2024/3/24 週報メッセージ

「三つの挨拶」(マタイ書 26:49、27:29、28:9)

 マタイによる福音書2649節、2729節、289節。これら三つの御言葉の中には、共通する「ある言葉」が含まれています。ゲツセマネで主イエスを裏切った時、ユダは、主イエスを捕らえる合図として「先生、こんばんは」と言って、主イエスに接吻しました。この「こんばんは」と訳された言葉。ピラトの兵士たちが、主イエスを嘲り、侮辱して言った言葉。「ユダヤ人の王、万歳」。この「万歳」と訳された言葉。復活された主イエスが、マグダラのマリアに現れて言われた、「おはよう」という言葉。これら三つの言葉のギリシア語の原語はどれも同じで、「カイロー」という言葉です。当時、この言葉は日常の挨拶の言葉として、極めて頻繁に使われていました。ユダは、極めて日常的な挨拶の言葉をもって、主イエスを裏切ったのです。裏切りは、厳しい迫害や拷問によってもたらされるとは限りません。ごく普通の生活の中で、私たちは日常的に主を裏切り、御心を悲しませていることが多いのです。また私たちは、ごく普通の言葉をもって、日常的に主の御名を辱めているのでないでしょうか。しかし主は、そんな私たちの全てをご存知の上で、尚も私たちを愛してくださり、「父よ、彼らをお赦しください」と執り成しの祈りをささげてくださり、十字架の上で新たな血を流し続けて下さっています。そして朝毎に私たちに「おはよう」と愛に満ちたお言葉をかけて下さるのです。私たちが主を裏切り、主の御名を辱めた、その同じ言葉を、愛の言葉に変えて返して下さるのです。何という愛でしょうか。信仰とは、この主の愛を「ありがとうございます」と言って、素直に受け取っていくことなのです。主は、今朝も朝霧の立ち込める道の向こうで、私たちを待っておられます。そして爽やかな微笑みをもって「おはよう」と語り掛けてくださっています。私たちも、思い切り明るく、思い切り爽やかに、そして思い切り喜んで、「イエス様、おはようございます」と応えていきましょう。

3/1柏史師説教)