、大変学ぶところがありました。集会は35名が出席し、地方にしては多く集まったと牧師は語っておられました。普段は20名前後とのことでした。
 25日(日)の特別集会は礼拝形式で、伝道メッセージを約45分語りました。その後、愛餐の時をもつことができました。婦人会のメンバー19名の方々が大変よく協力して、喜んで教会の奉仕をされておられました。この教会は婦人会で支えられていると牧師が語っていました。婦人会以外、壮年会や青年会はないとのことで、地方教会の特色をみた思いがしました。礼拝は30名位でしたが、新しい方も何名か出席しておられました。この特伝のために皆が祈り、愛の労苦を強く感じました。祈る事項も与えられました。地方教会の高齢化、若者の少なさという課題ですが、地方教会の特色も感じました。ハレルヤ!!

2009年クリスマスチャペルコンサート

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 今年は12月6日(日)10:30から開催いたします。

 「チェロ演奏とメッセージ」
 ベアンテ・ボーマン先生と奥様のルリ子先生による恒例のチャペルコンサートです。
 どうぞ、12月6日を待ち望みつつ、大勢の方が、先生方の音楽の恵みに預かることができますようにと祈ります。

2009年召天者記念礼拝を終えて

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今年も、先輩方の召天の記念の礼拝を、ご家族等関係者の方々と共に守れたこと感謝いたします。
桜ヶ丘教会の創設者板井康裕先生をはじめ、西海先生、信徒の方々等を思い出し、桜ヶ丘教会の発展と今後の確かな歩みを主に祈りました。

さて、年末は、加速を増すように速く時が流れるような気がいたします。
12月6日(日)10:30~は、クリスマスチャペルコンサートがあります。
ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生による「チェロ演奏とメッセージ」です。

毎年お忙しい中をお越しいただき開催させていただいています。
この大きな恵みを、今年は是非あなたのもとにもお届けできたらと願っています。

どうぞ、お出かけくださいますように。お待ちいたしております。

2009/11/1 週報メッセージ

   召天者記念礼拝に臨んで
                                                            朝位 真士
 葬儀の後の記念の集いについては、私的・家族的な記念会と教会的な記念礼拝あるいは記念会とが考えられる。いつ、どのような時に記念会をもつかについて特別の基準はないが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍した9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数、年数などによる考え方があったようである。しかし、日取りについて特別の基準がない現状においては、適当な期間をおいた後、教会の暦に関連させて復活節や聖霊降臨節などの1日を選ぶことが意義深いと思われる。それは、死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるからである。
 教会としての公同の記念礼拝は、聖徒の日(11月初め)、復活節(3~5月)あるいは地方によっては8月中旬など、関係者が集まりやすい時を選んで行うことができる。(教団新しい式文)
 さて今年は5月18日午前1時35分、99歳8ヶ月の生涯を終えて天国へ帰られたO姉のことを思い出す。私が1994年、桜ヶ丘教会に赴任してからのお付き合いである。Oさんは教会の漬け物を持参された。99年頃から浴風園ケアハウスに入室されていた。聞くところによると、洋裁を習われて、お元気の時は人々に教えられ、趣味の布絵で素晴らしい作品を数多く残された。姉は時には困難な人を助けられた。また妹の長男にあたる人が後見人としてよくお世話をされ、毎月忠実に月定献金を捧げられて、桜ヶ丘教会のことを支援してくださった。
 今日集まられた御遺族の方々は、桜ヶ丘教会のために祈り支援してくださった故人のよき協力者であることを心より感謝いたします。

2009/10/25 週報メッセージ

   宗教改革記念日を迎えて
                                                              朝位 真士
 宗教改革とは16世紀の初め、西ヨーロッパでカトリック教会のあり方に反対し、聖書に基づく自由な信仰を求めて起こった宗教運動です。1517年、ローマ教皇はサン・ピエトロ寺院の改築資金を集めるために免罪符なるものを売り出しました。免罪符を買うことによりあらゆる罪が赦され、罰から免れるとされたために、多くの人々が先を争って買ったのです。
 当時ドイツのヴィッテンベルグの大学の神学教授であったマルチン・ルッターは、罪の赦しはどこまでもイエス・キリストの十字架を信じる信仰にあり、免罪符によっても金銭によっても赦されることはありえず、教皇や教会にはその権威はなく、その力もないと叫び、1517年10月31日、ヴィッテンベルグ城教会の門扉に1枚の紙を釘で打ちつけました。そこにはラテン語で罪の赦しについての論題が95ヶ条にわたって書かれてあったのです。ルッター派は信仰の自由を求めて抗議(プロテスト)し、連名の「抗議書」を提出してその立場を明らかにしたので、この年をもって「プロテスタント」の呼称が成立しました。ルッターが95ヶ条の意見書を発表した10月31日を宗教改革記念日と定め、今日に至っています。
 宗教改革の三大原理は、①信仰のみ(信仰のよってのみ義とされ、人は救われる)、②聖書のみ(伝統や慣習ではなく、神の言葉、聖書によってのみ人は救われる)、③万人祭司(聖職者だけが祈れるのではなく、主イエス・キリストを信じるすべての人が神の前に祈れる)です。私共の信仰のあり方を、もう1度神の前に深く反省したいものです。

秋期特別集会で感じたこと

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本当に、どっしりと重くて激しい鈴木牧師の実話を通して、誰もが耐えることができるとは思えない経験談をお聞きしながら、「あきらめないで」という血のにじむようなメッセージを受け止めました。

鈴木牧師の真っ直ぐな神様への思いを味わいつつ、どん底から、天の窓の光にたどり着いた純粋なその気性に感動をいたしております。

神様のなさることは、本当に人知を超えたことなので、私達は、素直に受け止め従うことの勇気を持ちましょう。

来週10月25日の礼拝お話は、吉武神学生のご担当です。

2009/10/18 週報メッセージ-2

   秋期特別集会
                                                              朝位 真士
 今回の講師は、シロアム・キリスト教会牧師の鈴木啓之先生です。17歳でヤクザの世界に入り、17年間ヤクザの生活をされて刑務所に服役中、教誨師の牧師より福音を聞かれ、劇的な回心の末、出所後東京中央学院の神学校で神学の学びをされました。韓国に渡り、謝罪と和解のため十字架を背負って、日韓友好のための架け橋となられました。その後、千葉県船橋市にシロアム・キリスト教会を開拓されました。先生の主な著書に『愛されて許されて』『イレズミ牧師のどん底からの出発法』(講談社)、『誰だって人生をやり直せる』(飛鳥新社)『刺青クリスチャン親分はイエス様』(早稲田出版、共著)などがあり、テレビにも出演され、映画「親分はイエス様」のモデルになられた方です。
 今回は「あきらめないで」というテーマで語ってくださいます。聖書箇所はローマ5章3~5節、「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(新共同訳)
 「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(口語訳)
 現在鈴木啓之先生は、牧師であり、府中刑務所の教誨師をされており、また後輩の指導にあたられており、大変ご多忙な先生です。このチャンスに先生から主イエス様の恵みをいただきましょう。

2009/10/18 週報メッセージ

   なぜ神を信じる
                                                       朝位 真士
 「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2章4節)
 イギリスのキール大学教授で大脳科学を専門としており、世界的な理論物理学者であるD・M・マッカイ博士が日本での国際物理学会出席の時インタビューされた記事が、日本教会新報社の中に記載されていたので、皆様方に少しご紹介したい。

 Q.科学者としてなぜ神を信じるのですか。
 A.聖書における神の約束が唯一の真実であることをクリスチャンとして経験している。
 Q.では聖書と科学との関係は?
 A.聖書によれば、私達の世界の過去・現在・未来のすべてに起こる出来事は、神が作者であり演出家
   である壮大なドラマの一部分であるということです。あらゆる物理的出来事は直接神によっていま
   す。自然の出来事はこの法則に従って起こるものであり、科学者はこの事実を発見するにすぎませ
   ん。
 Q.信仰を持つに至ったのは?
 A.科学は聖書と矛盾し、聖書の信仰においては不可能なものと考えていたので、信仰の確信を失って
   しまいました。しかし、矛盾しないという事がわかり、信仰の確信が与えられました。
 Q.日本の人達にぜひ知ってほしいことは?
 A.キリスト教は単なる理論ではなく、いのちの道であるということです。神はあなたが神を知ろうと
   していることよりももっと強く、神ご自身があなたに知られることを望んでおられます。……私が
   特に言いたいのは、神を知るという事柄は学問的論議の問題ではなく、科学的研究を越えたそれ以
   上のものだということです。

 今日午後3時からの鈴木啓之先生の特伝に、ぜひこの事を考えて、出席者全員が神を信じ天国に行きたいものです。