これに聞け
川﨑 信二
山に登られた主イエスは祈っているうちに「顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」。いわゆる「変貌山」の出来事です。ペトロは「ひどく眠かった」(ルカ9:32)ので「夢」かと思いがちです。しかし仲間(ヤコブ、ヨハネ)も同じ体験をしているので夢ではありません。
主イエスは以前「死からの復活」(ルカ9:22)また「神の国」(9:27)について言及しています。夢ではなく、ここは「天国の入口」かと思います。ペトロは興奮して言います。
「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
小屋。極めて地上的な言葉です。天国には住まいは要りません。彼は偉大な人物を見て「夢なら消えないでほしい」と、この地上に引き留めておきたかったので「仮小屋」的な発言となったのでしょう。
しかし、地上よりも天国が大切です。その天国の鍵を握っているのはモーセ(律法)でしょうか。エリヤ(預言)でしょうか。モーセもエリヤも鍵は持っていません。天国の鍵は主イエスが持っておられるのです。
雲が現れ、モーセやエリヤが隠れてしまい、雲の中から「これはわたしの子、選ばれた者、これに聞け」と言う声が聞こえました。「これ」とは他でもないイエス・キリストのことです。「雲」は見えない世界。地上にこだわる者、この世に未練のあるペトロを目覚めさせてくれたのです。
先にペトロは「あなたこそ神のメシアです」と告白しましたが、それは政治的メシアであって、この世の権力者を期待していたに過ぎないのです。エジプトからイスラエルを導き出したモーセのような、天から火を降らせたエリヤのような「力の指導者」を待ち望んでいました。主イエスは王様になる気はなく、十字架の死に至るまで謙遜な方でした。その主の顔が輝き、服が真っ白に輝いたのです。
「あなたこそメシア」と告白したペトロでしたが、「三つの小屋を」と言ってしまいました。3つ……主イエスを旧約の二人と同列に並べていたこと。告白は立派でしたが、信仰の中身は間違いだらけでした。
十字架の、謙遜な主イエスだけが我らの住まい、我らの栄光です。この方に聞き従いましょう。