写真:K/Kさん提供
7月に入り、雨の日が続き寒いと感じるくらいの日もありますね。
今年の夏の天候が気になります。火山の活動が活発な様子等もニュースでは流れています。
今年は戦後70年が経過し、来月8月は終戦を記念する日を迎えますが、この7月に、改めて聖日に教会に出かけることができるということは本当に大きなお恵みと感謝します。
様々な状況を考えると、平和を作り出していく者になるということは、いま、自分の出来るところからやっていく、自分のためだけにしかならないことかもしれないけれど、平和を意識することから始めるということが、尊いことなのだと感じます。
日本の国が、本当に平和にずっといくためには、どうすれば良いのかを自分で考えるということも、自分に出来る第一歩。難しいから分からないではすまされないという思いがこみ上げてきます。(事実、わからないことが多いですが・・・・)
平和の君なるイエス様は、平和はまず私たちひとり一人の心に住まなければならないと言われると思います。
昨日の礼拝のお話は、『主がなさったこと』というテーマで、マルコによる福音書12章1節から12節の「ぶどう園と農夫」のたとえについてでした。
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしの目には不思議に見える。」というところからのお話でした。
イエス様に対し、イスラエルの指導者達は不信仰のゆえに、そのメシア性を無視してしまう。そして、イエス様を十字架に付けてしまう。
しかし、神は、神の子なるイエスを、私たち罪人の救い主として中心におかれるいうことをなさった。
私たちの心に、イエス様の居場所を定めて、しっかり、生きていきたいですね。これが、主がわたしたちにしてくださった大きな恵みでありますから。