2026/5/24 週報メッセージ

聖霊の時代を生きる

川﨑 信二 

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2:1~4)

 広島県の宮島にある“消えずの火”で知られる「霊火堂」が火事に遭い全焼した。空海の時代から1200年も灯されていると言われている“消えずの火”だが、燃えすぎてしまった。目に見える物は儚い、と改めて思う。

 ペンテコステを迎え、聖霊降臨の恵みを覚える。聖霊について「炎のような舌」(使徒2:3)と表現されているが、会堂を燃やし尽くすことはない。信仰が燃える。魂が熱くなる、との意味である。つまり、物体ではなく目には見えない存在なのだ。しかも聖霊は火事で失われることはない。復活の主イエスの霊は永遠だからである。

ただし、私たちが祈ることを止めてしまわないように「“霊”の火を消してはいけません。」(テサロニケ一5:19)と勧められていることも確かである。

 ペンテコステは「50日目」という意味である。主イエスの復活から数えて50。教会の歩みは数えながら終わりに向かう歩みである。教会暦は神の恵みを数えながら感謝を忘れないで生きるためにある。やがて、私たちの目に見えるこの肉体は全焼する。跡形もなく消えるが、聖霊による主イエスとの繋がりは途絶えることがない。この世の物質にではなく、見えない繋がりを大切にしたい。

ぶどうの木に繋がるように、聖霊により養分が満たされ、日々感謝しつつ、主の日(終わりの時)に向かいたいものである。