川﨑 信二
よく「あそこの教会は〇〇牧師の教会だよね」と言われます。教会は牧師の教会ではなく、信徒の教会でもなく「主の教会」。健全な教会は人ではなく、神ファーストです。
桜ケ丘教会は創立102年の歩みを進めています。『創立100周年記念誌』を見ると、1923年に板井康祐福音使が、世田谷新町のご自宅で伝道を始められたことが記されています。個人の篤い信仰が神に用いられたことが分ります。
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって」(ピリピ2:13口語訳)、板井先生の祈りを神が「よしとされた」(同)ことを感謝します。
1925年に「駒澤新町112にて集会所を借用し、伝道開始」。板井先生は駒澤ホーリネス教會に任命されています。リバイバルと共に教勢が伸び、1930年に「駒澤教會は澁谷に伝道所を設けて板井康祐が澁谷に転居(栄通1-16)。「祈りの家澁谷ホーリネス教會と称する」ことになり、さらに日本ホーリネス教会の分裂事件により、1937年「日本聖教会澁谷聖教会の伝道者として板井康祐が任命」されます。「渋谷駅前の桜ケ丘(澁谷區櫻丘五)に家を借り」、板井先生は澁谷を主として駒澤を巡回地として兼任することになりました。「桜ケ丘」の名称は「渋谷の櫻丘」から来ています。
1941年、日本基督教団成立と共に教団に加盟しました。
世田谷新町、駒沢、渋谷栄通、渋谷桜丘と板井先生のご決断により転々とされています。ホーリネスや日本基督教団の事情、また戦争や宗教弾圧によって拠点を変えているのです。
教会は解散させられ、1944年、板井先生は「杉並区下高井戸1丁目の借地に家を購入し、疎開」。現在の場所の近くとなります。戦後、そこに信徒たちが再結集し、教会が形成されてゆきます。牧師個人宅を開放し、復興が始まったのです。
ホーリネス教会は監督制でしたが、少しずつ個人から教会組織へと整い始めます。ことに「無牧」の時には信仰が試され、教会が成長していきました。教会規則は「この教会は〇〇」という言葉で始まります。牧師よりも「信徒の規定」が先に書かれています。牧師中心の教会は牧師が居なくなった時に揺れます。しかし、主を中心に信徒の方々が信仰をもって歩むときに、教会は祈りの内に前進するのです。
教会は主のものです。この教会も主の教会です。