「だれでもわたしのもとに来なさい」
マタイ11:28 川﨑 理子
ゴールデンウイークの最中、星野富弘さんの訃報がテレビの報道で流れた。いのち溢れる詩人だった。
私の父は元銀行員。現役時代から詩を書いていた。ジャンルは現代詩らしい。星野さんのことを伝えると「情報を有り難う」と一言。
父は30年前、ホーリネス誌に中山倫子先生の後を引き継ぐ形で暫く詩を書いていた。2011年以降は自分のライフワークとして「震災詩」を書いている。『信徒の友』の教会紹介や、『こころの友』で父に似たような人がいるな(写真で)と思ったら父だった。そこで「震災詩人」との肩書を知った。正直今迄に父が書いていた作品はよく分からなかった(実家に凄い賞の数々が飾ってある)が、震災詩には父の信仰が見えて胸が熱くなった。
星野さんが一番初めに出会った御言葉は「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)
私はイエス様の「だれでも」に愛を感じる。星野さんは「私がどんなに絶望しようが、どんなに生きたくないと思おうが、いのちというものが一生懸命生きようとしているのです」と、語っていた。
私の父も神が与えられた命を一生懸命生きている。私は毎日イエスさまのところに行く!そして休む!祈る!
何十年か振りに私はアパ・ルームを使用中。満たされるのは大事だ、と一ヶ月の新生活で改めて知らされた。