写真:3月13日礼拝の花
説教題
「死刑の判決を受ける」
マルコによる福音書第15章
6節~15節
過ぎ越しの祭りの時期には、囚人を赦すという特赦があったということです。
その時期に、総督ピラトは、イエスを特赦で赦すという選択もできたが、祭司長たちの扇動によって群衆が囚人バラバを赦すように求めたため、ピラトは群衆を満足させようと思い、
バラバを釈放したという話でした。
イエスは死刑の判決を受け、大悪人が許されたという出来事は、イエスが十字架にかかることによって、罪人がゆるされるという十字架の福音のひな型であるということです。
日々、私たちの心は、神の義、愛に反するような思い持つことがあります。
神を敬い愛し、自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさいという主の御言葉を思い出すときに、何と遠いところに身を置いているのかと反省させられます。
主が、十字架の刑をどのように受け止められ、恐怖の時を過ごされたのか。
この痛みを、我がことのように思い過ごすことは、とても緊張を覚え、持続できません。逃げたくなります。
しかし、十字架の現実をしっかり見つめ、お赦しいただき、前に向かって進みたいと思います。
桜ヶ丘教会を主が用いてくださり、どうぞ、一人でも多くの方が、当教会でイエス様にお会いになることができますように。
祈りつつ、お待ち申し上げます。