いのちより大切なもの
朝位 真士
先日お茶の水のキリスト教会館で行われている「星野富弘の詩画展IN
お茶の水」に行ってきた。詩画集の中で、「いのちが一番だと思ってい
たころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った
日、生きているのが嬉しかった」という詩に出会った。「いのちより大
切なもの」とは何でしょうか。星野さんは「それは、自分で苦しみなが
ら見つけた時に、あなたにとって意味があるのです」と語っていた。
カトリックの修道女、渡辺和子先生は著書『目に見えないけれど大切
なもの』の「いのちより大切なもの」という項目で、星野富弘さんの詩
を引用して、「人間が『生きている』ということと、『生きていく』と
いうこととは、ただ一字違うだけだが、実は大きく違うのだということ
を私たちは知っている。星野さんも、ただ生きているだけの自分でな
く、生きていくことができる自分にお気づきになった喜びを詩に表され
たのではなかろうか。その生きていく力は、命より大切なものがあると
知った時に与えられたという。この自分が、傷のあるままで愛されてい
ることに気づき、それを気づかせてくれる人々の愛、神の愛に気づいて
与えられた力だったのではないだろうか。そういう力に支えられて、苦
しいことの多い一生を生きた一人の人間の生の軌跡は、この世の命に勝
る尊いものなのだ」と語っていた。