ホーリネス系教会の被弾圧をおぼえて
川﨑 信二
今年は、1942年6月26日の、政府による宗教弾圧から82年の年です。この出来事は、ホーリネスの群の信仰の遺産であり、忘れてはならない教会の歴史です。
世界中で権威主義国家が台頭し「信教の自由」が脅かされている時代にあって、主イエス・キリストこそ私たちの神であり、王であり、救い主であり、やがてこの地上に再び来てくださる方であると大胆に証し続ける者でありたいと願わされています。((以下ホ群資料より)↙
ホーリネス弾圧事件は、第二次世界大戦中にホーリネス系の教会が政府から弾圧された、日本のキリスト教史上、プロテスタント教会に対する最大の迫害である。
牧師補であった小山宗祐が1941年3月23日に獄中死した事件は、翌年のホーリネス弾圧の前触れだった。
1942年6月26日早朝、ホーリネス系の教職者96名が逮捕された。これが、第一次検挙である。1943年2月に第二次検挙が行われて、第一次と第二次を合計すると、日本基督教団に併合されていた第6部(旧日本聖教会)60人、第9部(旧きよめ教会)から62人、教団に加わらず宗教結社であった東洋宣教会きよめ教会12人、合計134人が逮捕された。これを受けて教団は、「軽々しき行動を慎み、暫く成行きを静観すること」「皇国民たるの自覚に立ち、臣道の実践を志すこと」を求めた。
また、日本基督教団の幹部らは、当局のホーリネス検挙を歓迎した。第4部管谷仁主事は、「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸いであった。」と述べた。山梨教区長小野善太郎は、「大局的見地からいえば、こうした不純なものを除去することによって日本基督教団のいかなるものかが一段に認められて、今後の運営上かえって好結果がえられるのではないかと考え、当局の措置に感謝している」と述べた。
1943年4月、文部省は宗教団体法に基づき、第六部と第九部の、教会設立認可の取り消しと教師を辞任させるように、日本基督教団の富田満統理に通知。日本基督教団は、教会の認可取り消しと、教師の自発的な辞職を求める通知を行い、日本基督教団内のホーリネス系の教会は強制的に解散させられた。
殉教者は、菅野鋭、小出朋治、斉藤保太郎、辻啓蔵、竹入高、池田長十郎、佐野明治らが獄死し、75人が起訴された。全員が上告して、戦後免訴扱いになった。 Ω