そして、今(使徒20:25〜38)
川﨑 理子
「……あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることはないとわたしには分かっています。」(25)
エフェソの人々へのパウロの遺言(決別説教)が書かれています。
「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」(28)
パウロは「教会とは何か」を語ります。教会とは「神が御子の血によってご自分のものとなさった」のが神の教会なのです。
「教会」とは、建物のことではなく、十字架で血を流された主イエス・キリストを神として礼拝する者達の群れです。「教会」は父・子・聖霊との神の交わりの中に入れられた集まりです。つまり「教会は神のもの」です。一人一人が神に愛されているのです。
しかし、教会には「残虐な狼が」が入り込んでくる危険性があります。異なる教えや偽教師が教会を荒らし、その教えに惑わされ、心変わりをしてしまう信者も出てくるというのです(29,30)。
教会の現実、人間の弱さをパウロはよく知っています。だからこそ、別れる前にきちんと警告しているのです。
大事な事を「3年間教え」(31)続けてきました。「悔い改めとイエスへの信仰」(21)、「神の恵み」(24)、「御国」(25)、「神の計画」(27)についてです。教会は「神のもの」。後に続く私達にこの福音が委ねられ、神から伝道の業を託されています。長老(指導者)や信者にしっかりと受け継ぎ、主イエスの救いを語り続ける使命に生きるようにとパウロは遺言を残したのです。
「そして、今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。」(32)
「造りあげる」とは教会堂のことではなく、信仰の共同体を「建てる」ことです。主イエスが教会を建てあげてくださいます。
私達はその恵みを受け継ぎ、主の委託に応えてゆきたいものです。