主イエスの再臨を信じる
川﨑 信二
「天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(使徒1:11)
国家の圧力は、1939年に成立した「宗教団体法」によって次第に強められ、国家の認可を得ようと国策に擦り寄っていく当時のキリスト教界の中で、「ホーリネスの群」の前身「日本聖教会」もその波に吞み込まれていった。
その波を受け、日本聖教会は会則および教義の変更を余儀なくされた。改定後の規則の一部を記載する。
「第五条 本教会は旧新約全書を悉く神の言なりと信じ、使徒信経に記されたる基督教基本教理を維持す。
四項 我らは主イエス・キリストが栄光の貌(かたち)をもって再来したもう事と、その時キリストに在りて死にし者はよみがえらせられ、地にある聖徒は栄化せられ、ともに空中に携え挙げられ、後、神の国の来る事を信ず。」
何の問題もないように見えるが、主イエスの再来の場所、「地上」という言葉が削除されている。「空中再臨と信者の携挙」は残っているが「地上再臨」が曖昧になっている。文部省の指導により削除したことが当時の会則改正委員であった安部豊造牧師(更生教会)により証言されている。つまり、国家権力に追従したことは規則変更が物語っているのだ。
では、なぜ国体に擦り寄ったにも拘らず弾圧を受けたのだろう。「リバイバル信仰」や「教勢倍増」が国の威信に触れたのか。それもあるだろうが、やはり「再臨信仰」にある。
使徒信条に「……死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。」とある。
教団信仰告白にも「……教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。」と記載され、私たちは主の再臨を告白している。「再び来りたまふ」とは礼拝を守っているこの地上であることは明白だ。
それを比喩的に解釈し、「地上」を削除し、精神論に置き換えてしまう弱さがある。それでも弾圧を受けたのは神の深いご摂理によるのではないか。弾圧は、今後「最も大事な教理」である、主の再臨を否定することがないようにとの教訓だと思わされている。