秋分の日が過ぎて

イメージ 1 秋晴れのすがすがしい日はどのように過ごしましたか。
 夏の日々を思い出しながら、深まる秋に思いをはせました。
 
 さて、先日9月21日の礼拝では、『洗礼者ヨハネの死』の聖書の話を通して、ヘロデ王の人間的な弱さと、私たちもその一人であることを改めて考えさせられました。
 ヘロデ王は自分の罪をヨハネに指摘され、それを隠すために彼を牢に入れ、その実は、ヨハネの正しいことを心に受け止め当惑しながらも喜んで耳を傾けていた。 しかし、ヘロデ王の罪の原因でもある妻(兄弟の妻であったが今や自分の妻)の娘に、何でも欲しいものをやろうと宴会で誓ってしまう。
 そして、娘はその母に伺いを立て、「洗礼者ヨハネの首」が欲しいと要望すると、ヘロデ王は、非常に心を痛めながらも、宴会の客の前で誓った手前、少女の願いを退ける事が出来ず、ヨハネの首をはねることを命じ、衛兵はヨハネの首を盆にのせて持ってきて、母娘に渡したのであった。
 
 世の権力を恐れずに、正面から罪を指摘したヨハネの勇敢な態度。
 
 真理よりも面子を大切にしてしまうというヘロデ王の弱さ。人目を気にして真理をつぶしてしまう弱さ。
 ヨハネの死の箇所は、朝位牧師もどのようにお話しようと考えていますと、お話の前に言われていましたが、とてもわかりやすく教えて頂き、改めて人間の勇敢さと弱さとを考えさせられました。