フー・ポン信者
川﨑 信二
故 原田 謙先生(更生教会前牧師)が信仰生活についてよくこんな事を述べておられた。
「聖書を読むときにフーポン信者になってはいけませんよ。“常に聖書に親しみ”、常に・・・これが大事ですよ」
フーポン信者とは、先ず聖書を取り出してフーと息を吹いて表紙の埃をはらう。次にポンっと机に置いて、「今日はどの御言葉でいこうか」と聖書をペラペラと捲る(だいたい真ん中を開けるのでイザヤ書が多い)。まるでおみくじのように開く。たまたまマタイ27章5節だった。
「そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ」
こりゃいかん! 別の箇所を開くとルカ10章27節が目に飛び込んできた。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」
えっ?これって???
こういう聖書の読み方をする人をフーポン信者と呼ぶそうだ。私もフーポン牧師ならないように気をつけたい。
そもそも聖書は毎日通読することが基本で、行き当たりばったりの読み方は上記のように危険が伴う。勿論そういう読み方でも、読まないよりはずっと良いと思うが・・・・。
暗唱聖句など、前後の文脈と関係なく、そこの一句だけを取り上げて座右の銘としたり、今日一日の糧とする場合がある。それ自体悪いことではないが注意が必要だ。
例えばCS生徒に提示する際は、そこだけでなく全体を良く読んでから選ぶべきである。どんなに良い言葉が並べられていても建徳的ではない文章があるからだ。
例えば、ヨブ記を見ると「その道を知っているのは神。神こそ、その場所を知っておられる。」(ヨブ28:23)
聖句そのものは暗唱聖句に相応しく聴こえるが、友人達がヨブの過ちを責めるための言葉でもある。聖書の言葉を、人を裁くために用いてはならないし、知らずして使う恐れもある。それゆえ、前後の流れを読みながら、謙虚に、聖書の主張に耳を傾ける姿勢が大切である。