力を捨てよ
川﨑 信二
「主はこの地を圧倒される。地の果てまで、戦いを断ち弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
『力を捨てよ、知れ。わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。』」 詩編46編
この箇所は、武力に依り頼むのか、それとも平和の主に依り頼むのか。主を見上げ、主に祈ろう、という主題が込められています。当時、イスラエルは王制度を敷き、軍隊を持って敵の攻撃から自国を守ろうとしていました。現代のイスラエルと同じく、周囲の国々との緊張関係が絶えませんでした。弱小国がとるべき道は、大国に屈し従属するか、隣国と協定を結んで大国に反抗するか、中立政策をとるか、極めて難しいかじ取りを迫られていました。
周辺国の軍事環境によって政策が見直されていく。今の日本において、中国やロシア、北朝鮮の軍事力強化によって、わが国の防衛姿勢を変えなければ周辺国に太刀打ちできない、と考える人たちが増えています。
日本は島国ですが、今は海を越えてミサイルが飛んでくる時代です。軍事防衛に関しては意見が分かれます。当時の聖書の時代を見つめながら、私たちキリスト者が平和を覚えてどのように生きるか、を考えたいと思います。
預言者イザヤが主張したのは、政策ではなく、先ず神に頼ることです。2章4節に具体的な戦略が示されています。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」
人を殺す武具ではなく、農作業の道具。つまり、命を生み出ものです。私たちは、主の教えを学び、戦いのことは二度と学ばないようにしたい、と願わされます。
主イエスの時代に、人々は「イエスに政治的な指導者となってもらって、ローマ帝国を屈服させてほしい」と願っていました。けれども主イエスは愛の道を選ばれ、十字架の死を遂げてくださいました。この犠牲の死こそ、救いと平和の道なのです。