榊原紀惠子 のすべての投稿

2024/12/29 週報メッセージ

神の創造のみわざ

川﨑信二 

 今日は光がつくられた日よ、やみの中にも「光かがやけ」(こどもさんびか2番)

 

年末にあたり、「光あれ!」と万物を造られ、「わたしは始めであり終わりである」と言われた主が今年も守ってくださったことを感謝すると共に、世界の紛争や飢餓、祈りの課題を覚えて主の聖名をあがめ、祈るものです。

 以前「福島被災地ツアー」に行った際、福島第一聖書バプテスト教会で行われた創造論セミナーを受講したことを思い出します。創造論による地質学者イ・ジェマン教授が全地球規模の大激変であった「ノアの洪水」を地質学的に確かな証拠をグランドキャニオンの地層を通して示してくださり、単に大自然の奇跡ではなく、神が「地」に関わり続けておられることを学んだことです。

また、日本を代表する創造論メッセンジャーの宇佐神実先生が言われました。

 「妻が腕によりをかけて作った手料理を、夫が子どもに“この料理は偶然できたものだ!さあ、偶然の力に感謝しよう”と言ったなら、妻は激怒するでしょう…」と。

 この世界は偶然の産物ではなく、造り主がおられ、その方に先ず感謝することが大切であると改めて教えられました。

 

今年のクリスマスチャペルコンサートにてボーマン宣教師から、5000ⅿ級の山の上で貝の化石を発見したご友人の話を聴きました。ノアの時代に高い山を覆うほどの洪水があった根拠、山が海の中に沈んだ事実を示され、改めて聖書の天地創造の業は本当の事だと知らされたことです。

万物を造り、私たちをも造ってくださった主が「これで良し!」(創世記1章)と言われています。「甚だ良い」、「極めて良い」と断言されています。この年を顧みると、新しく教会に受け入れて頂いた感謝と共に、「ああすればよかったかな」と心残りの多い年でもありました。

しかし「これで良し」と言われる主の御手にこの年をゆだね、新しいことを成してくださる主に期待して、歩みゆきたいと思います。

2024/12/22 週報メッセージ

クリスマスあれこれ

☆クリスマスプレゼント

よくよく考えてみると、他人の誕生日にプレゼントをもらうというのも変な話で。なぜクリスマスになると人々はプレゼントを贈り合うことになっているのでしょうか。

バレンタインチョコ同様「商業主義が生んだ在庫一掃キャンペーン」と思っている方が多いですが、実はわりと歴史のある風習で、古代ローマのサトゥルナリア祭の期間、親しい人同士でプレゼントを交換した、また、長い冬が折り返し地点を回る冬至のお祝いに、今までチビチビ食べつないでいた食糧をパーッと使って、各家庭の自慢料理を隣近所でごちそうし合ったのが発祥とも言われています。

子どもにプレゼントを贈る習慣はもう少し時代が下って、子どもの守護聖人・聖ニコラウスへの崇敬が広まった頃に生まれたものです。この風習はヨーロッパの親たちのしつけの一環として利用されており、お菓子などまともな贈り物をもらえるのは良い子だけで、逆に悪い子にはタマネギや消し炭や木の枝を束ねたムチなど、もらっても全然嬉しくない物品が用意されました。普段の行いにもかかわらず、良い子も悪い子も平等にプレゼントをもらえるようになったのは、アメリカで近代的なサンタクロースが生まれた19世紀以降のことです。

子どもへのプレゼントは、暖炉かベッドにぶら下げた靴下に入れるのがならわし。そのため中身は靴下に入る小さなものと相場が決まっていました。一方、クリスマスツリーのわきにプレゼントを置くという習慣も、宗教改革期のドイツから徐々に広まり、おかげで大型のオモチャもプレゼントできるようになりました。

☆クランツ(アドヴェントクランツ)

19、20世紀ごろドイツで始まったと言われる、これもわりと新しいクリスマスの習慣です。

リースの一種ですが、輪を机の上に置いて(もしくはリボンで天井から水平に吊るし)ロウソクを4本立てます。ロウソクには待降節第一主日から一本ずつ点灯していきます。第4主日(クリスマス礼拝の日)には丁度4本のロウソクが全部点灯していることになります。吊るす時はロウソクの火がリボンに燃え移らないように注意しましょう。

『クリスマスおもしろ事典』参照 (教団出版局p.74、83)

2024/12/15 週報メッセージ

永遠の安らぎ

川﨑 信二 

この時季、全国にクリスマスソングが響き渡り、幻想的な何とも言えない雰囲気が街中を覆います。中でも賛美歌はクリスマスに流れる曲ではロングヒットで、どこの国でも歌われています。

長いと言えば音楽バンド「THE ALFEE」(ジ・アルフィー)。1973年に結成。翌年のレコードデビューから50周年。メンバーも古希を迎えた。しかし実に若々しい。

フォークなのかロックなのか分からない曲想なのですが長続きをしているバンドです。三人のメンバーはそれぞれ個性的で、三人三様の声質によるパート分けと、それによる重厚なコーラスが特徴です。フォークメロディー、POPS系、ハードロックと、バラバラなのに非常に三人とも仲がいい。ソロでなくバンドで長続き・・・ 秘訣はメンバーが「平和」で居られること。他に「こだわりがない」、「方向性がない」、「しきる人がいない」。だから一緒にやれる。三人とも次男で、前に出る人がいないため、ヴォーカルを誰がするか話し合っても誰も手を挙げない。「お前やれよ」と互いに譲り合う。結局、三人が均等にリードヴォーカルをとり、曲毎にスイッチしているのです。

楽曲の方向性の違いが原因で直ぐに解散するグループサウンズが多い中で、目標も方向性もないからこそ上手く続けられる。彼らは結成当時から熱くもなく冷たくもない、「ぬるま湯」だと話しています。「ぜったいヤルゾ!」という熱がない。熱いと冷める不安と戦うし、冷めると焦りから無理して熱くなろうと力んで、疲れてしまう。

しいて言えば曲想はファンが決める。ニーズに合わせて臨機応変に変えてゆく柔軟さがある。私達も「信仰」という拘りは大切ですが、不自然になっていませんか。

賛美歌「きよしこの夜」。1818年のオーストリアの聖ニコラウス教会で初演された曲です。イヴの前日、オルガンが壊れたためヨゼフが書いた詞にギターで伴奏できる曲に変更し、この曲が出来ました。「教会でギターを?」という時代に作られた曲がロングヒットに!! 

ともすると、こだわりが、教会から若者を遠ざけているのかもしれません。こだわるとすれば、神からの「救い」の出来事、これだけです。

♪ 救いのみ子は 馬ぶねの中に 眠りたもう いと安く ♪

このこだわりにこそ、永遠の安らぎが秘められています。

2024/12/8 週報メッセージ

チャペルコンサート

川﨑 信二 

角笛を吹いて神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて神を賛美せよ。

太鼓に合わせて踊りながら神を賛美せよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて神を賛美せよ。(詩編150;3、4)

今年もベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えできまして、心より感謝申し上げます。先生方は、1999年12月よりクリスマス・チャベルコンサートを続けてくださり、今年で26回目になります。桜ケ丘教会前牧師の時代から毎年途切れることなく開催されています。

先生方の紹介を朝位牧師が次のように記しています。

ベアンテ先生は1951年スウェーデンのファルン市で誕生。12歳からチェロを始められ、1971年ストックホルム王立音楽大学で最優秀賞を受賞して卒業。1971年から72年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められ、最終的にはフィンランド政府給費留学生として1979年シベリウス・アカデミー大学院を首席で修了。

1980年から2011年までの31年間、東京交響発団の首席チェロ奏者を務め、現在チェロ奏者として室内楽等の演奏活動の他にチャペルコンサートをはじめとする宣教の働きに携わっておられます。また、インターアクトの協力宣教師でもあられます。

ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業後、西ドイツ国立フォルンバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれ、ベアンテ先生と共に各地で良い奉仕を続けておられます。(2021年クリスマス掲載)

 私は先生方の演奏を初めて聴きます。楽しんで聴き入りたいと思いますし、先生方がチェロとピアノを通して主に賛美をささげるお姿に心を合わせ、私自身も主を仰ぎたいと願っています。主に賛美を捧げることは、讃美歌を歌う、つまり言葉で賛美するだけでなく、楽器を用いて主をほめたたえることも主への賛美なのです。

馬小屋の出来事を見た羊飼が喜び歌い、賛美しながら帰って行ったように、私たちも礼拝堂だけでなく、野原でも、歩きながらでも、いつでもどこでも、どんな物を用いてでも、救い主イエス様を心から喜ぶ私たちとさせて頂きたいものです。(ルカ2;20)