「慰めに満ちた天国の礼拝」 (ヨハネ黙7:9-17)
「礼拝」は、聖書全体のテーマの一つです。創造者であり、救い主であり、王である神さまに、礼拝を捧げることは、地上においても天上においても、私たちの最大の務めです。では正しい礼拝とは何か、正しい礼拝の姿勢・態度とは何かを、聖書に基づいて考えていくことは、とても大切なことです。
「ヨハネの黙示録」は新約聖書の中でも特異で難解な書物ですが、将来起こる最終の出来事を、そして天上ではどのような礼拝が行われているかを教えてくれる貴重な書物です。
1世紀末、初代教会の人々は皇帝礼拝が命じられ、圧政と迫害の中にあって「涙と苦しみの礼拝」を捧げていました。パトモス島に流刑となったヨハネは、「ある主の日」に聖霊に導かれ、天上での幻の出来事を経験します。ヨハネは黙示録に著し、殉教者たちが、天上ではどんなに慰められ、平和と歓喜に満ちた礼拝を捧げている様子を描いています。これを聞いた地上の教会の人々は、大いに励まされたようです
本日の聖書箇所には、天上での礼拝について三つのことが書かれています。第一に神と小羊を中心として、「救い」が高らかに賛美されていることと。第二に礼拝者は「白い衣」(義、きよめ)を着、「ナツメヤシの枝」(勝利と賛美)をもって礼拝を捧げていること。第三に子羊(キリスト)が牧者となって、礼拝者を「命の水の泉」(聖霊)に導かれること…です。
天上の礼拝は、地上の礼拝とはまるで異なっているようですが、あるべき礼拝、将来の希望を伝えるものです。
私たちは、天国の礼拝を目指すこの地上の聖日礼拝で、砕かれた悔いた心をささげて、神の小羊イエス・キリストを礼拝し、いのちの水に満たされようではありませんか。 (11/26 山本修一師説教)