天の国の秘密 マタイ13:10〜17
川﨑 理子
「弟子たちは、イエスに近寄って、『なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか』と言った。」⑽
「たとえ」の原語は「パラボレー」と言い、意味は「傍らに置く」。つまり、言いたいこと、伝えたいことの傍らにそれと似た話を置く、ということです。
本来たとえ話は理解しやすくする為に用いられますが、余計に分からなくなる。「天の国の秘密」(奥義)だから隠されていて理解できないというのです。主イエスのたとえは至って単純です。求める心さえあれば悟ることができます。この世の学者たちは真理を難しく考え、却って真理から遠ざかってしまいます。
実は目の前におられる方こそ真理なのです。主イエスは「あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」(16)と言われ、ご自身が神であり、真理であることを証しています。私の傍らに、あなたの傍らに主がおられるのです。せっかく近くにおられるのに疑う人には真理が見えません。心が頑なだからです。
主イエスはたとえの中で「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人」(23)だと語られました。良い土地とは私たちの心です。求める心で聞けば御言葉が入るのです。主は常に種を蒔き、愛を注いでおられます。私たちが素直に受けるだけのことです。天の国を隠しているのは私たちが拒んでいるから探せないのです。異邦人でも求める者は救われます。
キリストが来られた目的は、全ての人を救う為です。裁く為ではありません。「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」(Ⅰテモテ2・4)。
異邦人を見下していた聖職者たちは主イエスを見ているのに信じませんでした。私たちは、聖書を「いつも学んでいながら、決して真理の認識に達することができない」(Ⅱテモテ3:7)人にならないように、主が近くにおられるのに気がつかない者にならないように、祈り求める者でありたいと願うものです。