「改訂宣教基礎理論」二次草案
朝位 真士
前回に引き続き「宣教の主体であられる神」を記載します。
(2)神の民に賜った宣教の務め
朝位 真士
前回に引き続き「宣教の主体であられる神」を記載します。
(2)神の民に賜った宣教の務め
①神はその民である教会に宣教の務めと福音の言葉とを与えられました。したがって、教会の務めは宣教によって福音の前進に奉仕することです。(マコ5・18~19、ロマ10・15)
②キリストの体である教会に属するすべてのキリスト者は、受洗と同時に祭司としての職務に任ぜられ、その全存在と全生涯が神の召しにあずかっています。また、そのために必要な霊の賜物をも与えられています。この「全信徒祭司性」の教えが、今日十分に回復される必要があります。そのために、教師も信徒も絶えず聖書の御言葉によって養われ、成長しなければなりません。
②キリストの体である教会に属するすべてのキリスト者は、受洗と同時に祭司としての職務に任ぜられ、その全存在と全生涯が神の召しにあずかっています。また、そのために必要な霊の賜物をも与えられています。この「全信徒祭司性」の教えが、今日十分に回復される必要があります。そのために、教師も信徒も絶えず聖書の御言葉によって養われ、成長しなければなりません。
③「祭司」の務めとは、礼拝共同体としての教会を形成し、神を礼拝する民となることであり、宣教と執り成しの
務めを担うことです。(Ⅰペト2・5、同2・9、ロマ12・1~2、エフェ4・11~16、Ⅰコリ12・4~31)
務めを担うことです。(Ⅰペト2・5、同2・9、ロマ12・1~2、エフェ4・11~16、Ⅰコリ12・4~31)
④全信徒祭司性とは、教師と信徒の区別を解消しようとするものではありません。天に昇られたキリストは、この地上に教会をお建てになるために、教会の中から「使徒、預言者、福音宣教者、牧者、教師」(Ⅰエフェ4・11)などを任命し、各々に必要な霊の賜物を与えられました。これらの御言葉の奉仕者は、信徒と共に宣教の務めにたずさわります。
⑤御言葉の奉仕者は、喜びと勇気をもって福音を宣べ伝え、聞こえる御言葉である説教と見える御言葉である聖礼典のために仕え、自分の全生涯を献げます。この務めは教会形成の中心となります。また、その人はただこの使命のゆえに、教会の中で敬われる存在です。(エフェ4・11、ヨハ20・21、同21・15~19、Ⅰテモ1・18、同4・12、Ⅱテモ4・1~5)