「キリストを宣べ伝える」2021・2・7説教要旨

朝位真士

今日は1コリ2・1~5節を通して聖書を学んで行きましょう。この2章は伝道の題目と方法。十字架のキリスト。啓示の霊が語られています。1~2パウロの立てたキリストのあかし。3~5彼の謙遜な態度と、知恵の言葉を用いなかった理由が述べられています。パウロは先に、コリントに来て伝道する前、アテネのアレオパゴスの評議所で説教した(使徒17・22~18・1)。その説教は、思想としては実に立派な、ギリシャの文化人に適した説教であったが、その結果はあまり成功したとは言えなかったので、彼はコリントに来た時、特に(イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは)何事も語るまいと決心したのである(1~2)。彼はすべてのキリストの証人の模範であります。何を伝えるべきか、またいかに伝えるべきか、すなわち、伝道の題目とその方法とをよくわきまえていた。伝えるべきものはキリストとその十字架、伝える方法は(巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである)(4)。彼自身立派な学者であり、また彼に聞いたギリシャの人々も文化の高い知識階級の人々であったが、彼は彼らの信仰が(人の知恵によらないで、神の力によるものとなるために(5)、ただ卒直に、十字架につけられたキリストだけを宣べ伝えた。

 1コリント2・1~5節を見て下さい。パウロは、言葉と知恵を尊ぶギリシャ人の間にきた時、大きな誘惑を感じたにちがいない。パウロは豊かなギリシャ文化の知識を身につけられたことのある人である。「すぐれた言葉や知恵に」にも通じた人である。雄弁術を使って、巧みな修辞で、深淵な哲理を説いたら、もっと聴衆に受けたかも知れない。しかし、パウロはここコリントにおいて、そのことをしなかったのであります。2節をみてください。パウロは、説教において、すぐれた言葉と知恵を用いなかった。福音は、美しい言葉でも思弁的な哲学でもなく、単純な言葉で語られるイエス・キリストとその十字架の事実であることを、よくわきまえていたからである。罪に滅びようとする人を救うことのできるものは、この「十字架につけられたキリスト以外」にない。そして、キリスト教における説教とは、この十字架につけられたキリストをありのまま説くことにほかならない。どんなに大衆に受けるからと言っても、十字架の福音を捨ててはならない。パウロは一意専心、十字架のキリストを説いた。彼の説教の内容は、ここに集中されていたのであります。だからガラテヤ教会の人々に向かっても、「十字架架につけられたイエス・キリストをあなたがたの目の前に描き出された」ではないかーパウロの説教で語っているほどであります(ガラ3・1)p345

3節を見て下さい。アテネにおける伝道は失敗であり(使徒17・32)p249、ユダヤ人からは激しく迫害された。しかし、今淫蕩に満ちた大都市コリントにきた。しかしパウロは神の声を聞いた(使徒18・9)「恐れるな、語りつづけよ、黙っているな」「わたしがあなたと共にいる」と、幻の中で語られる主の御声に励まされて立ちあがったのであります。今年2021年度のみ言葉であります。

そして、「わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのであります」。人間の知恵と力により頼まない者は、神の知恵と力に頼らざるを得ません。単純に卒直に、十字架のキリストだけを説かずにはいられません。それは、知識をてらう人々には愚かと見られるけれども、実はそれが「霊と力との証明」であった。言葉の巧みはそこになくても、人の魂をうって、信じた者の生活を一変させる力があったのであります。それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、」神の力によるものとなるためであった。信仰は決して、人為的なものではありません。だれであっても、人が信仰には入るのは、ただ神の力によるほかありません。

結び

もう1度1コリ2・2~5節を見て下さい。このパウロは私達にとってキリストの証人の模範であります。このことから私達はなにを学ぶことが出来るか。私達は何を宣べ伝えるか、またいかに宣べ伝えるかの宣教の目的とその方法を学ぶことが出来ます。私達が宣べ伝えるのはキリストとその十字架であり、伝える方法は説得力のある知恵の言葉ではなく、「御霊と御力」(2・4)によってである。パウロ自身立派な学者であり、彼に聞くギリシャ人も知的な人たちであったが、パウロは彼らの信仰が「人間に知恵にささえられず、神の力にささえられるために」(5)、十字架につけられたキリストのみを単純卒直に宣べ伝えた。十字架の福音を語るところに、人を救う神の力は働くのであります。当時の大家ガマリエルの門下で学んだパウロが、今は人に馬鹿にされようがあざけられようが、ひたすら十字架のキリストを説き明かした理由はここにあります。私達もパウロのように単純にキリストの十字架と復活を宣べ伝えましょう。最後今年の聖句使徒18・9~11節を読んでお祈りさせて頂きます。