ホ群首都圏新年聖会
朝位 真士
1月3日午後3時から6時30分頃まで、ホ群新年聖会が教団赤羽教会で開催。主題聖句「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。」(詩51・12)で、東京・千葉・茨城・埼玉・栃木の各教会から約130名の信徒・教職の方々が参集した。私共も、両牧師と吉武神学生が出席した。
聖会Ⅰでは、司会、山口英希牧師、立証、亀井拓也兄、音楽、ユースのメンバー、説教、小松川教会佐々木良子牧師で、詩編51編1~19節を通し、「砕かれた心」と題して語られた。聖化の恵みは滅びるばかりの愚かな醜い人間をきよい神の御前に引き出す。そして真の悔い改めに、神が塵のような者を神の国の民として賛美する者へと造り替えてくださる。区分として、1~4節、罪の自覚と赦しの求め。5~9節、腐敗した性質と行いの告白=人間の罪。10~14節、再生への祈り=神の恩恵。15~21節、感謝と誓い。
〈ポイント1〉人に対する罪から、神に対する罪への目覚め。求め続けよ、罪の赦し。「ぬぐう」「洗う」「清める」(3~4節)という動詞は9~10節に繰り返し使われる。ダビデは罪が喉に刺さった骨のように苦しめられて、神の前に責任回避できないものと悟り、神の前に身を投げ出し、何度も憐れみを請う姿が記されている。ダビデの姿はこの世の見方をすれば、悪魔を宿し愚かで罪深く醜いものかもしれない。しかし罪意識に苛まれ何度も神に憐れみを請う姿は、神が求める人間本来の姿であり、真の悔い改めとは恥をさらして神を求めることだと教えられる。ペトロも主イエスを3度も否定するほどにその信仰は破れていた。しかし彼は主イエスの愛を経験し、その魂にはイエスの恵みが刻まれた。(続く)